国際フォーラムAにて
開始前、ぎりぎりまで、zoomのミーティングだった。日曜日というのに仕事をしている。日々は、ままならないことの方が多い。
子はついに成人し、今後の決意を話され、ついに、自立の道を歩み始めるのか、と、とても個人的に嬉しい祝いの日となった。
昨日は、ガーシュウィンを聴いて過ごしていた。
in Fで始まる曲は、ジャズの初心者向けの曲として勧められる。枯葉が落ちようとin Fは、始まりを予感させる。
ガーシュウィンが大真面目にクラシックとジャズをミックスさせて作ったのは、不自由さを乗り越えようとしていたのではないかと聴きながら思っていた。
ガーシュウィンの曲を聴けば、どんなに暗くて長い道があろうとも、歩いていけば、小さな光が見えてくる、未来は開けるよ、そんなメッセージがひしひしと伝わってくる。
極私的には、2〜3日前のこと、
porgy and bess.
を大泣きして聴いていた。
意外にも初演は盛況ではなかったそうですが、ニューヨークで受け入れられたのは、納得で、いろんな人がいる、ってことを街がわかっているから、と、思う。
「ラプソディー・イン・ブルー」
どこか、おとぼけ感のある、オーボエの音、そして、人の心のキビとやらを噛みしめて、最後には、笑えてしまえる。
ガーシュウィン!!!
すごいぞガーシュウィン。
と、いったところで、ガーシュウィンに届くはずはないとわかっているのですが、
ガーシュウィンの素晴らしさは、未来を感じさせるところ、まだ、触れたことがない人は、ぜひ聴いて欲しい。
特に、小学生に聴いて欲しい。
学生の頃、ミュージカルやオペラの鑑賞は、学校単位で、観に行く時間があった。カリキュラムとして組まれていました。美しさに触れること、おかしみを目の当たりにすること、大人の思惑として、さりげなく、ほんとうにさりげなく、何を伝えて、何を育むのか、日々、考えることがあります。
幼少期、学童期に何を観たり聴いたりするのか、その後への影響力は大きいはず。
子も、クラシック音楽、ジャズや能楽など、鑑賞する機会に恵まれた。案外、ジャズを聴いて育って来たんだな、と、振り返っていた。わたし自身はクラシック音楽の鑑賞会に恵まれたなあと思う。
そして
今日、国際フォーラムAホールで聴いた
piano concerto in F
中間部のシンプルなとてもシンプルなメロディーがとても好きだ。
ガーシュウィンの少年の心が宿るメロディーだと思う。
走りまわるこどもの疾走感、あれ何?これ何?と、質問する純真な好奇心みたいなものが音として聴こえてくるようなメロディー。
今、そして、これから、未来は、すぐそこ、ほんの少し先のこと、歩いてみようではないか、と、思わせる。
会場を後にする方から笑顔、そして、よかったよね。と、微笑み合う姿が見られた。
いつか見た少年の背中は、少し広くなり、大きな何かを乗り越えたであろう音の数々に、懐かしい時間と、確かにあの時聴いた音楽だなと思い出していた。
明日は晴れたらよいな。と
明日の天気を気にできる日常を取り戻しつつある日々がどんなに幸せなことか、思い知る夜でした。
スタンディングオベーションも拍手の波も、笑顔の群れも静かな足音も軽やかに踊る人の心を感じつつ、ほんの少し未来に思いを馳せた。