記憶の行方#空っぽの台座
大事にしていた指輪のいびつな黒真珠は、母が祖母からこどもの頃、譲り受けたものでした。
イミテーションなのだが、母は大事にしていた。
家事と庭仕事のため、滅多に指輪をしない。父からもらった結婚指輪もケースに入っており、時々、鏡台の前で眺めていた。
私も仕事中は、その指輪をしないことにしている。
最近、渋谷で、こどものためといいつつ、自分も食べたい誕生日ケーキを受け取って帰ろうとしたら、
「もう、帰るのー?」
と、お声がけいただいた。
20代後半と思しき青年の勇気、
お気持ちはありがたいが、全く知らない方ですからね、このアプローチは、距離詰めたいんだと、一瞬でわかりますが、どうかしてるなぁ、と他者視点について、考えていた。若いと気づかないうちは、無謀な挑戦ができるもの。
それから、思うところがあり、安心のために、仕事帰りには、作業机に置いている指輪を魔除けがわりにと、はめることにしていた。
思った以上に節々がごつい指のため、きつきつで、はめるのも、とるのも痛みが伴う。
つい先日、いびつな真珠だけをどこかで落としてしまった。
もう、とれたがってたんだ、
魔の手が及んだか、
と、非科学的なことを想像して、
リビングにて、
イシはなくならない、と、理系男子になだめられ、
「主張の激しい月」
「坊ちゃん刑事」
の即興ショートコントでやり過ごしていたのですが、だんだん、気になり始め、やっぱり、見ておこうと、真珠を確認できた所まで戻り、改札、階段、立ち寄ったお店、電柱周辺……お店の方には、不審がられ、駅の改札では、駅員さんに事情を話、不憫なお人の視線を送られて、道なりを探したが、
どこにも見当たらない。
空っぽになった指輪の台座を眺めて、失くしたものは、なんだったのか、帰り道、静かに雨の音を聴いて歩いた。
雨が降り続き、空の希望的な観測。
あー、もー、なんだが、
失われたものにより、祖母と母の生きた時について、思いめぐらせていた。
橋本秀幸さんのニューシングルが出ていたので、ぐるぐるリピートし、朝を迎えた。晴天。