深部の感覚
先日、millennium paradeのミニシアター前までたどり着いたのは、19時10分前。受付のお兄さんが地下から見た方が、良いと案内され地下4階から地上に上がっても、まだ、地下なんだな。丸の内線銀座駅7番出口に直結している入り口、盛田さんと井深さんの名コンビのやりとりは、ウィットにとんでいて、そんな大人になりたいとWALKMANを手にしていた。今もテープレコーダーは、大事にとってある。昼間にぶらっと、また、行きたいけれど、2021年9月までなんだな。なくなってしまう風景は、子どもの頃見た緑の山の風景みたいでした。
音は深部に響く、深部感覚と音楽は関連しているはずで、最近気になっているテーマです。
SONYの盛田さんの名刺や時計、万年筆を眺めて、盛田さんの書く文章を思い出したりして、WALKMANお世話になりました。ありがとうございます。と、心の中で、手を合わせ、感謝したけれど、届くかなぁ、この思い、と、音楽初恋日記を書いているような気分です。
WALKMANを手にしていた頃は、陸部だったので、走る前にだいたい音楽を聴いていました。走る時間は、無音です。何も聞こえません。誰かの応援の声も聞こえない。ゴール寸前まで、かすかに白い光が前に見えるだけで、それは、どんなにどしゃ降りの雨でも、同じように、周囲の視界は遮られていました。
オリンピアンに話を聞く機会があり、どんな風景が見えているのか、聞いてみたら、自己ベストが出た時の風景は、一コマ一コマスローモーションで、見えていたという。0.001秒のたたかいは、スローモーションに過ぎていくって、どういうことなんだろう。
「10分ぐらいの感覚が1時間過ぎている」といつかの配信で常田さんが言っていたのを思い出していた。アスリートと芸術家は、どこか似ている。
いつもの風景を映画監督は、映画のようにカットしていく、ワンショットワンショット、それは、スローモーションに見えることがある。
人の記憶が鮮明に残る時はスローモーションで眼の中に入ってくる。
このご時世で、予定していたことは、いろいろと先送りになり、会いたいなぁ、会えないなぁ。と、もどかしいなか、書くことで、時間をつないでみようと、書いてみている。
一夏が過ぎようとしていて、持久走を走っている感覚。まあまあ、ヘロヘロです。
そんな中、一つの草稿が上がってきました。
秋を通り抜けて、また、猫は丸くなる冬が来て、春は、また、会いたい人に会えるとよいなぁと思う。
仕事終わりにネピサマを見ていて、去年を思い出していた。
また、来年も思い出す夏になりました。
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