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ガンバ大阪 歴代外国籍選手列伝(2006〜2011)

 どうも、初投稿になります。サポーターによる各クラブの外国人列伝を読んでいるうちに便乗したくなったので、します。

ガンバ大阪を応援し始めたのが2006年からだったので、その年以降に在籍していた外国人選手を振り返ろうと思ったんだけど、いかんせん人が多い。なので無理がない程度にのんびり書きます。それでは、当時を懐かしみつつスタート!

MFフェルナンジーニョ(ブラジル 2004〜2006)

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 ガンバのリーグ初優勝の立役者でベストイレブンにも選ばれた161cmの小兵テクニシャン。実況アナの「運動量がありますフェルナンジーニョ!」という文言を謎に鮮明に覚えているので、運動量もあったんでしょう(語彙力)。実は俺がガンバの試合を見るようになった頃には干され始めていたので、正直言ってどんなプレーヤーだったか記憶が曖昧。スピードがあってドリブルがうまかったのを覚えている程度。あとめっちゃシュートふかしていたような。結局2006年限りでガンバを退団。いろんなクラブを転々として、傭兵Jリーガーの仲間入りを果たした。そんなフェルナンジーニョ、38歳となった今でもJ3の鳥取で現役を続けている。J3ではガンバ大阪U23との対戦機会もあるので、しばしば大阪に凱旋してきてはガンバサポを懐かしい気分にさせてくれる選手である。

DFシジクレイ(ブラジル 2004〜2007)

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 ガンバ大阪の守備の象徴とも言える背番号5を背負った伝説の助っ人CB。今でも愛されている選手なので、思っていたより在籍期間が短いな、とすら感じてしまう。引退後にはコーチとして三冠も経験。ガンバの栄光に最も貢献した助っ人なのは間違いない。正直なところ、昔の自分は録画した試合を早送りしてゴールシーンだけ観るガキンチョだったので、CBとしてのシジクレイのプレーはあんまり印象にない。けど空中戦も対人もアホみたいに強かったのはなんとな〜く覚えている。「残念そこは〇〇(選手名)」の有名な構文がありますが、その走りとなったのはこの選手です。

 外国人ながら主将に任命されるほど素晴らしい人間性も兼ね備えていた。加えて流暢な日本語に、父親に似た安心感を与える見た目も持ち合わせる。実際超優しい。握手を求めたら笑顔で応じてくれたの本当に嬉しかったな。

FWマグノ・アウベス(ブラジル 2006〜2007.11)

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 前年のリーグ得点王&MVPアラウージョの後釜として、大分から引っこ抜いてきたストライカー。ブラジル代表に選出されたこともある大物なだけあって、得点力が桁違いのマジもんの化け物だった。第2節の大阪ダービーで移籍後初ゴール含むハットトリックを達成すると、その後もバカスカとゴールを量産。最終的に26ゴールをマークし、ワシントン(浦和)とともに得点王を勝ち取る活躍を見せた。

 どこからでも、どんな形でも得点できるのが凄いところ。狭いエリア内だろうがミドルレンジだろうが御構いなし。ヒョロガリな見た目とは裏腹にフィジカルも優れているから強いヘディングシュートも叩き込める。幼いながらチームの「マグノに出しときゃなんとかなる」的な空気は感じ取っていたし、実際なんとかなった。大雨の中行われた京都戦(◯3−2)で達成した、2連覇へ望みを繋げる伝説のハットトリックは今でも鮮明に覚えています。ちなみにこの試合で京都は降格が決まり、ガンバは結局優勝を逃しました。ごめんね京都。3ヶ月くらいノーゴールだった時もあったし、チームメイトの播戸に「俺が10点取るまでマグノには相手にしてもらえなかった」と、人としてアレなエピソードを暴露されたりしたけれど、それを差し引いても非常に優秀なストライカーだった。いや、優秀なストライカーだからこそかも…。ただ、GK抜いた後はなぜかシュート精度が素人以下になって外す。本当になんで???

