記憶の行方S8 小さな出来事 白いネコ
「花に八つ当たりすんなよ」
Iくんは、いつも優しい。
「枯れる美しさを知りなさい!って、声楽の先生が言ってただろ」
高校一年生の時の音楽の担任は、声楽が専門で、受験には関係ないと思われがちなクラスでの授業は、誰も聴いていないという事態に悪戦していた。わたし以外にも先生の言葉を聴いていた人がいた。
「わかってるよ、けど……わからない!わかりたくない」
「俺もわかんないよ」
「ほら、わかんないじゃん!」
二人の声以外には、波の音しかしない。
日が暮れるまで、海を眺めていた。
わたしとIくんは、海岸線に打ち上げられた花束を拾い集め、しばらく、応接間の花瓶に生けた。枯れていく花を眺めて、母が眺めて来た庭を眺めた。白ネコは、少し老いぼれて、首の骨が突き出てきた。
「白ネコにも白髪って生えるのかな」
時々、Iくんは、白ネコを撫でに自転車でやって来て、応接間の小さなアップライトのピアノを弾いていた。
「ええ?どうだろうね、じじネコだから、もしかして、全部白髪だったりして」
白ネコは、ニャアとも言わず、目を細めて撫でられていた。
池には、自然に増えた、錦鯉意外の鯉がいた。
小学生の頃、黒白と呼んでいた鯉と赤黒と呼んでいた鯉が並んで泳いでいた。
時の流れは止めらないものか、わたしは、静かに時間を見つめていた。
それから、10年後。
わたしたちは、家族になろうとしていた。
Kさんは、タバコを辞めて、少しだけ顔色は、青味が取れて、心なしか健康的に見えて来た。子は、なんとなく、立ち姿や話をするグルーブがKさんに似て来た。
そういえば、一枚も家族写真がなかった。せっかくなので、写真家に撮って頂こうとと思っていた。ちょうど、新宿駅が改装されようとしていた。
新宿にまつわるエピソードを200字ぐらいにまとめて応募したら、応募者の中から家族写真を撮ってくださり、新宿駅改装中は、家族写真の看板で工事現場が覆われることになるという、そんな企画があり、撮影を担当する写真家の生い立ちが気になり、偶然、今はない高円寺の文庫センター前でばったり会い、その人に撮っていただきたいな、と、思い、応募した。
Yさんは、カメラのファインダー越しに
「家族に見えますよ」
と、一言言った。カメラマンとは、よく見えている人で、応募者が何名いたのかわからないけれど、いろいろなことが、わかった上で撮りたいと決めてくれたそうだ。カメラを向けられると瞬時にお互いにお互いの素がわかってしまうのは、不思議なことだ。
どのようにしたら、家族になれるのか、わたしには、よくわからなかった。母になれば、歳をとれば、わからないことも少しはわかってくるのかと思っていたが、わからないことは、増えて、忘れることも多いかな、と思い始めていた。
撮影の後、数ヶ月過ぎた頃、看板になった写真と看板にならなかったラフショットの写真が引き伸ばされ、数枚送られてきた。
新宿駅南口改札を降りたら、真正面に等身大パネルの3人の家族写真が飾ってあった。新宿のお店のお客さんや学生の頃からの友人からメールに写真が添付され、「大隈重信以来記念撮影してやったぜ」などと、メールが届いたりした。
Kさんは、何か背負う覚悟を決めたように真正面を見据えて、子どもを肩に抱いて立っていた。
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