記憶の行方S4 小さな出来事 雨に濡れたピアノ
わたしは、全くと言っていいほど、ピアノを弾かなくなっていた。正確には、全く弾けなくなっていた。聴くのもなるべく避けていた。それが、なぜなのか、全く理由はわからなかった。
会社員となり、一年目のボーナスで一台のピアノを購入して、週末に触るぐらいは、やれるかと思ったが、弾けない。
こどもが生まれてから、こどもは、ピアノを触るようになり、やんちゃな猫踏んじゃったが弾かれ、それらを聴いていた。
昨年はコロナ渦中。オンラインの仕事は増え、通常の3倍ほどの仕事量になり、マスク着用のまま、眠れない日々が続いた。除菌で手は荒れ果て、仕事は増え続けた。
自宅に帰って、YouTubeをぼんやり観ていた。
手元だけ映したピアノ演奏の動画が上がっていた。何やら、とても上手いのだけれど、なんで、YouTubeで弾いているの?と、疑問に思った演奏者を一人見つけて、それから、配信が行われる度に、聴くようになった。
何かがノックされて、何かが崩れてしまった。
岩の中から、水が滴り始めて来たような感覚だった。湧き立つとは、きっと、ああいう気持ちのことを言うのではないか、気持ちに折り合いをつける言葉を探した。
それから、久しぶりに、バッハやモーツァルト、ベートーヴェン、ショパンやリストの譜面を見返して、ピアノを触るようになった。
そして、やっぱり、あの場所に一度戻らなければならないと思い立った。
「初恋ー?」
Kさんは、笑いながらコーヒーを淹れていた。
「いってくれば?墓参り。俺は久しぶりに一人を満喫するよ」
過去に執着しないのがKさんのいい所だ。
早朝、飛行場に着いた時には、晴れていたのだけれど、昼過ぎに墓地に着き、レンタカーを降りた途端、雷がなり、スコールのような大雨に打たれた。
私は、その雨には濡れておかなければならないと思った。なぜ、今まで帰って来なかった?歓迎と叱責の雨だと思った。
墓石には、Iくんの名前が入っていた。享年19歳。Iくんは、自動車事故で亡くなっていた。事故が起きたカーブは、緩やかカーブの海岸線。そのことを知ったのは、Iくんが亡くなってから、2年後だった。カーブには、花が手向けられていた。
子は山道を歩き、春を散策していた。原城跡には、ロザリオを手にして歩く人がいた。じいじは、早朝、小走りで散歩に出掛けた。じいじは、足が速いと、子は、目を輝かせていた。400m走者だった父は、今だに瞬足らしい。小4の秋まで、50m走では、かなわなかったことを思い出した。帰らなかった16年の日々に、子は、高校生になり、わたしの父は子のじいじとなり、わたしは母になった。
近所の中学校の体育館では、卒業式で歌うであろう、卒業生を送るための合唱の声が響いていた。
Iくんのお姉さんは、ピアノ教室を続けていた。挨拶に立ち寄ると、譜面を渡された。高校生の時に連弾した曲だ。途中まで書かれた譜面も渡された。どうやら、新曲を作ろうとしていたらしい。
「あなたに、渡そうと思って取って置いたのよ」
どうにもならない感情の塊は、空洞の中でカラカラと音を立て始めた。
スマホにLINEが届いた。
Kさん「長崎は雨?」
わたし「晴れてるよ」
Kさん「どうよ、久々の実家」
わたし「居心地悪いね」
Kさん「……帰ってくれば」
住めば都とはよく言ったもので、東京でのすみっこ暮らしがわたしにとっては、居心地の良い生活となっていた。