記憶の行方S22 小さな出来事-エチュード
「おかん、全部嘘て、嘘やろ。俺は知ってるよ。」
僕は、母が亡くなった時に本当のことを知り、最期まで嘘をついたのは、なぜか、考えていた。
映画は嘘でつなげた物語だけれど、嘘を見抜けないほどこどもではない。こどもにもわかる嘘がある。嘘と知りつつ、ぼくたちは、家族を続けて来たのだ。
僕は、ずっとKさんを父と思って過ごして来た。
似ても似つかぬ僕の顔と身体、声、Kさんは何を思って僕を肩車して来たのだろう。
金木犀の花が咲き、小さな庭を見つめて、母が眺めた景色を眺めていた。今までのキャリアを捨てて、八百屋を継ぎ、母は、何を思ったのだろう。
時々、八百屋の合間に、ミニシアターへ出掛けて、ぼくも一緒に映画を観ることがあった。
「小鳥とわたし」という、小さなショートムービーを観たことがあった。
日常の風景と目玉焼きが焼ける音、椅子が踊る、人が飛んでいる。裸体の鞍馬。タバコの火がフィルムに穴を空けてしまい、青空が見える。誰かの夢の中の出来事のような映画だった。
ぼくは、その映画に流れている音楽が気になった。とても懐かしい、子守唄のようだな。と、思っていた。
「おかん、あの音楽なんかよかったね。」
ぼくは、母と観た映画の中で珍しく感想を言った。
「そう?あれ、よかった?」
母は、珍しくショートムービーを観た後に笑った。
DVD-Rを一枚、何度も見返して、かれこれ、半日が過ぎて、母は、ピアノの椅子から離れなかった。鍵盤ハーモニカや竹で作った竪琴など、何度も映像に合わせて、あれこれ音を出していた。
Kさんは、そんな母の背中を見て
「今は、話しかけない。静かに、」
と、いい。部屋の扉を閉めた。
Kさんと僕は2階の子ども部屋で聴いていた。
あの映画で聴いた懐かしいピアノ曲は、母が作った曲だった。
楽譜の棚を見たが、譜面はなかった。すべて即興演奏で、途中で、「ちがーう!」と、母の鼻声が入っている、なんども、録音し直したUSBが残っていた。
譜面台に残されていたのは、Iさんが作った連弾曲ともう一曲、鉛筆書きの譜面があった。タイトルのない、途中までの譜面だった。
ぼくは、その続きを書いてみたくなった。
Iさんもアルバムだけ置いて他界した父も、手紙のような一曲を書いている。
ぼくにとっては、それらがエチュードで、
こどもの頃聴いた、懐かしいピアノの音を鍵盤で探りながら弾いていた。
それから、ポストに届いて半年が過ぎたエキエル版のショパンのエチュードの譜面を開き、眺めては、一音一音確かめていた。
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