星の普遍性
朝から、maria kalaniemi trioを聴いていました。
♪春風そよ吹く、空を見れば、夕月かかりて、匂い淡し〜
なぜか、「朧月夜」を思い出していました。
アコーディオンとピアノとギターのトリオなんですが、なんだろうか、この懐かしい響き。
幼少期に聴いたアコーディオンの音には、哀しさや儚さを感じたものです。
懐かしさは、普遍的なものだと、おっしゃる方がおり、懐かしさって、普遍的なものって、はて、なんだろうかと、一日中考えていた。
午後は、緑の公園を散歩、思い立ったらアースデイ。
池を泳ぐめだかを眺めたり、説明不要な石像を眺めたり、水辺で遊ぶこどもたちの声を聞きながら、一人でコーヒー飲む人も、二人でレモネード飲む人も、走り回るこどもを追いかける母も、
いつか、なくなる星だろう。
星が生まれる時を逃すまいと目を凝らしていた。
流れ星になる頃には、失われている軌跡かもしれないからだ。
失われて行く時を描くのが、流れ星かな。
それらが見られる時が、普遍的な時ではないかと、昼間は水辺のある風景で遊ぶ人々、夜はライトアップされ静かな公園になっていた道なりを歩いて、思っていた。