神様になった日が何故つまらないのか、私なりに分析してみた
タイトルからして喧嘩を売るような感じだが、私個人が何故つまらないか、どうしてそう感じたか
を如何に長々と書いていく。
こんなタイトルを書いておいて非常に言い出しにくいのだが、私は麻枝准氏という人物はクリエイターとして尊敬している。
一発所か、三発近くも当ててそれらが今の時代にまで長く語られている時点で彼が素晴らしいクリエイターなのは疑う余地も無い。
ただ、それはそれとしてだから全ての作品が面白い、と短絡的に評価を走るのはそれこそ名作の品位を下げてしまうと私は考えている。
ちなみにだが私は彼の作品をプレイしたことも無いし見たことも無い。触れる機会が無かったというべきか、丁度ANGELBEATSを視聴しようとした際にこちらのアニメが放映されたので彼の作品に触れる機会を失ってしまったとも言える。
このようなタイトルの時点で当たり前だが、麻枝准氏のファン、神様になった日を面白いと感じている方はこの先を読まないことをお勧めする。
割とキツい事も書いてしまうが、私個人として創作の反面教師にするのにぴったりだと思ったので今回記事に書くに至った。
私自身の考えだが、面白い作品から面白い部分を分析して、その結果良作を作るよりもつまらない作品から何でそれがつまらないのかを分析して、そのつまらない部分を避けて作品を作る方がよっぽど楽だと思う。
恐らくこのアニメはつまらないアニメとして、もう一カ月もすれば忘れられてしまうはずだ。
そうしてしまうと、非常にもったいないと私は考えた。
もう一つの理由として面白い作品は何故面白いかは誰かが書いてくれるのだ。
鬼滅は今でも数多くの方がヒットしている理由を書いている。どうせなら誰かがやらない事を率先してやった方が
読む側もバリエーションが増えて面白いはずだ。
さて、以下から早速アニメの評価、基酷評へと入っていく。
実はこのアニメだが1話から7話を飛ばしても実は問題が無い。
細かい部分では問題があるが、シナリオ全体を10とすると1か2までしか進まないので
今回は殆ど割愛させて頂く。
ちなみに私個人としての認識としてだが、日常アニメとしてみると60点位だと思う。
まあ、言われるほどひどくは無いし言われるほどつまらなくはない。
最近では見かけない表現も多々あり、独特の雰囲気を醸し出していたので見続けていた。
私個人としてはこのまま9話近くまで放映してラスト2話でシリアスかと思っていたが違うようで……。
8話
さて、では8話からの評価へ入っていこう。
8話はひなの両親へひなの話を聞きに行くのだがここに来て漸く話が動き始める。
ひなについての秘密が話されるのだが、”ロゴス症候群”というこのアニメのキーワードについて
鮮明に語られる。
ロゴスという名前の通り認識や言葉に問題が起きて、将来的に死に至るそうだ。
難しいけれど、認知症が進み将来的に死に至る、という感じで捉えて頂いても問題が無い。
ここにきて主人公の陽太が何故かひなに執着し始めるようになる。
一カ月のひなしか知らない陽太と七年のひなを知っている両親を対比して、陽太に分が有るとは思えず
完全に論破されていて何だか悲しくなる……まあ、ここはそこまで大きな問題では無い。
君はまだ子供、というようにこの時点ではまだ論理的には彼の言っている事は間違っては無いからだ。
私は陽太は嫌いだが、この8話までの彼はまあ、無味無臭だがそこまで嫌いではない。
話自体もここまでは賛否両論で凡そ一致すると思う。私はつまらないよりの面白い、だ。
日常アニメとして見るとまあ……そこまで悪いとは思わなかった。
9話
9話ではハッカー君である央人の話が展開されるが、正直ここ? と思ってしまった。
このアニメではモブのような彼の過去話を何故展開したのか分からないが、取り合えず彼には悲惨な過去があり
CEOに入社したという経歴が語られる。
まあ……一応はモブではないが、陽太とひなとの物語だから正直そこまで深くやる意味は無いはずだ。
私個人の感想だが、この時点でこのアニメは失敗したと思う。
全体的に問題点が多く、この話の一番の問題点は何故モブの過去話をやったのか、という事よりも主人公に感情移入するのが難しくなったという点だと私は考えている。
その後何故か逃げろ、という場面だがこれ自体も良く分からなかった。
ただここから先の展開に比べればこれでも些細な問題で、この後で主人公はロリコン野郎というのが確定した事だ。
まあ……家族愛の意味で好き、だと私は捉えたいが前後の文脈から見るとどう見ても一人の女性として見ているような気がしてならない。
家族のように思っている、とかならまだ分かるのだが流石に好き、と言って抱き着くのでは……一人の女性として見ているようにも思えてしまう。
主人公には2パターンいて、徹底的に無味無臭で自己投影するか要素を詰め込んで視聴者が第三者視点にするかだと私は思っている。
前者は例えばだと鬼滅の炭次郎とか、最初から感情移入させる事を目的とされていて同じ視点で物語を見て行ける。
後者だとルルーシュや夜神月だろう。自己投影は出来なくても第三者として見ていて物凄く楽しい。
