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キャロルさんの奇跡講座レッスン #72

奇跡講座の最も初期からの学習者であり教師のひとりであるキャロル・ハウさんによる、ワークブックのレッスン講座の音声を、彼女のイキイキとした語り口にインスパイアされて翻訳を試みています💖

キャロルさんの奇跡講座レッスン72

元の講義はこちら→ https://youtu.be/Y5nGyvA2sBA

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ハロー皆さん、今日は、

レッスン72
「不満を抱くことは、神の救済計画に対する攻撃である」

私たちはこれまで、いくつものレッスンを通して、不満を抱くことがいかに大きな問題となっているかを理解しようとしてきました。

それが私たちの行手を阻むものだと学んだわけですが、今回は、それは単に道を塞いでいるだけでなく、それが絶対的に積極的かつ故意に神の計画を攻撃するものであるということ、そして神の計画を破壊しようとするものだと説明しています。

それって、全く賢いとは言えそうにないですね(笑)!

この過程においては、神/愛の属性がエゴに与えられ、エゴの属性が神/愛のものであるかのように見えます。

というのは、エゴの目的とは神、または愛に取って代わることだからです。

もう既にお話しましたね、エゴは、すべてがうまくいくには自分以外の他のすべてが変わらなくてはならない、そのために全てを管理し、支配することが、自分の役割だと思っていると。

この、心を肉体で取り囲んでいるように見える企てが、心を分離して孤独なものに見せかけ、肉体という心を閉じ込めるための入れ物を通してしか、誰にも何にも届かないままにさせているのです。これかエゴの全目的です。

あなたは「私は神に取って代わろうなんて思ってないわよ」と言うかもしれません。

そうだとしたら、こう自分に尋ねる必要がありますよ。
「あなたは自分が支配権を握っていたい?」
「自分が正しい方の側だと思いたくない?」
「自分の物語を他の何よりも優先したくない?」
これらにYESと言わない事なんてできませんね(笑)
だって皆、そうするように教わってきたんですからね!

制限としての肉体を保持する企てがここにあることは明白です。
なぜならあなたはエゴがあらゆる状況でその目的を果たすことを望んでいることを、否定できないからです。

なぜ、どんなふうに、不満を持ち続けることが攻撃なのかというのは、そんなにはっきりと分からないかもしれません。

けれども、これははっきりしています。
私たちは一体、何のために人々を攻撃するのでしょう?

私たちは彼らが言ったこと、行うこと、私たちを不愉快にする振る舞い方や言葉遣いや裏切り行為に対して攻撃します。それからレッスンが言うように、そうした振る舞いや言葉の中にある「敵意」に対して攻撃します。
私たちは、その人が何であるかに対処しているのではありません。その人の存在、その人のスピリットに対処しているのではありません。

私たちは相手の肉体だけに対処しているのです。相手がその肉体で何をするのかと、相手が何であるかとは別のことです。

ということは、私たちは互いに助け合うことに失敗しているばかりか、それ以上のひどいことをしているのです。
私たちはこの混乱の中に、積極的にお互いを幽閉しようとしているのです。
そして事態はさらにおかしなことになっています。
いいですか、創造主と被造物は似ていなければなりません。それは、一つのものがそれ自身を拡張するにつれて、その特徴を拡張していくということだからです。わかりますね。

さて、もし私たちは主に肉体であり、そこにスピリットがどこかしら添えられたものかもしれない、ということになれば、当然、神/愛も肉体であると結論づけなければなりません。

これがどんなにおかしな事か、わかりますね?
もしそういうことであれば、彼の計画は死以外に何があるでしょうか?
肉体の現実のように見えているものが、神についてのこの見解を説得力のあるものにでっち上げ、私たちの抱く不満のひとつひとつが、肉体が実体を持つのだと主張していることになるのです。確かに私達は物凄くたくさんの不満を持ってるわね!

意識の焦点が、肉体と、肉体がすることと言うことの気に食わない点に向けられているんです。そしてこの過程の中で、実在が完全に見落とされているのです。

そして、このように肉体の活動に関連した不満に焦点を当てることは、私たちはみな肉体であり、肉体としての自分自身や他の人たちを非難しているのだという考えを強化します。

また、この論理を先に進めると、この論理においては、神による救いは死でなければならなくなります。そして攻撃を神に投影します。つまりすべての問題の責任は、私ではなく神にあると言うのです。

そして、この論理によって、絶対的な狂気の世界に導かれます。
そこでは、私たちが自分自身について抱いている望み、願い、観念や信念の集合体とそれに付随するすべての防衛手段であるエゴが、
「オーケー、あなたは肉体だ。その肉体でできる限りのことをしなさい。
奪われないようにしなさい。どんな小さなものでも奪いなさい。
愛は何も与えてくれなかった、あなたはここに一人で放り出されたんだ。
だから、あなたの体が、あなたの唯一の救世主。
だから、体が好きそうなものは、どんな小さなものでも、つかみに行け。」
これが世界の普遍的な信念である、と書かれているんです。

いずれにせよ、私たちがここで生きていく上で、中心的な存在となるのが体です。
ある人は体を憎み、傷つけようとし、ある人は体を愛し、美化しようとします。

しかし、肉体を私たちが自分だと思っているもののの中心に置く限り、私たちは愛に対して不平不満を抱き、神の救いの計画を攻撃することになるのです。
すると、あなたは真理の声を聞き、友人として迎え入れることができなくなります。

あなたの選んだ救世主、エゴと肉体複合体が、救世主の位置までのぼってきたのです。

私たちが今聞きたいと思っているのは、その声です。私たちが今、迎え入れたいと思っているのは、この友人です。

愛、そしてそれが私たちに提供するすべてのものが、今や敵になってしまったのです。

レッスンの一番最初に、あなたが信じていることはすべて180度ずれていると話したのを覚えていますか?
私たちが180度本末転倒しているなら、そもそも一体、私たちは何者なのでしょうか?

