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#331 キャロルさんの奇跡講座レッスン

奇跡講座の最も初期からの学習者であり教師のひとりであるキャロル・ハウさんによる、ワークブックのレッスン講座の音声を、彼女のイキイキとした語り口にインスパイアされて翻訳を試みています💖お手元にワークブックを準備してお聞き(お読み)ください♪

※ ワークブック訳は「奇跡講座 ワークブック編」(中央アート出版社)を参照しています。

キャロルさんの奇跡講座レッスン331
元の講義はこちら→ https://youtu.be/266aBb-eO1c?si=A0PbtFGy6bDFLpW9


ハーイ皆さん💖
レッスン331まで来ましたが、レッスンを始める前に、この問いに目を向けてみましょう。さあ,飛びこむわよ!

12.自我とは何か

自我とは偶像崇拝そのものである。分離した有限なる自己のしるしである自我は、肉体の中に生まれ、苦しんだ挙句、死によって生命を終える宿命にある。

先に進める前に、”doomed”「死すべき運命」という表現を詳しく見ていきたいと思います。このdoomedという言葉はホラー映画や悲しい物語、それから漫画にもよく出てくる表現でふが、本来はそのように使われる言葉ではありません。そしてコースに出てくる表現は特定の目的を持って選び抜かれたものです。

ですから知っていてもらいたいのは、この”doomed”という表現の、辞書に定義される本来の意味です。「罪の宣告、厳しい懲罰、最後の審判、破滅または悲劇に終わるべき運命、残酷な運命、災害、一国の破滅、死の宣告」

おやおや、あまり良いようには聞こえませんね。もし私たちが自分のストーリーにしがみつくつもりなら、そうしたことが確実に私たちに訪れるのです。

自我は神の意志を敵と見なす「意志」であり、神の意志が否認されるような形態をとる。

その形態とはつまり、肉体です。

自我とは、「強さとは弱いものであり、愛は恐ろしいものであり、生命とは実は死であり、神に対立するものだけが真実である」ということの「証拠」である。

私は分離した個の存在であり、自分で自分の面倒を見なくてはならない」という感覚です。そしてコースはこのように断言します。

自我は正気ではない。恐れるあまり、自我は万有から離れ、無限から分離し、偏在を超えたところに立っている。

もちろん私たちはつながっていますから、分離は自我の見ている悪夢でしかありません。

狂気の中で、自我は自分が神そのものを打ち負かした勝者であると考える。そして恐怖の自治の中で、自我は神の意志が破壊されたと「見て」いる。

言い換えると、自我は周りを見回して「ここには愛も平安も喜びも無いようだ。自分がすっかり壊してしまったようだ」と考えます。

自我は懲罰の夢を見て、その夢の中の人物たちを前に身震いする、彼らは敵であり、こちらからの先制攻撃により自分の安全が確保される前に、自分を殺しに来る者たちである。

神の子に自我はない。

私たちの真実の姿においては、誰ひとりとして切り離されて存在しない、ということ。

神の中にいる神の子たちが、狂気や神の死について何を知ることができるだろう。永遠の喜びの中に生きる神の子が、悲しみや苦しみについて何を知ることができるだろう。深い沈黙も静謐さの中にいる神の子を取り囲むものは、永久に葛藤も妨げもない不滅の平安だけという時に、恐れや罰ら罪や罪悪感、憎悪や攻撃について、神の子が何を知ることができるだろう。

実相を知るということは自我を見ないということである。自我の考えも、その働きも、その行為も、その法則も信念もらその夢も希望も、その救済計画も、自我を信じることに伴う犠牲も、一切見ないということである。

私たちは本当にエゴを後生大事にしてきたのてす。しかし、

自我を信じるために要求される苦しみの対価はあまりに大きい。自我の闇の神殿においては、来る日も来る日も神の子が十字架にかけられ、病んだ信者たちが死にゆく準備を整える祭壇の前で血が流されなくてはならないほどである。

しかし一輪の赦しの百合の花が、闇を光に変え、幻想への祭壇を生命そのものの神殿に変えるだろう。

たったひとつ裁きをやめることが、たったひとつ心を入れ替えることが、闇を光へと変えます。

そして神がわが子として創造した神聖な心たちに、平安が取り戻されるだろう。それらは神の住居、神の喜び、神の愛であり、完全に神のもので完全に神とひとつの心である。

ありとあらゆる美は真理の中で既に叶っています。そして私たちが経験しているありとあらゆる酷いことは、単に自らの心を、裁きや自分自身についてでっち上げたホラー映画で汚染してきたことの結果でしかありません。

私たちが自分で作り出したと思い込んでいるこのエゴという私と、真理とが一緒に出逢う場所はどこにもありません。

そう、ですからこのエゴという存在とは一緒に付き合い続けたくもないですし、それが言うことにいつまでも耳を貸したくはありませんね。

さあ、新しいレッスンに進みましょう。

レッスン331
私の意志はあなたの意志なので、葛藤はありません。

父よ、あなたの子が自分で自分を苦しめることができると信じるのは、何と愚かなことでしょう。彼(私たち)が自分を破滅させる計画を作ったとしても、そこから解放される確かな道も与えられずに放っておかれたりするでしょうか。父よ、あなたは私を愛しておられます。私を、苦痛と無慈悲の世界の中で孤独に死なせたりはさせません。愛が愛自身から去ってしまうなどということが、考えられるでしょうか。愛の意志のほかに意志はありません。

実相において愛である私たち被造物は何かによって変化することはありません。

恐れは夢であり、恐れにはあなたの意志と葛藤できるような意志はありません。

なぜなら創造するのは愛であり、恐れに創造することはできないからです。

葛藤は眠りであり、平安は目覚めです。死は幻想であり、生命は永遠の真理です。意志に対立するものは存在しません。私の意志はあなたの意志なのですから、葛藤は存在しません。

私たちはあなたの意志が延長されたものであるので、もちろんあなたの意志と同じものなのです。


2.赦しが教えてくれるのは、神の意志は一なるものであり、それを私たちは共有しているということである。今日、神の平安を見出すことができるように、赦しが見せてくれる神聖な光景を眺めよう。アーメン。

赦しとは裁きを捨て去ること、そして心をクリアにすること。それにより私たちが神の平安を見つけ、体験できますように。たった今、まさにここで。アーメン。

とてつもなく重要なレッスンです。「私」というストーリーをでっち上げるエゴが、どれほど私たちの役に立たないもので、どれほど喜びとは程遠い生を約束するものであるかを知ることで、このレッスンは繰り返し私たちに心を変容させるようにと促しているのです。

今日は真剣にこのことについて思い巡らせてください。私たちが行いたいのは、自分で作り出した非常な個別の「自己」ではなく、私たち全体にとって利益となることです。

今日があなたにとって洞察に満ちた1日になりますように。ハートで今日のテーマを理解できますように。

また明日ここに集まりましょう✨
ありがとうございます♪
グッバイ💖






#奇跡講座 #ACIM #奇跡講座ワークブック #奇跡のコース

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