西野水道
今日は湖北野鳥センターのイベント「季節の自然観察会・西野水道観察会」でした。
初めて行く場所。
水筒、帽子、懐中電灯、双眼鏡、カメラ、タオル、メモ、冷感グッズ、長靴。
滋賀県指定の史跡になっています。
江戸時代からこのあたりの西野地区は大雨のたびに洪水の被害に遭っていました。(もっと以前からだと思います。)
洪水のたびに農作物が全滅して村人が飢餓でなくなっていくのに、本来ならこのような村を捨てて他に移り住むものなのに、この地区の人たちはそうしなかったということです。
村に愛着を持っていたというのもあるのでしょうが、洪水の起きた翌年は豊作になることを長年の経験から知っていたため離れたくなかったようです。
洪水で山から押し流されてきた泥は、多くの栄養を含んでいるため、翌年に豊作になるという事らしいです。
それでも洪水のたびに村人が飢餓でなくなるのを繰り返すのは良くないと、洪水の原因になっている西側の山(西山?)を削って、水を琵琶湖に逃がそうということを考えたようです。(当時の彦根藩に削らせてくれとか、頼んだのでしょう。)
そんなこんなで山を人力で削り始めたということです。かなり大変な工事だったようです。
余呉川の放水路として完成したのは1845年とあります。
江戸時代の人力で掘られたトンネルなので、人一人分の通り道しかありません。そして、明りは無いです。貝殻に油を入れて照明代わりにしていたようです。
この山には古保利古墳群があるということですが、どのあたりがそれなのかわかりません。
天井にはカマドウマが沢山ぶら下がり?ライトが当たってはカサカサ歩いて逃げたり。結構たくさんいました。
また蝙蝠、イシガメ、クサガメ、サワガニなど他にもいたかも知れません。何かを見つけても、そのあたり結構無知なので??となります。
中は本当に一人分の幅で、足元は水が流れています。少し深くなっているところや、石がごろごろしていたり。
天井が高くなっているところがあるのですが、間違えちゃった場所だということです。本来地面を斜めにしていかなければならないところを、平たんにしてしまったため、もう一度地面を斜めに下っていくように掘りなおしたので天井が高いということです。
そのあたりで、職員さんの呼びかけで一斉にライトを消しました。
真っ暗闇。
本当の闇。
素晴らしかったです。一切の明りがないのですから。そうそう経験することの無い真の闇の中に佇む自分。自分の前に幽霊がいたとしても気付きませんよ。
半分ほど歩いたところから、落盤防止の骨組みがなされていて、更に狭く天井も低くなっていますが、中腰で歩いて行ける高さです。
そこを通って出口。
中を歩いているときは結構涼しかったですが、出口に近づくにつれて少しずつ暑さを感じるようになってきました。
この水道(放水路)は現在使用されていません。3代目の放水路が使用されています。
職員さんが水道の中で亀を捕まえていました。
それを出たところで放して、じっくり観察しながら説明してくれました。
その亀、職員さんの見立てで、おそらくイシガメとクサガメの交雑種とみられる特徴があるということです。これが増えると、日本固有種にとってはよろしくないということです。
確かに私が幼いころに見ていた亀の特徴とは少し似ているのですが、首のあたりに気味の悪い黄色をした模様は見たことが無いです。今よく見る亀にはその黄色の模様があって、気味悪いなと思っています。
この場所に来たのは初めてです。このような場所があることを知りませんでした。
リス、鹿、イノシシなどがいた痕跡を教えてくれました。
様々な虫がいて、琵琶湖には魚やエビ、そして水鳥。植物のこともほとんど知らず、もう(へぇ~)な感じです。
逆に親子連れで参加されてる方達の方が詳しくて、田舎育ちで虫も平気、植物の名前も葉を見ただけでわかったりと、凄いなと恥ずかしながら感心していました。
子供たちもポンポン名前が出てきて、毎日自然の中で遊びながら学んでいることが良くわかります。私のように田舎なのか都会なのかわからないような中途半端な地域で育った者には、なかなか備わらない知識です。
そんな子たちが、更に知識が豊富な職員さんたちから新しい知識を吸収していくのだから、大したものだなと思います。
帰りは二代目西野水道を通って戻りました。
ここは車一台分のトンネル状になっていますが、「全車乗り入れ禁止」。 徒歩のみ通行可となっています。
出入り口までまっすぐで広いため、中はそこそこ明るいです。
昔の人たちの努力が今に残っているお陰で、初めて目にすることができた景色。ありがたいです。
大人になっても、探検は楽しいものです。