#361 キャロルさんの奇跡講座レッスン
奇跡講座の最も初期からの学習者であり教師のひとりであるキャロル・ハウさんによる、ワークブックのレッスン講座の音声を、彼女のイキイキとした語り口にインスパイアされて翻訳を試みています💖お手元にワークブックを準備してお聞き(お読み)ください♪
※ ワークブック訳は「奇跡講座 ワークブック編」(中央アート出版社)を参照しています。
キャロルさんの奇跡講座レッスン361
元の講義はこちら→https://youtu.be/Dx9WBB9sFpc?si=wl96ZZ77SBzHrsz3
ハロー、私の大切な大切な皆さん💜
さあ、ついにここまでやって来ました。最終レッスンに辿り着いたなんて、ほとんど信じられない気持ちでいっぱいです。残り5つのレッスンを導くのは、この素敵な課題です。
最終課題 ー 練習の前に
私たちの最後のレッスンは、できる限り言葉を使わずに行う。練習のはじめには言葉を用いるが、それは言葉を超えて進もうとしていることを思い出すためだけである。私たちの道を先導し、私たちの歩みを確かなものとしてくれる聖霊を、頼みとしよう。私たちはこれらのレッスンを聖霊にゆだねる。同じように、これからの私たちの人生も、聖霊にゆだねる。私たちは二度と再び罪を信じることへと後戻りしたくはないからである。罪を信じていたからこそ、世界は醜く不安な場所に見えていた。攻撃的で破壊的な場所、全てにおいて危険で、信頼の希望も苦痛を逃れる手立てもなく、当てにならない場所のごとく見えていた。
聖霊の道だけが、神が私たちに与えてくれた平安を見出せる道である。それが、最終的には必ず全ての者が旅する道である。なぜなら、神自身が終わりをそのように定めたからである。時間の夢の中では、その終わりはずっと先のことであるように思える。しかし、真理においては、それは既にここにあり、進路を示す恩寵溢れる導きとなって私たちを助けている。真理が指し示す道を、私たちはともに進んでいこう。そして道を探していながら見出していない多くの兄弟たちを先導する者となろう。
この目的に私たちの心を再び捧げ、私たちの考えのすべてを、救済の機能に役立つ方向に向けよう。私たちには世界を赦すという目的が与えられている。それが神が私たちに与えたゴールである。私たちが探し求めているのは、神が定めた夢の終わりであって、私たち自身が決める終わりではない。私たちは自分が赦す全てを、必ず神自身の一部として認識する。そうして神についての記憶が、完全な形で、完全に戻ってくる。
神を思い出すことが、地上における私たちの機能である。実相においては、私たちは神自身を完成するものとなるべく定められている。だから、私たちのゴールは共有されているということを忘れずにいよう。それを覚えていることによって、神が思い出され、神の平安のある天国および神自身へと至る道が示されるからである。これを私たちに差し出すことのできる兄弟を、私たちは赦そうではないか。彼が道でありら真理であり、生命であり、私たちに進路を示してくれる。彼の中に救済が宿り、それは彼に与えられる私たちの赦しを通して私たちに差し出される。
私たちは、父が自身の神聖な子に約束した贈り物を手にすることなくこの一年を終わらせはしない。今や私たちは赦されている。私たちは神の怒りだと思ったすべてから救われており、それらが夢だったということを見出した。私たちは正気を回復しており、その正気の中で、怒りは狂気であり、攻撃は錯乱であり、復讐は愚かな夢想に過ぎなかったと理解している。私たちが神の怒りから救われた理由は、自分たちが間違っていたことを学んだからである。それだけのことである。自分の子が真理を理解できなかったからといって、父親が怒り狂ったりするだろうか。
私たちは正直になって神のもとに行き、自分が理解していなかったと述べた上で、神自身の与える教師の声を通して神のレッスンを学べるように、助けてほしいと願い出る。神はわが子を痛めつけるだろうか。それともわが子に駆け寄り、「これは私の子であり、私のものはすべて彼のものである」と言うだろうか。神がこのように答えると確信していなさい。これは、あなたに対する神自身の言葉だからである。そして、誰もこれ以上のものを得ることはできない。この言葉の中に、今もこれからも、時間を超えて永遠に存在する一切が含まれているからである。
これから続く最後の一連のレッスンは、これまでと同様、瞑想的なものとなります。ここで私たちは観念を真の想念〈イデア〉として受け取り、そこに全部の集中力を傾けるよう求められています。
静かにただ黙想するのではなく、理解しようと頭を使うのでもなく、一心に、このイデアのパワフルな真理に全神経を集中させるように。
レッスン361
聖霊よ、この聖なる瞬間をあなたに捧げます。あなたが主導してください。あなたの指示は私に平安をもたらすと確信しつつ、私はあなたの後についていきます。
私たちはいつも神の心の中に、しっかりと、深く深く抱かれているのです。
最後のセクションで、「私とは何か」と問われたのを覚えているでしょうか?
では、私からあなたに質問です。
あなたには、意識があるでしょうか?
あなたは、存在していますか?
あなたは、自分が自分であることを知っているのですか?
あなたの答えは”YES”であったことと思います。そしてまた質問がなされてからYESと答えるまでの瞬間に〈確信〉があったことでしょう。
あなたには、自分が自分である確信があります。その確信をもって、あなたは自分がここに生きているのだと答えました。
あなたには自分が存在していることを確かに知ることができています。そしてまた、自分が愛されていることを確かに知り、自分が素晴らしい存在であり、守られていて、大事にされ、そしてすべてがうまくいっているのだと確信を持つことができます。
その答えの確実性を、しっかりと心の中に留めてください。あなたは自分が生きているということを確実に知っているのです。そしてもし、あなたが生きているならば、その生命こそが愛そのものなのです。それが導き出す結論、それが意味することとは、あなたは永遠に愛されていて、永遠に愛の存在であり、すべては永遠に佳きものであるという確信なのです。
美しい実践を❣️