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ショパンとガーシュウィンと

極私的な感想です。いつかの配信で、カメラのシャッター音が気になる、というチャット欄のコメントがあり、そうか、曲の持つ最大限の音のよさを聴いていたいのだろうと受け止めたが、その感想に、もやっとしていた。

シャッター音とピアノの音のコラボレーションを試みたのではないか、大胆な演出だなぁと思って聴いていた。

通常、舞台には上がらないカメラマンが演奏者の近くで撮影する、その音も配信にのせていた。

カメラで撮影する時に、写真ですと、撮られる方は、何を見ているか、どんな瞬間をショットしているのか、シャッター音で概ねわかる。それは、撮る側のリズムで、そのリズムに乗せられて撮られる、セッションみたいだな、と、思う。

ピアノの音とシャッター音がコラボしてもよいはず。シャッター音はカメラマンの呼吸のようです。

音を楽しもうと試みたら、音楽の始まりかな。

感染症対策のため、ブラボーなど、歓声はNGが昨今のホールでのマナー。

しかし、会場で、得た楽しい気持ちは、表したいものです。

どのように、それを、表すか。

先日のコンサートでは、観客の撮影の音とピアノの音でコラボする瞬間がありました。

それを自宅で配信で見返していたら、撮影している明かりが蛍や夜空の星のように写っていた。

観客の視線や感情のリズムをシャッター音とフラッシュで感じられた。もちろん、シャッター音を発しなくても、静かに楽しまれる方もいらっしゃった。試行錯誤の連続も音楽の楽しみかな、と思う。

わたしはどちらかと言えば静かに音楽を聴いて楽しみたい方ですが、

記憶の時間を巻き戻して、

フィルム上映のような始まりだったコンサートは、会場では、映像がスクリーンに映し出されていて、配信で聴いている方と会場で聴いている方が一体で時間を過ごしているように思った。

リアルな時間を巻きもどすことは出来ないが、配信の演奏は繰り返し、巻き戻して観ることが出来る。あれ?本当に起きたことだったのかな?2020年、2021年、すべてが一瞬で過ぎてしまった。音楽がなりやみ、すべてが昇華されたようだった。

密かなことのように、誰にも教えたくないような気になったり、小さな音もとても近くに感じていた。

あたたかい音に包まれ、おぼろな月夜を散歩しながら聴いている気分だった。

「子犬のワルツ」「英雄ポロネーズ」

を最後に聴いて、再び、帰ることのない明日に向かって歩いていく後ろ姿を見るようで、

どうか、この時間が永遠であって欲しいと願い、時間に抗ってみたくなり、泡となったか、見てはいけないものを見てしまったような恐怖と奥に隠れていた自意識や過ち、許せる時が来るものだなと思っていた。

再生し、流れて行く景色を見たんだ。確かに。





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