記憶の行方S18 小さな出来事-小太鼓
母が八百屋で仕事をする間、僕は、近所で服を作っている黒髪の色白姉さんとよく遊び、ギターを弾いたり、ご飯をご馳走になったりした。保育園にも、迎えに来てもらったのだが、
同級生に
「誰?この太った人。お母さんじゃないじゃん。」
と、言われ、なんだか、恥ずかしくて
「帰れよ。」
と、言ってしまった。
色白姉さんは、少しぽっちゃりしていた。僕を可愛がってくれて、よく膝の上に座ってテキトウーギターと名付けてギターを弾いて遊んでいた。一緒に来た、英会話教室をやっていたフレッドは、ニューヨークに住んでいたのに、日本語で話す。
「何てこと言うんだよ。酷いよ。そんなこと言うもんじゃない。帰るよ。」
と、言われてしまえば、
「しょうがないなぁ、帰ってやるか。」
内心、酷いことを言ってしまったと思ったが、僕はフレッドと色白姉さんと手を繋いで帰った。色白姉さんは、手をぎゅっと握り締めてくれて、温かかった。
じゃあね。と、ぎんちゃんに、声をかけて帰った。延長保育で、いつも、一番最後まで残っていたのは、ぼくとぎんちゃんだった。
迎えから八百屋に向かって、仕事を終えたKさんがやって来る。
「ポテ、元気か?」
Kさんは、母のことをポテ、と、呼んでいた。ポテとは、僕を産んだ後に、下っ腹が弛んでおり、ポテッとしているから、ポテというらしい。猫じゃあるまいし。
「飯、作るか?何がいい?」
Kさんの得意料理は、チャーハンと餃子だ。毎回、何を食べても美味しいんだけれど、
「チャーハンと唐揚げと餃子」
と、リクエストする。
ご飯を食べ終わるとギターやドラム、ピアノのコードを教えてくれた。
特に僕がはまったのは、ドラムで、家の中では、座布団を叩いていたが、時々、八百屋の近くの地下スタジオに入って、Kさんと一緒に叩いて遊んでいた。
たかたたかたたかた、3連符の練習ばかりしていた。ミュージャンって、地味な商売だな、と、思っていた。
保育園では、和太鼓の時間があり、祭りのお囃子に向けて和太鼓を練習していた。
とんつくとんつく、とんとん、
発表会では、和太鼓を叩くが、急にKさんに習ったリズムを叩きたくなり、ここは、変拍子行って、16拍子、8拍子、11拍子と来て、祭りのお囃子にぴたっと合わせて一曲終わらせた。
大歓声があがり、保育士さんに褒められ、同級生のママからも声をかけられた。とりあえず、よかったらしい。
「お父さん何やってる人?」
と、聞かれたが、
「会社員。」
と、答えるように、とKさんに言われていたので、そう、答えていた。
うちは、表札が2つあった。
Kさんの苗字と母の苗字、2つの表札の意味を、のち、ぼくは、中2ぐらいで知った。
Kさんは、ジャズが好きで、よく、部屋にはコルトレーンが流れていた。
Kさんは、落語を聴いたり、本を読んだり、地図を眺めては、よく散歩に出かけていた。ぼくも時々、散歩にでかけていた。
散歩の途中に、
てれれっれっれっれっれーれー、と、突然スキャットが始まり、僕はそれを聴いて、ぎくしゃくダンスと名付けた踊りを踊りながらKさんの後をついていった。