 退団の仕方も強烈だった。翌年は怪我もあって本領発揮できないでいると、シーズン最終盤に無断でガンバの練習を欠席してサウジアラビアのクラブと仮契約。当然クラブ幹部の逆鱗に触れ、2試合を残してそのまま契約解除でアディオスした。この頃からかね、アラブの石油王に札束でひっぱたかれるようになったのって。

 43歳となった今でも元気に現役でプレーしているとのこと。ちなみにキャリア通算得点数は、現役選手の中では3位。ファルカオとかグリーズマンよりも上らしい。去り方はあれだったけど、そんなすごい選手がガンバにいてくれたこと、今となっては感謝しかない。ちなみに1位と2位は皆さんご存知、人間やめたあの2人です。

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人間辞めた2人

MFルーカス(ブラジル 2006.8〜2006.12)

 じゃない方のルーカス。存在自体初めて知った。初のC契約外国人選手らしいね。

FWバレー(ブラジル 2007〜2008.8)

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 甲府から引っこ抜いてきた190センチの大型FW。Jリーグ創設以来唯一のダブルハットトリック(1試合6得点)達成者である。柏サポからしたら思い出したくもない存在だろう。本名はジャデル・ヴォルネイ・スピンドラー。ご覧の通り本名にバレー要素は皆無。「バレーコーラ」というブラジルで人気のジュースをしこたま飲んでいたら、バレーと呼ばれるようになったのが由来。我々は知らぬ間に、ブラジルにある得体の知れないジュースの名を声高に叫んでいたらしい。

 その体格から察するにポストプレーに優れた選手かと思いきや、である。当然見た目通りフィジカルも強かったが、それ以上に機敏な選手で、裏抜けもドリブルもできる万能型のストライカーだった。開幕前の序列はマグノ、播戸に次ぐ3番手だったが、開幕戦で途中出場から決勝ゴールを決め、すぐさま完全にFWの1番手として定着。当時Jリーグ最強クラスだったマグノ・播戸の強力2トップに自力で風穴を空けた。結局1年目は20得点。ベストイレブンに選出される文句なしの大暴れをかました。

 2年目も夏場までの18試合で10得点と、名実ともにガンバのエースとして君臨。そんな時、またもや中東方面からターバン巻いた石油王がガンバを札束でひっぱたいた後バレーを拉致した。ちなみにこの時の移籍金は6億5000万円で、その大半がガンバに入ったとのこと。そんなレベルの札束でひっぱたかれたら太刀打ちできるわけがない。

FWロニー(ブラジル 2008.8〜2008.12)

 横浜FMで燻っているところを「今日からお前はバレーの代わりや!」とレンタルで獲得。元ブラジル代表だったらしいが、はっきり言ってしまえばその肩書きに見合ったプレーは、マリノスでもガンバでも見せられていなかった。ACL優勝メンバーの1人なので、表彰台の写真に見慣れない坊主頭がいたらこいつである。キャリアを終えた後は実業家に転身したそうだが、先月詐欺グループの主犯格として逮捕。アホかね君は。

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犯人はこの中にいます

DFミネイロ(ブラジル 2008)

 なんかいたなあ。正直言って全く覚えていない。多分シジクレイが抜けたCBの穴を埋めるために獲得したんだろうけれど、だいたい山口と中澤が試合出ていた記憶。ちなみに上の写真で山口の右隣にいるのがミネイロ。彼は犯人じゃないです。

FWルーカス(ブラジル 2008〜2010)

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 いわゆるルーカスです。FC東京では『キングオブトーキョー』ことアマラオと並んで崇拝されている助っ人外国人。移籍先のガンバでもめちゃくちゃ愛された。ミドル打てる、ヘディングも得意、献身的なポストプレーと守備、二列目もこなせるポリバレントさ。あと日本語も堪能で「日本人よりも日本人」なブラジル人だった。シジクレイもそうだが、日本語がうまいブラジル人助っ人に悪い奴なんていない。2008年のACL決勝では2試合で3ゴール1アシストの大活躍。アジア王者になれたのは紛れもなくルーカスのおかげである。ガンバには三年間所属して退団し帰国。2011年5月にブラジルで一回引退するも、J2に落ちたFC東京を救済するため7月に現役復帰。最後までFC東京の得点源として活躍し、2013年のシーズンオフ、正式に現役を退いた。

 引退後もよく日本に来ており、2015年はガンバのファン感でOB戦にも参戦してくれた。入団経緯を考えればFC東京に強い愛着があるだろうに、ガンバにも深い愛情を持ってくれているのが本当に嬉しい。ガンバを去って10年近く経ったけれど、未だに大好きな選手の一人。ガンバに来てくれて本当にありがとう。

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OB戦で久しぶりに万博に帰ってきた(2015年)

DFパク・ドンヒョク(韓国 2009〜2009.7)

