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自分を留めおいているのは

ここ最近、自分で決めて自分で動くことが増えてきました。
そうしてみると意外と物事が動いていくのって早いんだなと感じます。
「自分で決めて自分で動く」と聞くと、何か大きなことやってるみたいに聞こえるかもしれないですが、しているのは至って小さなこと。
たとえば、
・ちょっとずつ使っていた化粧水などの消耗品を使いたいだけ使う
・いつか気分がいい時に使おうと思っていたキャンドルに火を灯す
・残り少なくなった美味しい冷凍餃子を食べたい時に食べる
などなど。
私の場合は「自分に許せる必要最低限しか使わない」というのが共通点。
なぜなら、無くなってしまうのが怖いから。
今手元にあるものがなくなれば、また手に入れたらいいのに。
そのことを「必要最低限の範囲内」でしか自分に許せていませんでした。

以前は

日頃からこういった思考だったからだと思うのですが、以前はより大きな判断も「必要最低限の範囲内」に留めおくことが私にとっての普通。
今のお給金で暮らしていけているのだから、仕事に情熱を感じなくても余暇で好きなことをやればいい。
とそう考えていました。まさに「必要最低限の範囲内」。
そして、余暇で好きなことができたか?いいえ、できていませんでした。
必要最低限しか自分に許していないから、好きなことを楽しむ時間も必要最低限に。余白などもったいなくて作れなくて、代わりに必要最低限のボーダーを上げたいと思ってか、周囲から求められる学びを自己投資だと思って時間とお金をかけていました。
資格や知識、能力も上がりはするし面白くはあるけど、何か満たされない。
自分は何かが欠けてるんじゃないかな?
そう思いはじめ、QUANTAさんのリトリートを皮切りに多くの方々のセッションやyujiさんの星読みに助けてもらい、自分を深堀り。
昨年夏から通い始めたMOTOKOさんのシータ講座でズバンと「必要最低限しか許してないんだね」と言われるまで、そんな自分に微塵も気づいていませんでした。
言われた時は「それのどこが問題なの?」位の勢いでキョトンとしてたのを覚えてます・・・筋金入り(笑)
日常に戻ってからじわじわ来まして、「あれもこれもそれも・・・ぜんぶ必要最低限だった」と気づいて愕然となり、そこから少しずつ自分の必要最低限解除に動くようになりました。
そうすると、ちょっとウキっとするんですよね。冒頭に挙げたような日頃のちょっとした動作に。そして、だんだんと満たされてくる。

結論

自分を留めおいていたのは、必要最低限にして”使わないこと”だったな、と思います。
使わないことにしていたのは、物だけではなく自分そのものも。
自分を使うって使われて擦り切れるイメージしか無かったんですが、心許せる友と変容をお互いに観察しつつ界隈の皆様との交流や牽引してくださる大先輩方からの情報を浴びまくったおかげで、自分で表明してエネルギーを回していくことなんだなと腹落ちしてきました。
自分の出せるエネルギーは、星に、自分の日々の感覚に、人様との交流の中にヒントがあると教えてもらい、その一つとしてシータセッションのモニターを始めてみて、ようやく自分を使うってこういうことなのかも・・・という体感が得られた気がします。
自分の中にあった、もったいないお化け=必要最低限しか使わない、という感覚はほとんど無くなってきていて、あとは自分を使う感覚を具現化していくだけ。
自分の中のマインドが変わると、軽く早く物事が進むってこういうことなのかもな、と思う今です。
とはいえ、まだまだ停滞気味だしみみっちいところはあるわ溜めてるものもおそらくあるわなので笑、引き続き諸先輩方や皆様からの影響の恩恵にあずかりつつ、ちょっとずつでも自分エネルギーを回していこうと思います。

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