愛ある人論(完全私見)
どうも。﨑山です。
今日も沖縄はとても暑く、
7月からしか沖縄に居ないのに
日焼けで腕の皮が全てはがれてしまいました。
身体が新しくなったみたいです。
今回は、
「愛のある人」について
少しだけ考えてみたいと思います。
1 再会
4年ぶりに。
私が小学校の教員時代に
大変お世話になった先輩方と
再会し、お酒を飲んだ。
久しぶりだけれど、
久しぶりではない感覚。
そんな人っていますよね。
その先輩方もそんな存在。
あの時の話、
今までの話、
これからの話。
そうそうそう。そうそれ!
って感覚。懐かしい。
20時半で解散のつもりが23時半。
感謝しても感謝しきれない、
良い時間を沢山過ごさせてもらったなあ。
2 湯が沸くほどの熱い愛
映画「湯が沸くほどの熱い愛」を見た。
ネタバレになるので内容には触れないが、
「あなたのくだらない人生の時間に
付き合わされていると思うと反吐が出る」
というえげつないセリフがあり、ずっと引っかかっていた。
私自身も、
「私のくだらない人生の時間につきあわせていないだろうか。」
と不安になったのである。
しかしである。
反吐が出る。と言いながらも、
くだらない人生に付き合ってくれているのだ。
なんと愛のある人だろう。
「私のくだらないに付き合ってくれたこと」
その瞬間は気が付かなくても、
付き合ってもらった人は
後から思い出して、
愛あることに気が付く。
後からしか気が付かないかもしれないね。
そうだ。星野源の歌にもあったよね。
「くだらないの中に、愛が」
3 くだらないことに付き合ってくれていた人を愛ある人と呼ぶ(完全私見)
大事なこと、価値のあることが良いこと。
そう思っていたけれど、
少し違っていたみたいです。
自分の、本当にしょうもないことに、
くだらないことに付き合ってくれること。
この人の為にとか、
世の中の為にとか、
大きな愛もあるけれど、
そういう素朴さに愛が隠れているのね。
今まで私のくだらないことに付き合ったくれた人たち全員に感謝します。