記憶の行方S1 小さな出来事 アザミの花
人間より猫の日向ぼっこを見ることが多い街で過ごしていた。波の音が遠くに聴こえ、早朝、船が出て行くエンジンの音が響くほど、街は静かだった。
風の吹く方向には、風しかない。道なりに、アザミの花がよく咲いていた。
父が設計した小さな小さな戸建てに住んでいた。庭には小さな池と松の木があった。母は、クチナシの花やバラの木を所狭しと植え、金柑、ゆず、琵琶、キウイ、長ネギ、季節の野菜を育てていた、クチナシの花を食紅のかわりにして、黄色いゼリーやじゃがいもから羊羹を作る、など、母は何かと自分で作ってみたい人で、本を読んだり、庭の手入れをして、猫をなでて、時々、琴を弾いたり、ピアノを弾いたり、筆で何やら書く、という日々を送っていた。
「すーぐなくなる」
テーブルの上の空になった皿を眺めて笑う。
これまでのキャリアを捨てて、その庭を眺める日々を母はどのように思っていたのか、
「家にいて欲しいんだよ」
父は、母が家にいてくれるだけでいいんだと、散歩中よく言っていた。
身長差10センチほどの父と母、母は、170センチほどあり、ヒールを履くと父が見上げる高さになるため、ぺたんこ履を履いていた。
なぜ、このちょこまかと歩く子どものような男と一緒に暮らすようになったのか、謎でしょうがなかった。こどもと全力で遊べる男は確かに面白いんだが。
馴れ初めの前に、お互いにほのかな恋をしていた相手はまるで違うタイプの人物で、
「もっと広い世界を見た方がいい、もっと羽ばたけるよ。僕と一緒に来てくれないか?」
と、母の通う学校に転校してわざわざ同じ学校を卒業するという熱い武闘派空手男子に熱烈な申し込みがあったそうだ。
若き日の写真を見る限り、原節子のような顔立ちで、山中に見るマドンナを一目見ようと電車に乗ってやってくるのもピンとくる。
しかし、
「ここでしか、暮らせないの」
と、B29のミサイルのカケラが落ちてきた時に隠れたイチョウの木の下で、何度か丁重にお断りしたという。
庭から歩いて5分ほどの場所に小さな山があり、わたしはそこで木に登ったり、木々の間を歩いてみたり、走ってみたり、鳥の声を聴いて過ごしていた。
ウグイスが、鳴き始める頃、
「ほーほけきょっ」
「ほーけきょっ」
これは、親子の対話の鳴き声と聴いていた。
聴いた通りに鳴こうとする子どものウグイスの声が
「ほーほけきょっ」になるまで、
その鳴き声は数日も続いていた。
洗濯物を物干しざおに乾かす時は、母は決まって何かを口ずさむ。
「山で遊んでいる声が聴こえて来てたよ」
♪小鳥はとっても歌が好き〜
猫の日向ぼっことともに
ひとまず、わたしは縁側の本棚の本を読むようになり、図書室の本を読破してやろうと半ばゲームのように本を読むことにはまり出し、辞書以外は一回は手に取り目を通した。書道のつながりで仲良くなった6年生に指南を受けて、芥川龍之介を読んでいた。ランドセルしょった文学青年は、ピアノを習っており、時々放課後の音楽室で習った曲を聴かせてくれた。当時、6年生は、とても大人に見えていた。
中学生になる頃に
父の日記を読んでしまった。それは、結婚を決めるまでのあれこれが書いてあり、これは、読んではいけないものを読んでしまった、と思った。
わたしが知るおどけた穏やかな父にも恋に悩んだ時期があるのかと見つけてはならない秘密を見つけて、男女のキビとやらを見つめることとなった。
15歳になるころは、書いたノートは何冊になったか覚えていない。中学一年生の国語の先生が交換日記をしようと言い出して、書き始めたのがきっかけでした。卒業する頃に、その国語の先生は、父の教え子だったと知った。いろんな人のまなざしを受け、わたしは育ったのだと思う。
しかし、そのまなざしが、とても窮屈になっていった。
そして、わたしを知らない人がいる、もっと広い世界を見たいと街を出ることにした。
ギリシャ彫刻のような横顔をしたIくんは、どこに行くのか、聞かなかった。
わたしは、いつも気持ちをはぐらかしていた。
-つづく。
♪wonkのsmall thingsを聴いて物語を書いてみました。