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 元韓国代表、前年のKリーグベストイレブンの実績を引っさげて加入した鳴り物入りのCB『だったらしい』。開幕当初は出場機会を得ていたが、徐々にフェードアウトしていった『らしい』。正直覚えていない。すぐ柏行ったし。ただこの選手あたりから、韓国人助っ人路線が開拓されていったような気がする。

FWチョ・ジェジン(韓国 2009〜2010)

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 清水では押しも押されもせぬエースとして活躍していた大型ストライカーがガンバに入団。韓流スターのような端正なルックスも相まって高い人気を誇っていた。空中戦に強く、足元もあるプレーヤーとしてかなり期待されていたけれど、2年間所属したガンバではそこまで活躍ができなかった印象。特に2年目は10試合無得点と、全く活躍できなかった。1年目は二桁得点してたし、なんだかんだで実力はあったから惜しいなあ。

FWレアンドロ(ブラジル 2009〜2009.8、2012.6〜2013.6)

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 例によって、他クラブの外人エースを引っこ抜いて来たら大当たりでしたシリーズ。開幕戦からスタメンに名を連ね、ゴールを量産した。特に左45度からのシュートは絶品級。今でこそ「ウィジョゾーン」と呼ばれたりしているが、かつては間違いなく「レアンドロゾーン」だった。ACLでも大活躍。ガンバはラウンド16で敗退するも、大会通じての得点王に輝いた。すごすぎ。当然中東が放っておくわけもなく、たーくさんのオイルマネー(7億5000万円)と引き換えにアラブの地へ去っていった。ここまで引き抜かれると我々も慣れたもので、「レアンドロ獲られちゃった…」よりも先に「次は誰を引っこ抜いてくるんだろう」と考えてしまうのだから恐ろしい。

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 3年後、降格圏に喘ぐガンバの救世主として家長昭博と共にレンタル移籍で再加入。半年間だけで15試合14得点とレベルの違いを見せつけたが、チームはあえなく降格。翌年もJ2で19試合13得点と序盤は貴重な得点源として大活躍。しかし降格に伴う財政緊縮と移籍金高騰のダブルパンチを食らってしまえば買取できるはずもなく、6月末をもってお別れ。その後は柏とか神戸で活躍(2016シーズン得点王)して、今は東京Vでプレーしている。

FWペドロ・ジュニオール(ブラジル 2009.8〜2011)

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 当時の記事では『G大阪の強奪返しや!新潟からP・ジュニオールを完全移籍で獲得』みたいなタイトルつけられていた記憶がある。加入前までの成績は21試合10得点。中東に行ったレアンドロに代わる得点源と期待しての獲得だったけれど、テンポの良いパスワークを信条としていた西野ガンバにボールをこねくり回すPJがフィットするはずもなく、挙げ句の果てに『持ちすぎ禁止令』を公布、施行される始末。そもそもストライカーの代役にウインガータイプを立てるのが疑問。そして翌2010年の第3節・新潟戦で事件は起こる。負傷したルーカスに代わって途中出場したものの、ゲームに入れないまま24分後に途中交代を命じられる。いわゆるインアウトというやつで、サッカー選手にとっては最大級の屈辱。これで完全に頭に血が上ったPJちゃんは、西野監督に暴言を吐いてユニホームを叩きつける造反行為に及んだ。後日ミーティングで謝罪したらしいが、西野監督が許すわけもなくそのまま片道切符のレンタルに出され、ガンバに戻って来ることはなかった。

 造反行為の擁護は全くできないけれど、PJのプレースタイルとチーム戦術の不一致は予想できたはず。獲得の経緯含め、互いがひたすら損をした不幸な移籍劇だったなあと思う。

FWゼ・カルロス(ブラジル 2010〜2010.8)

 近年稀に見る大外れもいいところな外国人選手。あまりにもオーバーウェイトだったので西野監督からグアムキャンプへの参加禁止を通達された。ネタは豊富、プレーは見てない。まあ外れ助っ人外人ってこんなもんよね。

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ガンバでプレーしていた証拠となる、非常に貴重な写真

FWドド(ブラジル 2010)

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 「左利きだからマラドーナっぽい」、「前線の選手だからマラドーナっぽい」、「ブラジルとアルゼンチンは近いからほぼマラドーナ」みたいな触れ込みで愛媛から加入してきた記憶。本名もドーグラス・マラドーナだった。左足から繰り出されるシュートは強烈だったらしく、リーグ戦でも1点だけ取りはしたが、それ以外の記憶があまりにも薄い。というかほぼ無い。夏場にやたら各メディアが「救世主はドド!」って持ち上げていたような覚えはある。今はどこで何しているんだろうか。

