キャロルさんの奇跡講座レッスン #76
奇跡講座の最も初期からの学習者であり教師のひとりであるキャロル・ハウさんによる、ワークブックのレッスン講座の音声を、彼女のイキイキとした語り口にインスパイアされて翻訳を試みています💖
キャロルさんの奇跡講座レッスン76
元の講義はこちら→ https://youtu.be/iw-RWT965QQ
ハロー皆さん♪
私の大好きなレッスンのひとつを、今日こうして皆さんと分かち合うことが出来るのがとても嬉しいです。
レッスン76
「私は、ただ神の法則のもとにある」
これは実際、目の前に突きつけられるような、挑戦的な内容ですね。大いに注意しなければいけませんよ、フッフッフ!
そう、神以外に法はありません。そして、まあ、なんて事でしょう!私たちは今まで際限なく、人々や場所、物といった、無意味な約束を通して幸福や身の安全を見つけようとしてきました。
それがうまくいっていない事に、もう気がつきましたか?
あなたはもしかしたら一時的に幸せを感じたこともあったかもしれませんが、それが長続きすることはありませんね。
世界を見回してみて、あなたは気がつきます。
自分が幸せや安心を探そうとして用いてきたやり方は、うまくいかない、と。
私たちは本当に沢山の、おかしな法則を作り上げてきました。それは実際には、私たちを牢獄に閉じ込めるものでした。
「私はこれをしてはいけない、これをしなければならない、あなたはこれを行うべきだ、もし君がこうしなければ生活は決して良くならない」、等々。
私たちはこうした法則に縛られてはいません。この世界の法則に従っても、幸せは見つかりません。
私たちは間違った場所で探し回っていたのです。
間違った場所で探そうとするなら、そして愛以外の方法で見つける事ができると自分自身に証明しようとするならば、私たちは困った状況に自分を追い込むことになるでしょう。
でも、良かった!そんなことは、起こり得ません!
だから私たちは、絶対にこれからも幸せが見つかりっこない間違った場所を見るのはやめるんです。
レッスンは「救済はとっても単純だ」と言ってます。それがある所に目を向けるだけだって言うんですもの(笑)!
前にもお話したでしょう、なのに私たちって大抵、話を聞いてないんですね(笑)
それがある場所とは、私たちの内側であり、そして私たちそのものです。
安全で幸せであろうとして私たちが作り出した、ありとあらゆるおかしな法則が、私たちを縛ることはありません。
単にそれらに注意を払わなければいいんです。
ではこれから、自分たちがいかにおかしかったかを再確認するために、こうしたおかしな法則のいくつかを見ていきましょう。
レッスンは言います。
「あなたはもし山積みの紙切れの束と小さな丸いコインがなければ餓死してしまうと、本気で思ってるんですか?」
「血管に何か液状のものを注ぎ込まなければ、小さな粒状のものを飲み込まなければ、健康になれない、生きていられないと思っているんですか?」
レッスンが冗談めかして言ってるの、わかります?
「あなたは別の身体が周りにいないと自分は孤独になってしまうと思っている」とあります。テキストのどこかに、「もしあなたが周りに他の身体がいないことで自分を独りだと考えているなら、あなたは狂っている」とあります。グサっと刺さりますね!フッフッフ!
レッスンはこう続きます。
「こうしたすべての考えが狂っている。そして世の中であなたが従わなければならないと思い込んでいるこうしたおかしな法則は、法則に見せかけた、偽物であり、何の目的も持たない儀式であり、それらは何も達成できない。」
「医学、経済学、健康、それから後の方に出てきますが、あらゆる社会的な法則は、全て法則とは言えない。それらは狂気である」
それが狂気なら、なぜ私たちはそれらをそんなにも愛しているのでしょうか?
OK、理由はこうです。
身体は自らを傷つける心によって傷つけられるからです。
世界は鏡でしたよね?
