1600年以前の作曲家:ヒルデガルト・フォン・ビンゲン(前編)

1098年〜1179年 ドイツの作曲家です。

私が、クラシック音楽をもっと、知ってみたいな、と思ったきっかけは、ショパン、そして、ジョルジュ・サンドの存在でした。彼、彼女が生きた時代から、さらに遡って、1098年〜1179年を生きた女性の作曲家がいます。彼女の名前は、ヒルデガルト・フォン・ビンゲン。

ラインライト、ドイツ西部の生まれです。

10人きょうだいの末っ子だったようです。

5歳で幻視の体験をし、その体験を挿絵や音楽に表して行きました。

ヒルガルトは、貴族の生まれ。それほど、裕福ではなかったようです。そのため、8歳の時、地域の有力者であったとても裕福なシュポンハイム家のもとに預けられ、育って行きます。ユッタ・フォン・シュポンハイムは、若く敬遠な女性でした。ヒルガルトは、ユッタにラテン語と詩編を学びました。

6年間の共同生活を経て、修道院で生活を始めます。

はじめは、(男子)修道院で生活をしていました。

その後、小さな女子修道院が併設され、ユッタが院長になります。

修道女は、修道士から隔離されて、小さな部屋で暮しました。

1115年、ヒルデガルトは、正式に修道女となります。

ユッタが亡くなった後は、後を引き継ぎ、修道院の院長となります。

修道院の名前は、ディジポーデンベルク修道院といいます。そこで、ヒルデガルトは、14歳になった頃、信仰生活を始め、40年間過ごしました。

ヒルデガルトのよき理解者として、フォルマールがいました。修道士であり、書記でもありました。フォルマールは、ヒルデガルトの幻視体験の記録を行い、彼女の手助けをしました。フォルマールは、彼女の霊的指導者であり、聴罪司祭でした。

-後編へつづく。

※これらは、composers「図鑑 世界の作曲家」(東京書籍)

日本語版監修=岡田暁生先生

を読んで書いています。

なにぶん、お勉強中の文章です。間違い、修正、追記が必要な場合は、お教えください。

どうぞ、よろしくお願いいたします。

追記:ちなみに、岡田先生とは面識は全くありません。

いつだったか、坂本龍一さんのラジオ番組に対談でゲストにいらしている時の話を聞いていて、人文学者で、音楽の研究をしていらっしゃるのは、とても面白いと思いました。音楽を知ることは、人間を知ることかな、と、思います。

誤解を恐れず書くとしたら、

いつか、お目にかかりたいです。

もちろん、坂本龍一さんにも。




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