聖なる瞬間と特別な関係

自分用メモ
奇跡講座テキストより


第15章 Ⅴ. 聖なる瞬間と特別な関係 

聖なる瞬間は、聖霊が愛の意味をあなたに教えるために最も役立つ学習手段である。というのは、その目的が判断を全面的に停止させることだからである。あなたは過去の経験を基にして判断するので、判断は常に過去の上に成り立っている。判断は過去がなければ不可能となる。なぜなら、過去がなければ、あなたは何も理解できないからである。あなたは判断しようと試みることさえしないだろう。なぜなら、何についてであれ、それが何を意味するかを自分では理解していないということが、きわめて明らかになるからである。あなたはこれを恐れている。というのも、自我がなければすべてが混沌となるだろうと信じているからである。だが、私はあなたに、自我がなければすべてが愛になると保証する。

過去というものは、自我の主要な学習手段である。なぜなら、あなたが自分の必要を自分で定義することを学び、自分なりにそれらの必要を満たす方法を獲得したのはら過去においてだったからである。すでに述べた通り、愛する対象を一なる子の一部のみに限定することは、あなたの関わる関係の中に罪悪を持ちこみ、それらの関係を実在しないものとしてしまう。あなたが全体性の中の特定の側面のみを切り離して取り出そうとし、自分が思い描いている必要を満たすためにそれらの側面に目を向けようとするなら、あなたは分離を用いて自分を救おうとしている。それでいて、罪悪感が入りこまずにいられるだろうか。というのも、分離は罪悪感の源であり、分離に救済を求めるということは、あなたが自分はひとりだと信じているということだからである。ひとりでいるとは、すなわち罪悪感を抱いているということである。なぜなら、自分自身をひとりでいる者として経験することは、源とあなたの一体性を否定することであり、したがって実相を攻撃することだからである。

実相の断片を愛しながら、愛とは何を意味するかを理解することはできない。特別な愛を知らない神とは違う愛し方をしようとするなら、どうしてあなたに愛を理解することができるだろう。特別な愛を伴う特別な関係が自分に救済をもたらせると信じることが、分離が救済だという信念に他ならない。というのも、贖罪の完全な平等性の中にこそ、救済があるからである。あなたはどうして、一なる子の特別な側面が別の側面よりも多くを自分にもたらせると断定できるのだろう。過去がそれをあなたに教えたのである。だが、聖なる瞬間は、そうではないとあなたに教える。

罪悪感のゆえに、すべての特別な関係はその中に恐れの要素をはらんでいる。だからこそ、そうした関係は実に頻繁に移り変わるのである。それらは不変の愛だけに基づいてはいない。そして恐れが侵入したところでは、愛は完全でないので頼りにすることができない。あなたは自我を支持するために特別な関係を選択したが、あなたが作り出したものの解釈者としての機能を持つ聖霊は、その特別な関係を、真理を指し示す学びの経験として用いる。聖霊の教えのもとでは、すべての関係が愛を学ぶレッスンとなる。

聖霊は誰も特別でないと知っている。だが、あなたが特別な関係を作り出したことも知覚しており、それらを浄化し、あなたにそれらを破壊させないようにするあなたがそれらを作り出した理由がいかに聖性を欠くものであっても、聖霊はあなたが自ら差し出す限りの恐れを取り除くことによって、それらを聖性へと翻訳することができる。もしあなたが、自分が関わる関係を聖霊の必要のためだけに役立たせたいという意欲を聖霊に差し出すなら、どの関係も聖霊のもとに置くことができ、それが苦痛に終わることはないと確信していられる。その関係の中の罪悪感はすべて、あなたによるその関係の使い方から生じるすべての愛は、聖霊による使い方から生じるそれならば、その関係を破壊することになるだけのあなたの仮想の必要を手放すことを恐れてはいけない。あなたに必要なのは、聖霊が見ている必要だけである。

あなたが何らかの関係の代替にしようとする別の関係はどれも、聖霊がそれを使えるように聖霊に差し出されてはいない。愛に代替など存在しない。愛の一つの側面を別の側面の代替にしようとするなら、あなたは一方にはより小さな価値を与え、他方にはより大きな価値を与えたのである。あなたはそれらを分離させただけでなく、それらの両方を裁いたことになる。だが、あなたは最初に自分自身を裁いていた。さもなければ、あなたは決して、ありのままの兄弟たちではないものを自分が必要としたりはしなかっただろう。自分自身を愛に欠けた者と見做したのでない限り、あなたが彼らを自分と同じく欠如の中にいる者だと判断することはなかったはずである。


Ⅳ 聖なる瞬間の練習

3.自分自身に正直に聞いてみなさい。「私は完璧な親交を望むだろうか。そしてそれを邪魔するものはすべて永遠に手放したいと心底望んでいるだろうか」と。その答えが「否」である場合は、聖霊がそれをあなたに与える用意ができていることだけでは、それをあなたのものにするに充分ではない。


9.聖なる瞬間に必要な条件として、清くない考えを一つも持っていないことが、あなたに要求されているのではない。しかし、そうした考えを一つも持ち続けたくないと思うことだけは要求されている。

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pink cashmere
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