だから、身体の状態は確かに鏡となっているのです。身体が苦しむのは、心が自らを攻撃しているのを見ずに済むようにするためなのです。
言い換えると、肉体の苦しみ、もしくは私たちの環境の苦しみは、大きな仮面なのです。心が自分が自分の敵であるという事実を保持しなくて済むようにするための、煙幕です。
自分には罪があり、価値がなく劣っていて人生はうまくいくはずがないと決めたのは私たちです。
そして私たちがそれを信じて言い続ける限り、それと同等のものが外側に生じてくるのです。
ですから、あなたにこれをわかってもらいたいの。身の安全を保つための私たちの法則はすべて、巨大な目隠しだということ。
レッスンはこう言い続けます。愛以外に法則は無いのだと。私たちの偽の法則には、実体が無いのだと。だから力も持たない。それらには、何かを実際に生じさせるための効力は無い。
愛以外の法則はありません。
愛の法則です。
私たちはこれを何度も何度も何度も繰り返す必要があります。これは、この世界のあ・ら・ゆ・る状況に当てはまるんです。
レッスンには
「あなたの魔術には何の意味もない。何の目標も、何の真実も何の力も実体もない」と書いてあります。
魔術とは何でしょう。
魔術とは、私たちの世界、つまり原因に対する結果の中に、何かしら魔法のよう確固たした属性を与えることができると信じることです。例えば、病原菌が身体に病気を引き起こすといった具合に。
病原菌は媒介のように見えるかもしれませんが、それが身体を病気にする事はありません。あなたの自分に対する憎しみが、身体を病気にするのです。
それを見たくないがために、私たちは病原菌のせいにしたり、栄養やその他の、この世界にある想像できる限りあらゆるものに責任を押し付けるのです。まったく大きな煙幕ですこと!
コースが「魔術」と言っているのはそれなんです。単なる映像に過ぎない、この世界の中の何かが、何かを生じさせることが出来るように見せかけることです。
あらゆる原因は内側にあります。
私たちの外側にあるもの全ては、結果として現れたものです。
要するに、これらの偽の法則は、私たちを救ってくれるように見せかけながら、実際は肉体の方を救おうとしているのです。肉体は、私たちではありません。
私たちを救ってくれるのは、法則が隠そうとしている心の方なのです。
愛の法則だけがあり、それに取って代わる代替品はありません。
ああ良かった、ホッとした!
魔術は私たちを閉じ込めます。でも、愛の法則は私たちを解放してくれるんです。
そう、光は訪れています。そして愛の法則が働いています。これで物語はおしまい。
今日の練習の前に、まず第一にどんな法則に自分が従っているかを確認しましょう。
栄養や医薬、身体の安全を確保するもの、やってはいけない事、しても良い事を決める社会的な法や、さまざまな宗教が示す行動規範などがあり、それぞれが異なる文化や時代において様々に違っています。
ですから私たちの法則は不変の法則なんかではありません。それらは変化し続けます。数世紀、いえ、この国では数十年で、OKな事とOKでない事、受け入れられる事柄、そうでない事柄が変わり続け、窓の外に放り出されて別のものに置き換えられていきます。
レッスンは「もうそろそろあなたにも分かる頃でしょう、こうした法則はあなたを何からも救ってくれない。それらは、あなたを奴隷にし、呪う。そしてそれらには意味がない。」
法則はありません。
あるのは、神です。
他のものは忘れてしまいなさい!
さて、ちゃんと聞いてね。
愛の法則は、誰からも何の支払いも求めません。
損失はありません。
取引もなく、代替もありません。
愛の法則は、ただ与えるだけです。
何ひとつ取ったり奪うことはありません。
なぜなら私たちは愛の表現であり、愛が溢れ出ることよって創造されたので、私たちもまた、そのように機能するよう造られているからです。
今日の練習時間には、私たちの法則がいかに狂っていて私たちを閉じ込めているか自分に思い聞かせるようにし、それから静かに、これらのことに耳を傾けるように。
どれほど私が愛されているか。
どれほどの悦びが私たち皆のために、ここにあるか。
どれほど私たちの創造主は、私たちの中にある真実に気づいて欲しいと願っているか。
私たちを創造したこの愛のほとばしりが、私たちの中に溢れ出し続けるようにしましょう。私たちがいつも、愛と悦びに気づいていられるように。
忘れないように。
今日は出来るだけ何度も、このように繰り返します。
「私は、ただ神の法則のもとにある」
「私は、与えれば与えるほど、持つことができるという法則のもとにある」
「与えれば与えるほど、より安心し、より平安を得て、より健康に、そして敵はいなくなり、あらゆることが素晴らしくなるこの法則のもとにある」
「この世界のどの法則もうまくいかない。
神の法則だけがうまくいく。
それが平和をもたらし、幸せをもたらし、平和をもたらし、安心をもたらす。
私たちの求めに応じて、常にある」
そう、これは真正面からあなたに挑んでくるレッスンです。
しかしもし私がこれが自由になるための方法なのだと思い出し続け、一歩ずつ歩みを進めるならば、あなたはきっとそうしたことを喜ぶようになるでしょう。
とっても素晴らしい1日を!
バ〜イ♪