古の若き指導者
現代日本では、日本国の政治家になるための権利、つまりは被選挙権が与えられる年齢に下限が設けられています。低いものでも25歳が下限です。
そのくらいの年齢でないと、政治家たる見識は得られないという事なのでしょう。
しかしその考えが絶対だとは思わない方が良いと存じます。
織田信長が桶狭間の戦いで今川義元を討ち取ったのは、26歳の時でした。それ以前、家督継承の時には18歳だったというのだから、今日の価値観では計る事もできません。
遠い西洋の地に目を向ければ、初代ローマ皇帝アウグストゥスが、養父ユリウス・カエサルに後継者指名されたのも、18歳の時でした。しかも、カエサル暗殺のゴタゴタの中でカエサルの遺言書が明らかになり、唐突に後継者に指名されていた事が判明したのです。しかし権力闘争を勝ち抜き、ローマ皇帝の座に着いたのですから、実力は本物でした。
アレクサンドロス大王、伊達政宗なども、若くして家督継承された人物として挙げられます。
つまり、政治家や武将や指導者といった立場で求められる能力というものは、年齢とは無関係なのかもしれません。
ついつい、歳を重ねた人を立てる年功序列的な考えに慣れていると、そうした歴史を忘れがちです。成熟するには歳を重ねる必要があるのかもしれませんが、熟した果実が上手いかどうかは、食してみないとわかりません。
これをお読みくださった方の価値観に、少しでも変化を及ぼせれば幸いです。
以上です。