【短編小説】つるっと。 #3
前回
執筆
これで何度目になるだろうか?
私はいろいろと嫌な目にあうたび自室にひきこもる男で、引きこもって何をしているのかといえば、妻子への建前としては「執筆」である。
もちろん「執筆」だけをしてるわけじゃなくて、ネットでエロ動画をみたり秘蔵のエロビデオを鑑賞したりしながらマスターベーションもしているし、古い映画を鑑賞して涙を流していることだってある。
だが、執筆だって嘘じゃない。
一応PCに向かってキーを打ち、文章を書いているのだから、それは執筆である。
では何を書いているのか?小説か?詩か?エッセイか?評論か?
いや、そう言うことではなくて「私は執筆をしている」という事実に目を向けてもらいたいのだ。
作品のジャンル分け、分類、そんなことよりもとにかく、書いている、書いている、書きまくっているのだからその書きまくったモノが発表されればそれはもう出版社が勝手に分類してくれるわけでだから、私は書いていさえすればいいのだが、ここでひとつ大きな問題があると言えばある。
執筆はたしかにしているが、それが世に出ることはないという事実である。
引きこもっている最中書き続けた文章、それが引きこもり期間を終えて世間に出ていく私にとってはなにやら白々しいものに思えてしまい、どうしてもPCごと破壊しなければならないという強迫じみた観念に追い立てられた結果、実際にその都度何もかもを破壊してしまうからである。
そんなわけで、つるつるの次女を見てショックを受けて以来、私は引きこもり、キーを打っていたのだ。
そして今日、またしても書きためた文章をPCごと破壊して破れ襖を横に引き、私は部屋の外に出た。
そこは廊下。
古くて、真っ黒に汚れた廊下にワックスが分厚く塗ってあり、てかてかと光沢を放っている。
まぁそれはいい。
古い日本家屋の美しさである。
その光沢を放つ廊下の突き当たり、便所の扉を背にして、次女が赤ん坊を抱いたまま半眼で結跏趺坐している。
私が引きこもっている間につるつるだった頭部にも毛が生えてきたようで、頭髪、眉、共にゴマだらになっている。
そろりそろりと近づいて見ると、次女の呼吸は以前の荒々しいそれではなく、禅宗の僧侶よろしく平穏に長く続いているし、どうやら赤ん坊は乳を飲んでいるようだ。
まぁこれはこれで瞑想の一種かもしれないしそっとしておこうと、そんな神々しい次女を横に見ながら居間に足を踏み入れればそこは、私がひきこもる以前となんら変わらぬ妻の日常的な生活が繰り広げられているすなわち、大音響でテレビをならしながら、それを圧するような鼾をかき、爆睡している。
私は微かな不条理を感じると共に、突然便意を催した。
後を振り返ると、いつの間にか次女は修行を終えたのか、便所扉の前からいなくなっている。
「やれやれ」と、洋風に肩をすくめつつ、私は便所に入り、内側から鍵をしてズボンと下着を下ろし、尻を便座に下ろしたのだが、肝心の用を足す前になぜか激烈な睡魔に襲われ、そのまま眠ってしまった。「そう言えば、執筆に忙しくて寝る時間がなかったからね」なんて空々しいことを呟きながら。
(つづくはず)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?