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三浦春馬さん訃報に想う

※特別彼の大きなファンという訳ではありませんでしたが、彼の死を前にして、当時私はとてもショックを受けました。
その当時に綴った気持ちを、載せた方がいいと昨日不意に思い立ったので、公開致します。

人はいつ死ぬかわからないというけれど、そんなことを実感として持っている人はほとんどいないと思う。死にたい死にたいという人は、案外死なないだとか、いつでも明るい人は特に深い悩みなんてないんじゃないかとか、頭ではYESと言い切れないようなことを、私たちは雑踏の毎日に飲み込まれ、日常をおざなりにしていく。三浦春馬さんの死は、きっとほとんどの人が予想していなかった。私がその知らせを聞いたのは、◼◼◼(個人名の為伏せます)の授業を担当していた時だった。「私は俳優ではありません」という例文を英訳してもらおうと、板書していた時に言ったのだ、生徒が。
「俳優といえば三浦春馬首吊っちゃったよね」
未遂でしょ?と何度も確認してしまった。彼はきっと、どんな局面でも光のほうへ導かれる存在のように感じていたのである。ショックだった。多くの芸能人から画面越しでも感じ取れる、自己顕示欲や、見栄やプライドを、彼は感じさせなかった。彼の選ぶ言葉やたたずまい、そして話し方や笑い方から、彼の真っ直ぐさと品の良さを感じていた。空っぽに見える若手俳優のなかで、彼は群を抜いて役者だった。比較するのもおかしな話だ。彼は、彼だった。彼にしかない彩があった。三浦春馬であることが、宝だった。その骨格も、柔らかさも強さも兼ねそろえた表現力は、表現者として生まれたことを許されたようだった。だからだろうか、人が良く、明るい彼はきっと多くの人から「彼なら大丈夫」だと思われていたに違いない。言えなかったのかもしれない、心からあふれる孤独や不安や傷を。きっと、多くの人は言っているだろう、気づけなかったのが申し訳ない、ショックだ、悲しいと。そして彼と何の接点もなかった私もそう思った。そう思うことが、申し訳なかった。笑顔と裏腹に彼がひとりで思い悩んでいた時間を想像すると、苦しい、悲しい。何より悲しいことは、あんなに優しく笑う彼が、この世界のあらゆるものに絶望して、自ら命を絶ったことなのだ。空が青いとか、新緑が青々としているだとか、波の音が心地いいだとか、夜空に瞬く星に想いを馳せる喜びにでさえ、決別してしまおうと思う程追い詰められていた、その現実に言いようのない苦しさを覚える。彼の訃報を反芻しながら歩く仕事帰りに、柔らかく温かい風が吹いた。彼は、もう二度とこの風のやさしさを知ることはないのだと思うと、いたたまれない気持ちになった。命さえあれば、という言葉をずっと信じられていなかった私だが、初めて理解できたのである。芸能の仕事を辞めて家にずっといても、全く違う仕事をしていても構わない、命があれば、と。けれどもそれは私たちのエゴなのだろう。それでもここまでたくさんのものを遺した彼は表現者として、ひととして豊かな人であったのだと思う。

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