記憶の行方S32 小さな出来事-未来トンネル
シーン32○夜のトンネル、朝の景色
このところ、夜のトンネルばかり運転している。アクアラインを抜けると銀座はまだ明るく、もうすぐ、家にたどり着くはずなのだが。
早朝、渋谷の交差点には、家路へ向かう人びとが歩いている。高井戸インター付近は、既に混雑していた。
かつてあった、古い校舎は跡形もなく、高層マンションが建築中。
通り過ぎた景色は、もうどこにもない。
「会いたいんだ。」
昨日の雨に濡れた帽子がフェンスに置き去りになっている。
おもちゃのスコップとバケツが砂場にそのまま置いてある。
「これ。」
こどもは、手にしようとした。
「誰かの忘れ物だよ。取りに来るから、そのままにしておこう。」
親子は、何も持たず公園を通り過ぎた。
運転席の男は、茶色に煮詰まったようなスニーカー履き、無精髭を生やしていた。
「ゴミは出した?」
カラスは鳴いた。
女は服を着て、
男は歯磨きを始めた。
振り返ると暗がりのトンネルはなかった。
(ぼくはいつ生まれたんだろう。)
早朝の青白い空には、太陽が昇り始めていた。
男は、クランクアップの花束を持ち、玄関の鍵を開け、ドアを開けた。
「ただいま。」
靴を脱いで、花束を持ち部屋へ歩いて行く。
「おかえり。」
と、玄関奥からこどもの声がする。
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