もし、私たちがスピリットであり、永遠に死ぬことのない霊性であるのに、肉体は願望を現しているとしたら?
当然、すべてが逆転し、前後真逆になるはずです。

この逆転した知覚が、私たちの心の平安を破壊しています。
この逆さまの認識が、私たちに惨めな小っぽけな人生を歩ませ、いつも寂しく、孤独にさせているんです。私たちは十分なものを持たず、あれもこれも欠けていると思ってしまうのです。

私たちは、自分が体の中に閉じ込められていて、真実は、どこか他の場所にあると思っていました。
私たちはそう信じて、どこかに真実があるのではと探し続けています。私は確かに長い間そうでしたし、きっとあなたもそうでしょう。

だから今、私たちは、このひどい、ひっくり返った状況を、正そうというんです。
真理は私たちの中にあり、それは私たちが創造された時に置かれたのです。

私たちの外にある肉体に関して、心配する必要はありません。

でも、そんなこと不可能だと思いますか?

責任ある人間でありながら、身体に注意を払わず、それを人生の中心に据えないでおくなんて、それで良いんだろうか?

ハッハッハ!肉体を持たないことが自然な状態であると言っています!
真理の光を私たちの中に、私たちがいる場所に認識することが、最終的に自分を認識することなのです。

そして、自己を身体と無関係なものとして見ることが、ついに攻撃の終わりとなるのです。

そして代わりに、神の計画を受け入れることが可能になるのです。

神の計画が受け入れられるならどこでも、それはもう終わったことになります!

もう終わったこと?

そう、エゴの計画は決してうまくいきません。
それが達成されるは常に未来であり、それはもちろん、決してやって来ることはありません。

いやはや、こっちの計画はもう既に、私たちの代わりに達成されているようですよ!

私たちはただやみくもに攻撃してるだけ、そして自分が何を攻撃しているのかも分かっていないのです。私たちは真理を認識しておらず、ただ恐ろしい物事の中にいるのです。

だからレッスンに、あなたは、何があなたを安全にするのか、どうすれば幸せになれるのか、そのサポートはどこから来るのか、こうしたことについて、とても混乱していると書いてあるのです。

ですからただ、すべてを止めて、本当に心を開いて、「父なる神さま、救いとは何ですか?」と尋ねてみましょう。

あるいは別の言い方をすれば、
「どうすれば、愛されていて、安全で、幸せで、楽しくて、大事にされていて、つながっていると感じることができるのでしょうか。教えてください」
と尋ねます。

そして、静かに待ちましょう。

私たちは、自分のエゴを世界で一番大切にしたいと望み、他のみんなに不平不満を持つことで、常に神の計画を攻撃してきました。

私はとんでもなく無知でした。
聞く耳を持っていなかったんです。

だから今、私たちはそれを止めたいと思います。耳を傾け、真摯に「救いとは何か」を問いかけたいのです。

今、私たちは、今まで学んできたエゴの教えを鵜呑みにするつもりはありません。

そうすることで、あなたは重要な存在になることができるのです。
そうすれば、力を持つことができる。
そうすれば、人に好かれるようになりますよ!
そうすれば、安全でいられます。
私たちは、エゴと呼ばれる小さな防衛戦略にそれを求めているのではありません。
私たちは今、私たちを創り出した真理に問いかけているのです。

そして、またおかしな考えが浮かんできそうになった時はいつでも、静まって、こう繰り返してください。
「お父さん、救済って何ですか?私はわかりません。教えてください」
「どうすれば、つながって、愛されていて、安全だと感じられるのか分かりません」
もしあなたがほんの少しでも真剣に聞くのなら、答えは得られます。

そして、短い練習時間を1、2回すれば、今日は十分です。

短い練習では、答えを聞くために数分間沈黙して待つことに費やします。

これらの練習は、次の言葉で始めます。

「不満を持つことは、神の救済計画に対する攻撃です。その代わりに、私は受け入れたい。
私のための愛の計画を攻撃したくない。
私が喜び、幸せで、つながり、自由で安全であるための計画を。
だから、あなたの計画が何であるか教えてください。私は自分が作り出した、この巨大な狂った混乱の代わりに、それを受け入れたいのです」

それから静かに待ち、耳を傾けます。

一日のうちに気づいた不平不満を手放し、自分の幸せのための計画がすでに達成されていることを認識し続けるように。

今、あなたはただ、「救済とは何ですか」と尋ねる必要があります。
「それにアクセスするにはどうすればよいですか」
「どうすれば、最終的に源にたどり着けるのでしょうか」
「どうすれば、安全で、愛されていて、幸せで、すべてが大丈夫だと感じることができるでしょうか」

今日も練習をして、素敵な一日をお過ごしくださいね。

バ〜イ♪


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