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【短編小説】幸福の勇気#2



以前、文学系投稿サイトで発表していた創作物を加筆修正して再掲しています。 以前投稿していたサイトからは削除してあり、現状この作品はnoteのみで発表しています。 

穢雪と大鴉

 空き地の真ん中に小さな人型の雪山ができていた。
 全身が垢で固まったような汚らしい男が歩いて来てその人型雪山に腰を下ろした。というよりは尻を擦りつけた。汚らしい男のデニムは尻が擦り切れて両のけつっぺたが剥き出しになっていた。前は辛うじて隠れているものの後ろ側に布は無く、雪の冷たさと垢のこびりつきで赤黒く見える丸出しの素尻を勇気に積もる雪山に擦り付けると純白の雪は汚らし男の汚らしい糞で穢された。
 どこぞで脱糞したが紙も無く、そのだらしない思考は熔けて流れりゃ水となる雪の塊を水洗便所の水と見なしたのだろう。
 まだ30代の若い男でさえこの有様、ホームレスになり果てている。いや、男だけではない。純白の雪を自糞や経血で汚すような女だって多くいるのだ。勇気の母もその手の女だ。こういう人間どもが群れているからこの村は荒れ果て貧しくひと気がなくさびれたど真ん中の寒村となるのだ。腐りきった地に銭は降らない。

 純白を穢して尻を清めた汚らしい男は身震いして立ち上がり、雪を踏んで歩き去ろうとしたのだが、踏み出した足の踏む雪の下にはちょうど勇気の頭があった。
 踏みしめた雪の堅さに違和感を覚えた汚らしい男は首を傾げて違和感のあるあたりを鉄心入りの安全靴で踏みつけた。
 しんしんという雪の音よりもはっきりとメリッという音、例えるならスーパーマーケットで買った刺身を食べ終わって発泡スチロール製の容器を捨てようとふたつに割る、その時に聞こえるような薄っぺらい破砕音。10歳の頭蓋の強度などというものはスチロール製の安い紙皿と大差ない。粉砕とまでは行かないまでも雪の中で勇気の頭はへこんだ。
 だが、物事には裏と表がある、それがこの世の摂理である。確かに勇気の頭蓋はひしゃげたしかし、冷凍に近い半解凍いわばチルドの状態にあった勇気は凍えて痛みを感じず、しかし衝撃を感じることはできた。「いかんいかん、ここは空き地の真ん中だ、4面を壁に囲まれた温かい豪邸ではないのだ。起き上がらなければ死ぬ」勇気は咄嗟にそう思って膝を立て、勢いよく上半身を起こした。
 何日もメシを喰っていない上に腹に残っていた糞までさっき出してしまって、汚らしい男には力がなかった。起き上がった10歳の勇気に足元を掬い上げられてものすごい勢いで後頭部から雪の上に倒れ、目前にゆらりと立ち上がった少年の頭がひしゃげていることに汚らしい男は気付いた。

「なんだ、この薄気味悪いガキは。ああ、俺が踏みつけたからこんなに頭がひしゃげてしまったのか、ああそうか。しかし、こいつはなぜここに転がっていたんだ?行き倒れか?それならこの村には珍しい事ではないし、このみすぼらしさをみてもその可能性は高い。しかし、この寒さの中、雪に埋もれて良く生きていたものだ。それにひしゃげるほど強く頭を踏まれても平然としているというのはちょっと変」
 と、言うようなことを汚らしい男は思っていた。

 頭がひしゃげた勢いで少し飛び出してしまった目玉で勇気は汚らしい男を見下ろしていた。
「わ、きったねーし。なんかデニムの後ろ半分がなくてケツ出ちゃってるし。もしかしてこの人も壁が3面しかない家にすんでるのかな?デニムを買い替えないということは貧乏という事で、それならこの村では珍しくもない。むしろ金持ちの方が珍しい。珍しいというか、食うに困らない程度のお金持ちですらこの村にはいないんだから、この人が普通。標準的寒村民だ。僕と同じだ。あ、なんか頭がひりひりしてきた。ちょっとムカつく。」
 勇気は勇気で汚らしい男にそんな情感を抱いて、仕返しに頭を踏んでやろうかという考えが浮かび唇に薄笑いを浮かべたその瞬間だった。

