ロックスターはドブネズミになりたいわけではない
「自分の声はいい感じだと思ってたのに、録音して聴くと変な感じに聞こえるから、録音したくない」という意見はよく聞く気がするのですが、
「自分の顔はいい感じだと思ってたのに、写真に映して見ると変な感じに見えるから、写真を避けてる」という意見は、自分の周りではあまり聞かなかったように思います。
もちろん、撮られる時にいちいち「私、鏡に映る顔はもっといい感じなんです!」って主張する人はそれこそ少数派だと思うので、知らないだけで本当はみんな思っているのかもしれませんが…
あえて言おう。
鏡で見る自分の顔は、写真で見るよりも10倍増しくらい、なんかいい感じであると!
人間の認知には歪みがあるらしく、鏡に映る顔は無意識で自分の理想を投影して良く見えている、ということもあるようです。
私の場合、鏡越しに自撮りをしてもいい感じには見えないので、左右反転や無意識のキメ顔が理由ではなく、脳が勝手に美化してしまっているということで間違いなさそうです。
別に、鏡の中の自分がクレオパトラか小野小町かと思っているわけではまったくなくて、
なんかこう、表情だったりパーツ配置のバランスが、写真と比べていい具合のような気がするのです。
対して、写真の自分はどことな〜く全体的にやな感じ。
漂うぎこちなさは、左右非対称というだけでは表せません…。
「笑って」と言われて笑ったつもりになった写真の自分の笑っていなさ加減は、砂糖と塩を間違えた塩ラーメンのようです。
そんなギャップを自覚した時の精神的ショックが大きすぎたせいか、そちらばかり印象に残っていて、
初めて録音した声を聞いた時の違和感というのはほとんど記憶にありません。
おかげで「自分の歌を録音して聞くこと」に抵抗がなかったのは、歌の勉強にすごく役立ったのは確かです…。
短所を埋めるより長所を伸ばすのが自分の特技!なんて言ってますが、それって楽な方に流されてるってことでもあって、短所を完全に無視して生きていくことはできないんですよね…。
きちんとした写真を撮る機会、どんなに避けようとしても、けっこうあります。
同じことを考えてる人がそれなりにいるのなら、みんなはどうやってその壁を乗り越えてるんだろうか。
ドブネズミみたいに美しくなりたいと歌ったロックスターは、汚れることも厭わず突き進むその生き様が「写真には写らないけど美しい」と感じたわけです。
ドブネズミのあの毛並み、いいよね!というわけではないと思うのです。
汚れることも美しいというけれど、美しいものがあるということは美しくないものもあるということで、汚れてもいいと思う人さえそれぞれの基準で美しさを追い求めるという…
奥が深すぎて、どうすれば美しくなれるのか素人にはさっぱりです!
ただ、避けられないのであれば、なんとか立ち向かっていきたいと思ってはいます。
今後、いろいろ戦いの記録をこちらにも書いていくと思うので、気が向いたら応援していただけるとうれしいです。
と、ここまで書いて締めようと思ったんですが、ふと「ドブネズミってどんな感じだったっけ?」と思い、恐る恐る調べてみました。
えっ
けっこうかわいいんですけど?????
家畜化してペットとしても愛好されてる。
野生の子は凶暴で、人間には害となる菌もあるというのは昔と変わらないみたい。
もしも出会った際にはお気をつけください。
それではおやすみなさい。