【短編小説】つるっと。 #1
威圧感
元来背が高くて、他を威圧する空気を持っているのが当家の次女である。
ある日近隣住民をを威圧しながら家を出て数年「とっくに成人した大人だし」と私も妻も次女の自由を尊重し、放置した。
やがて、女の赤ん坊を抱えて帰宅。「とっくに成人した大人だし」と、とりあえず観察していたら、毎日当家の飯を喰らい、娘に乳を与え、横になるというサイクルを繰り返すばかりであり、ついに当家の米は底をついた。
米が底をついたからと言って、何も喰わずに生きていけるわけがないし、仮に私と妻が霞を喰って生き延びると想定しても、次女にそんな才能があるとは思えず、それはイコール次女の娘すなわち私の孫に与える乳が出なくなることを意味するわけで、そうなると次女もろとも孫まで餓死、という陰惨な結果しか見えてこない。
次女はいい、諦める。生かしておいても私は損をするばかりだし。
しかし、孫を餓死させるというのは忍びない、というか私的には絶対に嫌である。
まるまると太って、ほっぺやおでこがテカテカと輝き、クリクリの目玉で全ての人類を魅了するこの子を、少なくとも当家で餓死させるわけにはいかんのだ。
私はしぶしぶ日雇労働に出て日銭を稼ぎ米を買い、孫を餓死させないためという理由で次女に腹いっぱい白米を食わせて、自分と妻は隣家の家庭菜園に生えていた正体の分からない野菜を無断で引き抜き、それを水でふやかして啜るという、極度に貧相な食事に甘んじながらも孫の成長と笑顔を心の支えにしてどうにかこうにか生きていた。
さて、私と妻の血と汗と涙で光り輝く米をたらふく食い尽くしている次女は、ただでさえ大柄な上に栄養が行き届いて更に大きく膨らんできた加減からまた迫力倍増で、脇を通過されると周囲に影ができて薄暗くなり、皆を恐怖に陥れるような存在と成りつつあった。
また、授乳と昼寝で慌ただしいらしく、外見にまでかまっちゃいられないのか、このところ見た目の堕落ぶりが甚だしい。
たいして長くもない髪を頭頂部でひとつに束ねているのだが、元来毛が黒く量も多いため束ねた以外の部分が異様に拡がって見え、サイババを想起させるような風体に成り果てている。古い人物を引き合いに出して恐縮だが他に例えようがないので悪しからず。
とにかくそんな次女の風体を見かねた私が、
「髪を切ってこい、かわいい孫に恐怖のトラウマが残ってしまうわ」
と言いながら震える指先で5千円札を差し出すと、
「がる」
喉の奥でそうひと声唸り、鋭いツメで私の手の甲の肉を削ぎながら紙幣をむしり取るが早いか、孫娘を私の腕に残して疾風の如く走り去った。
「おい、ボウズにして来いよ!」
通行人をなぎ倒し、血飛沫の中を走り去る次女の巨大な背中に向けて私は、そのように大声でジョークを飛ばし、かわいい孫娘の子守をしながらつい、うとうととうたた寝をしてしまった。いや、空腹のあまり失神したのかもしれないが、意識が途絶える刹那、孫が小さな手を伸ばし、私の頬に触れてキャキャッと声をあげて笑うのを目にして幸福感に包まれ、このまま死んでも構わないと、その時は心の底から思ったのだ。そして睡魔が。
時間は知らぬ間に経過していた。
重い暗雲が急激に空を覆い尽くすという悪夢にうなされて目を覚ますと、なにか周囲が薄暗い。
孫はくぅくぅとちいさく鼾をかいてよく眠っているのだが、その寝息を圧するように頭上からぐぅぐぅというヒキガエルが花粉症を患ったような異音がする。
背筋が凍り付くというのはこういうことか。
私の心臓は、5回ほど鼓動を忘れた。
次女が極めて重い空気を纏いつつ、私を見下ろしている。
周囲の光を吸収して聳え立つその頭部に毛はなく、天井の蛍光灯を背後から浴びてその形相は確認できないものの、その分輪郭がくっきりと浮かび上がっていて、まるでダイアモンド・リングのように光を反射して輝いている。
私は失禁寸前であった。
次女は親族初のスキンヘッドとなって帰還していた。
(つづくはず)