記憶の行方S12 小さな出来事 空中庭園
「家に来てよ。家族に会って欲しいから。」
酔いどれさんの家に遊びに行く事になった。空中庭園の見えるマンションをエレベーターで昇っていき、エントランスに通された。
DIORの眼鏡を掛けて出てきた酔いどれさんのお母さんは、華やかな人だった。ミスキャンパスだったそうだ。若き日のアルバムを見せていただいた。お父さんは、六大学野球で名の通った大学の経済学部を卒業した後、会社を経営していた。歴史が好きな人で、歴史について、色々な持論を展開され、話を聞いていた。
「教養は問題なしだね。」
酔いどれさんのお父さんは、ソファーに座ってそう言った。
「わたしは若い人と一緒に住むのはもういいわ。」
どうやら、以前も女性が住んでいたようだ。
夕飯に、手料理が振る舞われ、ありがたいが、出されたグラタンに、割り箸が出された。お世辞にも美味しいとは、思えず、出汁の味がせず、塩と牛乳のみが、舌に強く残り、炒めた玉ねぎとバターと胡椒で調整すれば、もっと美味しくなるかもな、と、思いながら食べていた。
「この子に父親が出来るのかしら?産まなかったら、二人を認めて上げるわ。」
酔いどれさんのお母さんは、わたしに詰め寄った。
急に、吐き気を催した。
わたしは、箸を置き、
「ごちそうさまでした。」
と、家を出た。酔いどれさんが後からついて来た。
「今日の料理、イマイチだったよね。」
酔いどれさんは呑気だった。
「母さんはどんな女性を連れて行ってもダメって言うんだよなぁ。」
わたしは一刻も早く、安全な場所へ行きたいと思っていた。わたしの体は、わたしの体だけではなく、わたし一人で決められない体になっていた。
「楽しかったです。」
確かに酔いどれさんは、父親になっている姿は想像できなかった。音楽しか出来ない人だ。舞台の上では、最高だが、生活感はまるでない。あの、圧倒的なカッコいい音の世界に、こどもは存在しないような気がした。
「楽しかったです。しばらく実家に帰ります。」
さようならとは、言えなかった。
楽しかったのは事実だ。
わたしは、有給を頂き、電車に乗って久々に海の見える場所へ向かった。
長崎は雨が降っていた。何ものにもなれないわたしをIくんは、生きていたら、何と言うだろう。
(「何やってんの?」かな。)
実家に戻れば、
父は仁王立ちだった。
酔いどれさんのお母さんが挨拶に来ると電話して来た。
「訴えませんか?!」
何を言っているか、理解ができなかった。あのナイフ事件のことかと、バンマスの「あいつには気をつけろ」の一言を振り返っていた。
「相当な修羅場を体験しているんだよ。あの人は、母親だ。こどもを守ろうとしているんだよ。」
酔いどれさんのお母さんが帰って行った後、父は、うなだれていた。
「電話もしません。連絡して来ないでください。」
酔いどれさんのお母さんには、わたしは、そう伝えて終わった。
酔いどれさんは、ヨーロッパツアーに出掛けていた。
「母さんのことごめんね。いろいろ昔あったから。長崎は雨?」
酔いどれさんからメールが届いていた。
「今日は晴れています。」
わたしは、返信した。
「俺、父親になれるかなぁ。」
「どうでしょうか?生活感がない方がかっこいいんじゃないでしょうか。」
「俺にとっては、音楽も生活の一部だよ。俺とちゃんと話してないじゃん。日本に戻って来たら、ちゃんと話そう。」
そのメールのやりとりの数日後、
酔いどれさんは、メキシコで、市場へ漬け物を買いに出掛けた矢先に、誰かに間違えられ、頭を銃で撃たれて亡くなった。痛みなく即死だっただろう、と、酔いどれさんのお母さんから手紙が届いた。
「お悔やみ申し上げます。」
一通の電報を送り、花を送り、葬儀には列席しなかった。どうやら、わたしは、死にそうなぐらい疾走している人が好きらしい。
最初で最後の酔いどれさんのアルバムは、売れていた。地方のFM局にリクエストし、オンエアを何度も聴いていた。
(「やったね。酔いどれさん。聴いている人いるんだよ。」)
街のレコード屋でアルバムを一枚購入し、お腹の中の子に聴かせてみた。こどもは、耳から育つと言うから、聴こえているはずだ。
(「あなたのお父さんは、最高にカッコいい人だよ。いつも、見たことのない景色を見せてくれるんだよ。」)
そのアルバムは箱にしまった。
胎教には、バッハとモーツァルトがいいだろうとクラシックレコードを購入し、聴いていた。
「全て、水に流して、また、始めたらいいさ。」
父の言っている意味がわからなかった。なぜ、好きな人のこどもを宿して産んではならないのか。
Kさんからメールが届いた。
「どうしてる?長崎は雨?」
わたし「まあまあ、今日は晴れてるよ」
Kさん「実家?どうよ。」
わたし「居心地悪いね。」
Kさん「帰ってくれば?」
わたし「帰る場所あったかなあ。」
Kさん「なんか、元気ないじゃん。もしかして、妊娠?」
わたし「あたり。」
Kさん「びっくり?!」
わたし「大当たり。」
Kさん「知ってるよ。俺が父親になろうか?」
わたし「何、言ってるの?」
Kさん「こどもは、どんなこどももかわいいよ。俺は酔いどれが好きだよ。あのアルバムはいいよね。」
わたし「うん……ありがとう。」
わたしは、早朝、家を出た。一番仲が良かったさっちゃんの家に立ち寄った。さっちゃんの家は旅館を営んでいた。さっちゃんは、映画や音楽に詳しく、小学生の頃からよく、一緒に映画や美術館によく行った。
「『ニューシネマパラダイス』観る?」
「うーん、『酔拳』観たい。」
氷入りのコーラが出されて、飲むのを躊躇った。
映画を観終わった後に
わたし「もう、帰ってこないよ。帰らないって決めた。」
さっちゃん「何かあった?コーラ好きでしょ。」
わたし「妊娠してるの。今は、飲めないかな。世が世なら反逆者だって。」
さっちゃん「何それ。」
わたし「お父さんがね、言ってるの。」
さっちゃん「何で?」
わたし「結婚してないから。」
さっちゃん「意味がわからないね、結婚しなくても母にはなれるんじゃないの。でも……制度の外で生きるのはしんどいかもね。わたしなら結婚したいけど。旅館は一人で出来ないし。」
わたし「亡くなった人と結婚する?」
ようやく、さっちゃんの前で笑えた。
「出来ないね。」
さっちゃんも笑った。
1時間に一本のバスを待っていた。
「いつでも、帰って来てよ。」
さっちゃんは、笑顔で手を振っていると思っていた。振り返ってみたら、泣いていた。
海岸線を走るバスに乗り、海を眺めていた。Iくんと見た景色はどこにもなかった。
その日はよく晴れた空だった。
♪wonkのsmall thingsをきっかけに物語を書いています。
しかし、今日のBGMは、「アイミル」中村佳穂さん♪紅白歌合戦、豪華だったな。
イプセンの「人形の家」と童話の「人魚姫」、未婚の方が増えている現状をミックスさせてみました。