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今夜の帰り道のこと。沖縄は生憎の曇天で暗い雲が立ち込めていたのですが、立ち込める雲の上に徐々に金色の月の縁が見え始め、ついに、満ち満ちて丸く大きく輝く姿をすっかり現してくれました。それは美しいというよりも恐ろしいほど。昼にはお日様が、夜にはお日様の光を私たちに投げかけて照らしてくれる月が空にあるということの不思議を改めて感じ入っているところです。

で。
今日は先日体験したことを忘れないように残しておこうと思い、久しぶりにnoteを開いています。

いきなりですが、宜野湾市にある普天満宮と那覇市の識名宮はもともと琉球古来の拝所であった鍾乳洞の上に建造されていて、そのふたつには女神伝説があり、エネルギー的につながっています。私は普天満宮の洞穴には何度も訪れていますが、識名宮の洞穴にはこれまで一度もご挨拶したことがありませんでした。普天満宮のほうはいつでも参拝できるけれど、識名宮洞穴は月に2度、1日と15日しか門を開いていないのですよ。

しかし今月の4日と5日に識名宮の御宮に参拝した際、「今度の15日には絶対に洞穴に詣でる!」って、なんだかなっちゃったのでした。14日には台風が近づいていたので天気が心配でしたが、15日は風は強かったものの、雨も降らず青空が見えるお天気になりました。

普段より早い時間に着くと、その日は神社の特別な祭事が行われる日だったらしく、ふたりの宮司がいらして、ちょうど大祓祝詞を奏上するところだったのです。そんなわけで私もちゃっかり祓われました😁✨

そうして社殿の裏手にある洞穴に行ってみると…

小さく開いた入り口の前には赤い鳥居。周りの岩に瑞々しく生い茂る植物の上に、大きなオオゴマダラがひらひらと舞っていました。オオゴマダラ、ご存知ですか?日本で最大の蝶ですって。日本では南西諸島と小笠原島にしか生息していないそうです。

そう、大きくて、ふわっふわっ、ゆらゆらっと羽毛が舞うように飛ぶんです…

見るからにひんやりとした小さな真っ暗な洞穴の入り口、めっちゃ怖いんすよ。。。

そこにオオゴマダラがふわっ、ひらひらっと舞って葉の上に止まり、そしてまたふわっと浮き上がって、こちらを誘うように少し近づいてはまた鳥居にひらひらと舞い戻り、緑の上に止まる。神秘的っていうか、マジで怖い。私は足がすくみました。ひとりで入るのは怖いよう!

怖いんだけど、蝶(に乗った、なにか)が明らかに、私を優しくいざなってくれている。怖いという感覚とは別に、何とも言い難い思いが胸にひろがって、涙がわいた。畏れ多いとも、有難いとも少し違う…ああ…!

意を決して鳥居をくぐり、真っ暗な洞窟への短い階段を、用意してあった小型の懐中電灯で足元を照らして降りました。中はほんとに小さくて、入ったらほんの二、三歩前に祠があります。

めっちゃコワ。
入ってみたけどもう出たい。なんか出そう(って、女神の拝所なんだけどさあ)

私の古い友人にガチな本物の神人(カミンチュ)がいて、誰も知らないような拝所を巡って御願(ウガン)を捧げている人がいるんですけども、その子が前に「私だって怖いけどさ!ジャングルみたいな中をひとりで鎌を持ってかき分けて行くの怖いけどさ!(神にやれと言われてるから)しょうがないから行くんだよ!」って言ってたのを思い出しました。こんな小さな、整備された洞穴でビビってる場合じゃないわ!と勇気を出して、祠の前でしゃがんで目を閉じて手を合わせました。。。

… … …

神社で手を合わせてる時って、私は何のお願いごともせずに、お礼を申し上げたらあとは自分がただ空白になった感じで清々しさだけを感じるんですけども、ここで感じたのは、それがもっとintimateな感覚。例えていうなら、宇宙船に連れてかれて、宇宙人たちにボディスキャンされてるような感じ(そんな体験ないけど)。なんか、周りにたくさんいる精霊たちから私の中身をすっかり見極められているような感じ。

しばらくしたら少し気持ちに余裕が出て、瞼を開けてみました。目が慣れて来て、実際は祠の後ろの左右の岩場の裂け目から、うっすらと外の光が入ってくるのがわかりました。

そこでお暇を告げて、ゆっくりと外へと戻りました。オオゴマダラがやはり、鳥居の所で番をしていました。

そこからが、何かいつもと感覚が違った。

帰りのバス停へ向かって歩いていく、両足の運び。この体の目を通して見ている、感覚。

バスに乗り込み、窓の外を眺めていました。台風の影響で強い風が民家の庭にある背の高い木の枝を揺らしていくのを見ていました。

その時、わかったんです。
あの風が、風が揺らしている木の枝の葉が揺れるのが、それらを「見る」ことを可能にしているものが、私を今ここ、この一瞬の・(点)に存在せしめていると。

そして、音。

物理的に何かと何かがぶつかって、それが音を発するわけではない。それを音として捉えるのは「わたし」なのだ。衝撃の余韻の波動を響かせているのは、わたしの意識なのだ。その音が鳴り響くのは、心という空間においてなのだ。

うまく言えないけど、これが精一杯。

もしかしたら仏教で言う縁起ってやつを、ほんのちょっとだけ理解したかもしれません。
知らんけど。

ところで識名宮の言い伝えによると、その昔、洞穴から発せられる不思議な光を目にして行ってみたら、釈迦の弟子の一人「びんずる」の遺体があって、そこからの霊光だったとか書いてあるけど、んなわけないじゃんねえ???識名宮の隣には昔々お寺があったそうだから、その寺に箔をつけるための後知恵でしょう。たぶんな!

…わたしの心の中に、赤い鳥居と緑の上をひらりひらりと舞うオオゴマダラの光景がある場所ができました。これが私という人のリニアな人生の中で、一つの印となる結び目になったことは確かです。


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