記憶の行方#orquesta
最近、オルケスタを聴いている。難しいな、楽しいリズムだけれど、刻めるのか?
「さくらさくら」のように、四拍子にほっとしてしまうのは、ちょちょんがちょん、と、和太鼓の盆踊りで育っているからか、跳ねまくっているようなリズムは、波しぶきみたいで、捉えづらい。
水泳が苦手だ。溺れそうだ。
オルケスタは、かっこいいが、果たして踊れるのか、ハンドサインに目をパチパチさせて、ハンドトークとアイコンタクトで進行していく。
うわわー、すみません、全部、すっとばして、弾いていいですか?と、謎のメロディーラインが生まれたので、リズムに合わせて聴いてみる。
ジョン・ケージの「4分33秒」を思い出していた。
全ての音は、無音から始まるってことを教えてくれたジョン・ケージ。
「沈黙」の彼方は、決して無音ではなく、「ものを言わぬ沈黙が存在している」ことの証明かな、と、初めて聴いた時に思いました。
どのように登場し、聴く方と向き合うか、そこから、演奏は開始ってことですね。
「沈黙」の舞台となった海は、穏やかな波間でしたが、無音ではなく、言葉を失ってしまう時に、体内に生まれる残響がありました。
痛みに近いが、祈りにも近い。そんな音。
この春の卒業式が、例年通り歌われるのか、わかりませんが、今朝の散歩中、近所の中学校の体育館から、ピアノ伴奏と混声コーラスが聴こえてきた。
さようならの歌は、別れを惜しむだけでなく、前途を祝している歌でもあるんですね。
「別れの曲」は、過去を手放す勇気があれば、再会の時は、より親交が深まる、そんな予感がする曲だなと思う。勝手な想像です。