穢雪と大鴉

「ゴファッッッ!」
 汚らしい男は突然吐血した。せっかく深々と降り積もった純白の上に汚らしい男の鮮血が降り注いだ。身なりは汚らしく性根も腐っている人間であっても吐く血は真っ赤で雪に落ちれば鮮やかだ。
 「あれ、おいさん、どうしたんですか?」
 勇気は思わず問いかけてしまった。このあたり、いかに頭が、性格が、生活がいびつであるとしてもガキはガキであって思ったことがそのまま口を突くのだろう。
 「内臓をヤられてるのさ、あちこちね」
 なんと、ガキの質問に直球で応えてしまったとちょっと自分でも驚いたのだが、長年の飲酒喫煙違法薬物接種等々で肝臓と腎臓にただならぬ損傷があることはわかっていた。わかっていたと言っても医者にかかる金はなく、そもそも国民健康保険料も未払いのままで医者にはかかりようもないので実際にはどの臓器に障害があるのかはわかっていないのだが、しかしこのような急な吐血は度々起こっているし頻度も増している、ああ俺はたぶんもうじき死ぬのだろう的な想いをこの時汚らしい男は抱いた。

 「内臓ですか。内臓と言えば、僕は子供の頃拾った新聞で読んだことがあるので知っています」
 汚らしい男の頭はぼんやりと勇気の言葉を捉えたがいまいち把握できなかった。なんだ、このガキは。話が伝わるようで伝わらない、なんか喋り方を知らないみたいな話し方をする。
 「おまえさぁ、内臓を知ってるっていうけども、内臓って言ったってかなりいろいろあるから一言で知ってるなんて言うもんじゃないよ、医者でもないのに」
 勇気は字が読めた。だから拾った新聞で内臓の事を知ったのは事実だ。だが所詮新聞に書いてある偏向記事の字面を流し見ただけなので詳細を突っ込まれたくない。寒村の子供にもプライドがある。
 「新聞によると内臓は高く売れるようですっ!」
 勇気はかつで新聞で読んだ内臓についての知識をドヤ顔で声高らかに発表した。しんしんと降りつもる雪に凍えしかし澄み切った空気を切り裂くように勇気の金属的な声は厚い雲を突き抜けるほど空高くに届き、天空で渦を巻きながら踊った。
 自らのあまりにも高等な知識の披露に勇気は有頂天となり、天空で踊り狂う自分の声とコラボレーションするかのように自らも雪上で舞った。
 「そりゃ臓器売買の話じゃないか、クソガキが」
 汚らしい男がさも呆れたと言わんばかりの表情で勇気を罵倒したその瞬間である。
 「ぶん!」
 勇気は突然奇声を発した。
 「ブギャフッ!」
 勇気は次にそう叫んで吐血し、その血飛沫は汚らしい男の顔面を中心に全身をまだらに赤く染めた。
「なんだ、おい。おめぇも内臓ヤられてんのか?」
 男は勇気の血が目に入って痛くてたまらなかったのでそのヌルヌルする顔面を素手で拭き取り、雪を掬って顔を洗ってから勇気に向き直った。
「あれ?あれれ?」」
 汚らしい男が驚くのも無理はない。勇気の腹にはまん丸の穴が開き、その穴から向こう側の景色が見えていた。
 吐血し目を見開いた勇気の身体の向こう側には白樺が生えていて、その枝に一羽の大鴉が見えた。
 「げっ!」
 汚らしい男は雪の上を素尻で後ずさった。
 大鴉は勇気の内臓を咥えていた。

…to be continued


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