記憶の行方#friendship
星野源さんのオールナイトニッポンで、菅田将暉さん……、さんってつけるのは、距離をおいて、敬意は示したいわけです。結婚を知り、なぜか、ほっとした。おめでとうございます。おげんさんもね。映画「共喰い」から全作品観ているのですが、人間の1番こわいところ、自分では気づかない無意識のすれすれの危ない部分を魅せてしまえる人だな、と、思う。数式書いている菅田さんは、いいなぁ、と。スクリーンを眺めてしまう。映画においての欲望は、日常とは相反するような、映画でしか観られないことを観たいと思うけれど、日常を彩るようなドラマ「熱中時代」に登場する、北野広大のような先生役を演じている菅田さんを見てみたいと、個人的には思う。
「わたしたちは、みかんを育てているわけではないんです。人間を育てているのです。」
って、ドラマ「3年B組金八先生」の中のセリフですが、菅田さんなら、今、どんな先生を演じられるのか、期待してしまう。
熱苦しさや弱さは、やり過ぎるとカッコ悪く目に映ってしまうこともある。カッコ悪さも、さらけ出せるのは、潔く、人間味があり圧倒的にカッコいいと思う。
ミュージシャンとしての菅田将暉さん。だらしなさや情けなさも見せてしまえる、どの道、すべてが映ってしまって、まっさらな感覚や葛藤も、映画であっても、音楽であっても隠しきれない。すべて観客に見えてしまう。見せてしまえる菅田さんはすごいなと思う。
「マサキ!(本名マサキではないからね)服。それ、合ってるの?シャツ長すぎなんじゃないの」と、母さん目線で思わず声をかけたくなるのは、否めなく。
もしも、目の前に立っていたら、世話焼きたくなるが、それなりに大人ですから、そんなことは、やりませんし、できません。
某所で、偶然お見かけし、どうぞ、役者もミュージシャンも続けて欲しい、と、思いました。
ファンって、勝手ですね。
菅田さんラジオやってるんだ、と、知るきっかけは、星野源さんでしたが、
星野源さんの存在を明確に知ったのは、深夜ドラマで、アキハバラのオタク役を演じた時、白眼をむいて倒れんばかりの演技が強烈な印象として残っていた。そこから音楽を聴くようになった。
なかでも、「Friend ship」は、繰り返し聴いていて、先日、Apple musicを見返したら120回は、聴いていた。ラジオのエンディング曲として、使用されており、なんて言う曲か?探すところから始まり「yellow dancer」のアルバムのラストに入っていて、即購入。
♪いつか、また、〜
また、会う日までの約束の間は、不安と期待と入り混じるが、相手のことを思う時間でもあり、それが楽しかったりしますね。
また、会えたらいいなぁ、また、会えるかなぁ、と、心の揺れ具合を思い出し、きゅんとする。
一刻足りとも同じことはありません。
つっかけサンダルで、考えなしの格好で、ゴミ出しの瞬間に、……
そんな時に会ってしまったら、
会えた!
と、うれしいけれど……、何で今!!ってなるかもしれないな。
会えた!またね。
その瞬間が、螺旋を描くように続いていけばよいな、と願うように響いてくる「Friendship」は、じわじわあったまる曲です。
音楽ってなんだろうな、と考えることがあります。一つは暖をとる、たき火のようなものと、思う。その火の熱を感じて、あたたまる。火の向こう側に立つ人間の顔を見てあたたまる。
「おいちゃん。わかってねぇなぁ。おてんとさまにあたってもよ、若者って言うのは先が見えねんだ。大人がよ、ランプにぽぉーっと火を灯すことも大事だと思うよ、俺は、そう思うね」
フーテンの寅さんなら、そう言うかな。