8ヶ月のサバティカルを終えて
「30代分くらいは一生懸命働いたんだから、もう少しゆっくりしていたら?」と、独立後の2020 年3月末からの自由な日々のなかで、どこか湧き上がる「何かしなくては」と焦る気持ちを、幾度も自分で落ち着けてきた。最近はもしかしたら、あと数年続くのかもしれないと思ってきた私のそんなサバティカルは、ところが8ヶ月で突然に終わりを告げた。
それは奄美大島に住まい、全国を旅して、キャンピングカーの旅を終えた秋のこと。独立から季 節が3つも変わっていた。急に「まさか!」も含めた様々なオファーが立て続き、それに自分の 内側が反応するように自分の中に変化の兆しを見たのだった。そして、その中の一つ、SANUの非常勤取締役の就任が、今日プレスリリースで発表された。
SANUへの参戦が決まり、下見という形で初めてSANUのフィールドに足を踏み入れたあの日。私は少し震えていたと思う。交わされるチーム内の言葉、土地を持つ方々とのやりとりの間合い...談笑のなかのそれらだったが、未来を動かす大きな意思決定をまじかに感じた。踏み入れてし まったら、私から止めどない多くの可能性と疑問とが、シビアに真剣に溢れ出してしまうあの世界。そこから引いているからできる事も・笑って穏やかにいられることもある。でもその一歩から、結婚式の現場のように鳥肌が立つような感覚が、舞い戻ってくるようだった。
それは、久しぶりで私をびくっと驚かせたけど、数秒後にはすごくそれは肌に馴染んでいて、嘘みたいに心地よかった。体中の血が駆け巡るように、視界が開けて入って、自分のビジネスの感覚 が目覚めたようだった。「あぁ、また始まるのだ。真剣な日々が。何かに賭けて生きていくとい う日々が。全神経を奮い立たせて、物事を決めて、前に進めていく日々が。」そんな予感に満ちていた。頭と体と感覚がやっと揃った、みたいなそんな感じだった。
その夜、ほとんど初めましてのSANU投資家の仲間たちと、そのままサウナ合宿に行った。錚々たるメンバーだが不思議なほどに居心地が良く、自由にふるまい・笑い・言葉を発する経営者や投資家の彼らを、焚き火を囲みながらいつまでも眺めていた。「あぁ、私もまたきっと起業する日が来るんだ」と自然に 思えた。また起業家として経営者として、自分の信じるものを社会に叫ぶ時が、そして、自分が信じるものが社会の常識を超えてしまう時が、きっと来るだろう、と。
そして、同時にそれは今ではないとも、とてもすっきり思った。
私は、自分がトップの世界に疲れていた。前の私は、言い過ぎれば『私の絶対』を突き通すこと でしか実現し得ない革命戦争の渦中にいた。そこで演説し、笑い泣き、人々を牽引した。私は正しくて意味があるものを、自分でやる事にしか興味がなかった。それは、よく言えば一途で、でもその実、自分も窮屈なほど狭い、頑なさでもあったと今は思う。信じるものは変わらなくとも今の私は、自分の可能性に興味が有る。自分に何ができるのか・自分がどんな風に変化できるのか、にとてもシンプルに興味がある。もっと広く、もっと深く、もっと遠くまで、ぐんぐん自分を成長させたい。
スタイルは変わらず全てを賭けてやる、でも今の私はたったひとつだけでなく、それをいくつか出来ると思う。だからこれからのことは、SANU以外にもいくつかやる予定だが、まだ余白もある。私が出来ることは思った以上にある。そしてそれを出来る範囲を超えてやることで、未知な自分にまだまだ出会えるな、そんな風に思う。うんうん、やっぱり私は一生成長株だ!心からこれが未来に必要だと思うことをいくつも手掛けていきたいと思う。自分の中で起業するしかないくらいの何かが生まれて育ってしまう、その日まで。
「SANUという夢に乗る」。その中でもそれは、私に起きたこの上なく素晴らしい出来事で、すごく運命的なものだと思う。 大自然の中で太陽の光に喜び、体を動かして野菜を育てご飯を作り、自分の体ひとつで野生動物 に怯えながら移動し、お風呂を自分で焚いていた私は、大昔の人間の営みを少しは、想像するこ とができる。医療も暮らしも、全てが便利に整って、多くのリスクがない完全な都市を作り上げ、 そこに住い、テクノロジーの中で昔ほど体を伴わない労働をする私たちは、「人生を生きるというリア リティ」をある種持ちようがないとも思う。
その都市でしか出会えないものや成し遂げられないものがあり、私もそれを突き詰めてきた。でもやっぱり私たちは、「一人の人間として動物として、生きる」と言うことから逃れることはできない。誰もが自分の人生を探している時代、そんな時代に私は「Live with Nature - 自然との共生-」を本気で唄いそのビジョンに向かって、都市に住みながら自然とともに生きる暮らしを提案する彼らと、共に走ろうと思っている。それは、私が探し続けている「意志のある人 生をひとつでも多くこの世の中に生み出す」という26歳の頃からの自分の使命の一部だと思う。
セカンドホームサブスクリプション、それは自然に何度も訪れるためのSANUのsystemであって、 彼らのブランドの全てを指し示してはいないと私は思う。自然と生きるという、最も人間の根源的なものを預けるなら彼らがいい。彼らしかいない。そう思える引力とパワーを私は感じている。そして、私のように体や人生の一部を本気でそこに賭けたいと思う人が、周囲にもパートナーにも顧客にも、多く出てくる未来が私には既に見える。これはビジネスの大勝負であり、そのもっと手前のつながりであり、もっと奥行きのある壮大な夢なのだ。
37歳の大人になっても、私から不安というものが消えることも、不動の自信が手に入ることもないな、と思う。でも、真ん中にある自分の確固たる自信と、真剣に生きる丸裸の人間としての真っ当な不安の間で、懸命に揺らぎ続ける人間でありたいと思う。その両方がなければ、見えないもの感じられないものがある。それを自然に教えてもらった。この感覚を持って、自分の人生を探究し続けようと思う。そして、間違いなく私の人生の一部を賭けていくブランドであるSANUと、役職名に囚われず、私なりの関係性で歩んで行こうと思う。新しい山川咲も、SANUもよろしくね!
最後に今日まで、支えてくれた全ての人へ感謝を込めて。