#156 キャロルさんの奇跡講座レッスン
奇跡講座の最も初期からの学習者であり教師のひとりであるキャロル・ハウさんによる、ワークブックのレッスン講座の音声を、彼女のイキイキとした語り口にインスパイアされて翻訳を試みています💖お手元にワークブックを準備してお聞き(お読み)ください♪
※奇跡講座ワークブック編 中央アート出版社を参照しています。
キャロルさんの奇跡講座レッスン156
元の講義はこちら→ https://youtu.be/D0sW6PkuEWk
ハロー皆さん♪
今日もまた皆さんとお会いできて嬉しいです。今日のレッスン内容は、昨日のレッスンからの続きとなります。
レッスン156
私は完璧な聖性の中を神とともに歩む。
私は神とともに歩む。
私は愛と共に歩んでいく。
「今日の主題概念は、罪という考えを不可能にする単純な真理を述べているに過ぎない。」
罪、すなわち実相を変えてしまったという考えを無効にします。
「それは、罪悪感に原因はなく、原因がないのでそれは存在しないと請け合う。」
罪悪感に原因がないのは、エゴには合一性を損なうような力は全くないからです。エゴによって破壊されたものは何もありません。
「これは『テキスト』の中でも何度も述べられた「想念はその源を離れない」という基本概念から必然的に導きだされる。もしこれが真実なら、どうしてあなたが神から離れて存在できるだろう。どうしてあなたが自分の源から離れて、ひとりで世界を歩けるだろう。」
あなたは神の心の中に抱かれた想念です。あなたがどこに行くことができるでしょうか?だって、あらゆるところ、あらゆるものが神の心なんですから。だからあなたが源から離れたことは無いんです。
「私たちのカリキュラムの中で提示される考え方に矛盾はない。真理が真理であるためには、一貫して真理でなければならない。真理が真理に矛盾することはなく、その一部は不確かで他の部分は確かであるということもあり得ない。あなたは神、愛なしでは存在し得ないので、神から離れて世界を歩くことは出来ない。」
あなたは愛されないでいることはできません!生命とは、まさに愛だからです。
「神は、あなたの生命そのものである。あなたがいるところには、神もいる。ひとつの生命があるだけである。その生命を、あなたは神と共有している。神から離れて生きられるものは何もない。
しかし神の存在するところには、生命とともに、必ず聖性も存在する。神の属性で、生けるもの一切に共有されていないものは一つもない。生けるものは、神と同じく神聖である。なぜなら、神の生命を共有するものは聖性の一部であり、罪深いものではあり得ないからである。」
神は、あなたを愛し、私を愛し、そしてすべての人を愛します。聖性とは全てが同じであるということです。
「それは、太陽が氷を含むことを選べず、海側水から離れる選択ができず、草が空中に根を張って生い茂ることができないのと同じくあり得ないことである。」
それはとても単純に、全くあり得ないということね。
「あなたの中には、消えることなき光がある。その存在はあまりに神聖なので、あなたのおかげで、世界が聖別されるほどである。」
そう、あなたですよ。
「生きとし生けるもの一切が、感謝と喜びのうちに贈り物を選んできては、あなたの足元に供える。花束から漂う香りが、彼らからあなたへの贈り物である。寄せてくる波はあなたの前で頭を垂れる。木々はその枝を広げて暑さからあなたを守り、地面に落ち葉を敷き詰めて、あなたが歩く柔らかな道を用意する。そして吹き降りてくる風はあなたの神聖な頭の周りで静かな囁きとなる。」
あらゆるものを使って、私たちにはっきりとしたメッセージを送ろうとしてくれているのですね。私たちが実際に、どれほど祝福されているかを伝えようとしてくれているのです。
「あなたの内なる光は、それを見たいと宇宙が切望している光である。生けるもの一切があなたの前で静かになる。なぜなら、彼らは誰があなたとともに歩いているのかを認識するからである。
あなたが運ぶ光は彼ら自身の光である。
そのようにして、彼らはあなたの中に彼らの聖性を見て、救済者であり神であるあなたに挨拶する。
彼らからの畏敬の念を受け入れなさい。
それはあなたとともに歩む聖性に対して向けられたものであり、その聖性がすべてのものを、その優しい光の中でそれと同じく清らかなものへと、(無垢なるものへと)変容させるからである。
救済はこのようにしてもたらされる。あなたが一歩退くとき、あなたの内なる光が前へ進み出て、世界を包み込む。
それは処罰と死による罪の終わりを予告するのではない。そうした罪の概念の古びた愚かしさが見えてくるので、軽やかな笑い声の中で、罪が消え去るのである。
それは馬鹿げた考えであり、愚かな夢である。滑稽でこそあれ、恐ろしいものではない。
神自身に近づこうという時に、誰がこのような無意味な気まぐれのために、一瞬でも無駄にしたいと思うだろう。
それでも、あなたはこの愚かな考えに、あまりに多くの年月を浪費してきた。過去は、そのすべての空想とともに過ぎ去っている。」
思い出してください。今この瞬間は、まっさらな瞬間です。
「もはやそれはあなたを縛り付けてはいない。神に近づく時が間近に迫っている。だが、まだわずかに残る疑いの狭間で、あなたは旅の同伴者を見失うことがあるかもしれない。」
旅の同伴者である聖霊、つまり仲介者、自覚、真理を見失うことがあるかもしれません。
「そしてその存在を、今や既に過ぎ去った無意味ないにしえの夢と見間違えるかもしれない。
「『誰が私とともに歩むのか?』この問いが、問われなければならない。確信が疑いを消し去り、平安を確かなものとするまで、1日に千回でもこれを問う必要がある。
今日は、疑いを終わらせなさい。神はあなたに代わって、あなたの問いに次の言葉で答えるだろう。」
私は完璧な聖性の中で、神とともに歩む、私は世界を照らし、私の心を照らし、私とひとつのものとして神が創造した心の全てを照らす。
この概念を一日中保ち続けます。特別な練習のための時間は設けません。何をするにしても、この概念を一日中常に心の中に保ち続けるようにします。
「私は完璧な聖性の中で愛とともに歩む。何も愛を変えることはできない。起こりえる最悪のことは、私がそれを少しの間忘れてしまうことだ。今、再び戻ってきて目覚めよう。」
今日を美しい練習の日にしてくださいね。
これはとってもラブリーなレッスンです。
では、またね!
明日もお会いしましょう♪