トーマス・アデスの曲を聴いてみて思うこと。

イギリスの天才作曲家こと、トーマス・アデスの曲を聴いた。日本初演というから、貴重な体験だったのだろうと思う。

と、いうのも、浮遊感と跳躍感で、本当にあった出来事だったのか、演奏が終わった直後に現実味がなく、とても、困惑した。それほど、どこかに連れて行かれたな、そんな20分間だった。その後は、組曲「惑星」作品32をすべて、初めて聴いた。ジュピターは、聴いたことがあったけれど、

惑星といったら、

第1曲「火星」-戦争をもたらす者

第2曲「金星」-平和をもたらす者

第3曲「水星」-翼のある使者

第4曲「木星」-喜びをもたらす者

第5曲「土星」-老年をもたらす者

第6曲「天王星」-魔術師

第7曲「海王星」-神秘なる者

グスターヴ・ホルストの作曲です。

プログラムノートにわかりやすく解説がありました。

感想を書いてみて、プログラムノートと照らすと面白い。書いた答えは、すべて、正解と思う。それほど、感想は、多様なもの、と思う。

映像表現とクラシックの音楽のミクスチャーは、初めて見たことだったので、チェレスタやオルガンで地球の地響きを感じ、合唱は妖気の風を感じさせて、本当に恐ろしいのは、自然か?それとも、人間?、恐怖について、考えてしまった。

いつか、文化祭でやってみたかった、プロジェクションマッピング。(実現しなかったのだけれど、)実際に体感すると、もしかして、これは、映画音楽の初演の追体験かもしれないなぁと思った。

「ピアノとオーケストラのための協奏曲」
これは、トーマス・アデスがガーシュウィンのために作ったものと言われますが、

1楽章の始まりを聴くと、あ!これは、アイガットリズム???かな???と、イントロクイズを出されたら迷うかも。

え??いま、私どこにいますか?ああ、多分、現実の世界にいる。と、日常の時間に戻れたのは、3日後ぐらいでした。

終わった直後に行われたTwitter spaceでも振り返り16分間あまりのトークも聴いていた。イヤホンで聴いているから、耳の近くで話されているような感覚になり、なんか熱くなりすぎてぼんやりしていた。少し暑い日の夕刻、生ぬるい風が吹いたので、もうすぐ雨だな、と感じ、空気の湿度の変化に、街中の景色がぼやけて見えてしまったので、水を飲んで、脳に水分補給して、現実の思考に戻ろう、と、一刻も早く帰ろう、と、帰路を急いだ。日常に戻れないかもしれない、そんな恐さがあった。

帰り道は、最新シングルをApple musicで聴きながら、現実の音を聴く準備に入っていった。

電車から見る風景は、リアルだったけれど、違う風景に見えた。時は過ぎて、年老いていくはずが、新しく生まれ変わった自分に出会うような感じもして、コンサート終わりは、一歩前に行けたような気持ちになる。

過去も大事にしたいが、ほんの少し、これからのことを考えた。

正しい欲は、生きる上で大事なことだと思う。そこにたどり着くまでに、時間がかかる人もいると思う。本当は、それ、つかみたくないのに、つかんでしまう。そんなこともあるはずです。それは、失敗なのか、その後に何をつかむかで決まるんじゃないかなぁと、いつも歩く道なりを歩きながら考えていた。

アデスの曲は聴くと混乱のトンネルに入っていくようで、聴いた後は、多様性と呼ばれる世の中に放り込まれて、現在地を確かめる、なんて、ことを試された気がした。

トーマス・アデスが天才と呼ばれているのは、なぜなのか?

歌うと自然な流れ、楽譜を見るとなんじゃこりゃな、譜面。6分の2拍子?5分の4拍子?聴いたら、ぶれぶれの揺れ揺れの感覚になる。しかし、かならず、合う瞬間があって、来た!それは、星の巡り合わせっていうホルストが触発されていた占いみたいに巡ってくることかもな、と、思った。

2階席で聴いていたのですが、弾き姿がちょうど、踊っているようで、このコンチェルトって、もしや、踊りながら弾くピアノ曲なんではないかと、聴いて3日目にして思う。

タブレットは、横に置かれていた。

あの譜面を暗譜したんだな。すごい集中力だ。

音楽は、どの視点で楽しんでもよいものだと思う。

隣に座った方は、カプスーチン追悼コンサートで一番前に座って、体が揺れまくっていた方で、カプスーチン好きな人は、トーマス・アデスも楽しめるんだろうな、と、思う。

そして、隣に座った方はスニーカーを履いていらっしゃり、おそらく、仕事帰りに急いで駆けつけた方。何で、聴きたくなるんでしょうね。

なぜ、人は人を魅了するのでしょうね。

なるほど、こんな世界もあったのか、と、少しだけ視野が広がったように思えた。

しかし、やっぱり演奏者の手元を見てしまう。眩しすぎて、直視できないでいた。もちろん聴いていた。  

なぜ、人は、人を惹きつけるのか。

埋められないエアポケットをほんの一瞬、いっぱいにしてくれる。

そして、さっと、期待をこえて、次の新しい時間を呼ぶ。

ここではないどこかへ行ってみたいと誰しも思う。そんな場所へ行けるんじゃないかと思わせる。

身近なところでは、埋められない何かがある。身近なもの、それらは、すべてリアルだからだ。

逆のことを考えたら

ファンタジーでしか、余白は埋まらない、そんな現実を誰もが知っているってことではないかと思う。

どうしようもないリアルは常にあるもの。

2時間あまりの旅。楽しかった。


追記:NHK FM、ブラボーオーケストラにて10月16日(日)19時20分ごろ〜当日の演奏、ソリストのアンコールまで聴けるそうだ。トーマス・アデスもそうですが、ホルストの惑星を全部聴くことも貴重なこと、そして、1971年生まれの作曲家トーマス・アデスと1898年生まれの作曲家ジョージ・ガーシュウィンを聴き比べるのも楽しいかもしれません。

ちなみに、ジョージ・ガーシュウィンは、9月26日生まれの天秤座。トーマス・アデスは、3月1日生まれの魚座。ちょいと、Google先生に聞いてみると、星どうし、お互いを頼り合う関係らしい。




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