FWイ・グノ(韓国 2010.7〜2011)

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 シーズン途中にジュビロから入団してきた韓国代表ストライカー。裏に抜ける技術に長け、ガンバにショートカウンターの選択肢をもたらした。1年目は4得点と振るわなかったが、2年目は15得点をあげる活躍でガンバの優勝争いを演出。シーズンの優秀選手賞も受賞し、たむけん主催のガンバTVアウォーズではMVPに輝いた。結構ガンバを気に入ってくれていたらしいが、韓国籍選手に必ずと言っていいほど付いて回る『兵役制度』には抗えなかった。一度は契約延長に合意したが、自ら違約金を払って同年限りで退団した。翌年の降格はイグノ退団の影響も少なからずあると思っている。その後は母国のリーグで活躍し、ブラジルW杯メンバー入りを果たすなど順調にキャリアを積んでいった。いい選手でした。

FWアドリアーノ(ブラジル 2011〜2011.6)

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 前年のゼ・カルロスの失態によって「やっぱうちはJクラブから引き抜いてなんぼやな!」となったのかどうかは知らんが、前年セレッソでの活躍を受けて保有元のインテルナシオナルから完全移籍で獲得。ガンバお得意の手法である。いきなりの古巣戦となったデビュー戦の開幕戦大阪ダービー(要素が多い)では先制点を決めてガンバの勝利に大きく貢献。その後も得点を量産し、8試合で9得点をマークした。見ての通り決定力とスピードに優れ、足元もうまく「さすがインテルナシオナル産!」と言いたくなるような優秀なFWだった。ただこれだけ目覚ましい活躍をされると「そろそろ中東からお迎えが来るなぁ」と覚悟を決めてしまうのが、我々ガンバサポの悲しい性。案の定ガンバのクラブハウスには大量のカタール・リヤル札が届き、アドリアーノは去っていった。しかし震災による中断があったとはいえ、8試合は少ねえわ(笑)。

MFキム・スンヨン(韓国 2011)

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 「いい加減に加地のバックアッパーどうにかせーや」という理由で韓国から直輸入した選手。ただ守備に難があってサイドバックで使うには怖い!じゃあサイドハーフで使ってみよう!よっしゃ、フィットしたわ!と、いつのまにか二列目が主戦場に。ちなみに加地のバックアップ問題は未解決のまま。これでいいのか…。最終的に28試合に出場し、4得点とまあまあ活躍した。カウンターで「行ってこーい」するにはうってつけの選手で、ジョーカーとしても結構優秀だった記憶。神戸戦ではガンバTVの公約通り、ゴールパフォーマンスで人気アイドル・少女時代の振り付けを踊るなどお茶目な面ものぞかせた。個人的には1年で切っちゃうには勿体無かったかな〜とも思う。もう少し見ていたい選手だった。

FWラフィーニャ(ブラジル 2011.7〜2012.6)

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 「アドリアーノ引き抜かれたから引き抜いたろ!」と言って当時J2の草津から獲得したブラジル人ストライカー。もはやガンバ夏の風物詩である。移籍の経緯が経緯だったので「PJみたいになりませんように…ドキドキ」と我々の不安を誘ったが、それを吹き飛ばすかのように初出場となった鹿島戦では途中出場ながら2得点の大活躍で鮮烈デビュー。一気にFWの軸となり、以降もコンスタントにゴールを挙げ、「真夏の救世主」として崇め奉られた。がしかし、翌年は名前を書くのも憚られる監督とヘッドコーチが就任しやがり、チームは一気に暗転。ラフィーニャもコンディション不良に陥り、シーズン中に契約解除された。なお、その3年くらい後にマリノスでそこそこ活躍しているラフィーニャを確認できた。

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コナンで映画デビューも果たした。死ぬほど似てない

FWアフォンソ(ブラジル 2011)

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 夏場にちょこちょこ出番をつかんで、いくつかアシストしていたような。5試合しか出てないし、印象は無い。


とりあえず西野朗政権が終わった2011年まで振り返ってみました。ちょうど20人!!すでに引退した選手も多く、時の経過を感じさせますが案外覚えているものですね。2012年以降の選手も近いうちに振り返ります!

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