作曲カフェ 、はじまりの訳
ちょうどその頃、私は夏祭り前に祖母の墓参りに来ていた。墓に水をやり、花を添えて帰る途中、大雨に打たれた。晴れ女と自負していたのだけれど、車に乗り込むまでの間だけ、大雨だった。15年ぶりに帰郷した日、「なんで帰ってこなかったのか?」怒りとともに歓迎しているかのような雨だった。祖母は、35歳で亡くなった。私はその歳を超えられるのか、時々死を恐れていた。その歳を超えた年齢になり、あの雨には、濡れておかなければならなかったと思う。
10代半ば、子は無口になるばかり。一度は、私が生まれ育った街を見せておこうと思った。
幼い頃過ごした森の近くの家に久しぶりに足を踏み入れると、時間が巻き戻るようだった。ステレオやレコード、ピアノはそのまま置いてあった。
父は、よく散歩に出かけ、森の中を案内してくれた。この木に触れたら、手はかぶれる、この道は蛇の道、滑る土の上を歩いた。ここは、たぬきが寝るところ、森を案内され、遠くで海猫が鳴いて、潮の香りがした。春先は、ウグイスが鳴く「ほー………」で、そのあと鳴けないウグイスもいて、私は、歌が下手なウグイスもいるんだと笑った。「月の明かりの下には何がある?」散歩の途中に、父は唐突に質問をする。その謎かけに子どもながらにない知恵を絞り、思い巡らし少ない語彙の中から「月の下には月明かり」と答える。その後、答え合わせのような言葉をつないだ父の発する月明かりの下の想像は、私のイメージしない情景が浮かんだ。子どもの時はとてつもなく広く奥深い木々の森だった。
母は、時々、琴を弾いてくれて、弦を調律している時の指先と耳で確かめている時と床の間の掛け軸の絵を眺めている母の横顔が好きでした。
畳の部屋の黒い柱に頭をぶつけて、わざと倒れて家族の笑いを誘っていた。何故だか、その理由は、わからない。それは、私が母になる頃に知る。
伯父が声楽を教えてくださり、「宵待草」の存在を知った。「宵待草」に続きがあり、会えた、ハッピーエンドならいいなぁと高校生の頃の私は、思っていた。それを曲にしたくて、当時の音楽の先生と、やり取りしていた。そのやり取りの中で「花が枯れる美しさも知りなさい」と声をかけられ、妙に刺激を受けた。
森の中で聴いたメロディや波が岩にぶつかって跳ねるしぶきの音、「枯れていく美しさ」を12音階とつないでみたいと思った。ウグイスが鳴くように人も歌い、言葉での対話以前の共通言語があるのではないか、と思ったことがきっかけです。
現に楽器が弾けない頃の子は、「ねんざ」を歌い、痛みをやり過ごしていた。
楽器が弾けなくても、曲を紡ぐことは、可能なはず。むしろ、その表出を楽しんでいいだろう。作曲カフェでは、創作する音楽を楽しめる人が集い、やがて今までない新曲が生まれる流動的な工房になればいいなぁと思い描いている。