この話で主人公は無味無臭になりきれず、主人公よりも感情移入しやすいキャラが出てきてしまった。
中二要素を詰め込んだ徹底的天才の央人の方が、私個人としては見ていて楽しい。
少なくとも無味無臭のロリコンよりはこっちの方が好感が持てる。
彼が神殺しをした事を償い続けるアニメの方が、まだ見ていて面白い作品となったのではないか。
所謂、主人公に自己投影出来ず第三者として見なくてはならないが、この主人公はどっちつかずで宙ぶらりんの状態となってしまったのである。
ここから私個人と陽太の感情が少しずつずれていき、以後修正される事も無いままこのアニメは終わってしまった。
10話
さて、10話で央人が転校して来てこのアニメが物凄い勢いで動き始めていく。
Aパートはひながいた時と同じような事を繰り返していてBパートで何故か年明けまで話が動いていく。
もうこの時点で意味が分からないよ、となりつつあるが私も意味が分からない。
一カ月近くを半分以上に費やして何故ここまで時期を詰め込む必要があるのだろう。
どうしてこうなったのかも分からないのだが、取り合えず央人は色々な事を追体験させていたようだったがどう考えても数カ月は長過ぎである。
普通に考えて気付くわけがない。受験という縛りがあったから仕方なく数カ月も過ごさせたのかもしれないがなら設定を変えるべきである。
ひなと過ごした時期よりも央人と過ごした時間の方が長くなっているのはどう考えても構成上のミスとしか思えない。
そのせいで、先の話のネタバレになるが、ひなと司馬さんがいた時間の方が長くなっている。
確かに視聴者としては7話近くとAパートの少しだが、そういう問題では無い。
私個人の勝手な考えだが7話もの長い時間を費やして、会えなくなった悲しさをリンクさせようとしているのかもしれないがどう考えても長すぎである。
まどかマギカではマミは三話という時点で退場し、その時点から日常は完全に崩れ去ったが、だからといって感情が乖離している訳では無い。時折マミが出てきても三話までの日常は思い出す事が出来るようになっていた。
何が言いたいかと言うと無駄に話数を費やしただけ、という話である。
無駄に話数を費やし、数カ月もの間を飛ばしてしまったせいでその間が追体験出来ずどれだけ日常が変化したのかも分からない。
ひなと央人がいる日常の違いについてもよく分からず、私達までひなに会いたい、という勝手な推測で話が動いている。
まあ、万一感情移入出来てもこの後で完全に分離されてしまうのだが……。
この後は有名なヒナァ! である。
もうありえないというかなんというか、わざわざ忠告までされているのにも関わらずこれである。
馬鹿というかなんというか……もうこの時点で陽太に対しての好感度は地に下がってもう見る事自体を辞めたくなってきた。
一応地頭は良いはずだが、どう見てもそう思えない描写をされているから猶更。
どうでもいいがここでロゴス症候群の設定と食い違いがおきこいつは寝泊りをどこでしているのかが描写されず話は終わる。
暫く、と言っている辺り帰ってはこれ無いはずだからここのベンチで寝泊まりをしているのかもしれないが、恐らく凍死してしまうだろう。
ここでの問題点というか、所謂創作でありがちな起承転結が全くできてない、という話である。
12話なのでまあ、3で均等に分けるのが一説としては正しいがこのアニメはここに来て点までぶち込んでいるのである。
テンポというのは大事で見る側にもメリハリが付く。シュタゲ等当てはまらないアニメもあるが、それは敢えて王道を外しているのである。
最近はなろうやきらら系等で必ずしもこれに当てはめなくてはならない訳ではなく、起承を繰り返すような話も見受けられるがこれはそういう話ではなく、起承転結が無くてはならない物語だと思う。
このアニメは正直王道を外れすぎていてこの時点で大多数の人がついていけなくなってしまったと私は考えている。
一部の偏屈以外でもおかしいと気付くのは猶更で、ツイッターのサジェスト等もこの辺りからなんとも言えない空気を醸し出してきたと思う。
11話
さて、次は11話、何故か滅茶苦茶にリアルな介護の描写をされていて見ていて物凄くキツい。
時間は15分にも満たないが主人公を嫌う条件が徹底的にそろえられている。
自分が正しいという意見で進んでいるのである。まあ、これ自体はひなとの両親との対話でもあったが自分の考えが絶対正しいという倫理観で話が進んでいる。
思い通りにならないとすぐに怒鳴り、眼を見てくれさえすれば思い出すという勝手な推測で行動を続けている。
恐らくは介護の難しさを伝えたかったのだろうが、私個人としてはそんなところを描写されても……となってしまった。
その後の司馬さんとの会話でロジハラを受ける。何故かこのアニメは大人がほぼ9割正しい存在で話が動いており物凄く歪な構造となってしまっているように思える。
大人に反抗する子供、というのはある種で王道的なテーマだがそうだとしても……例えば、子供に無理やり塾などを通わせていて、主人公がそれはあの子が望んでいるのか! などはまだ道理として通っている。
大人は将来の事などを問うが、主人公側は本人がそうしたいとは望んでいない、等伝えればまあこちらとしては一応納得は出来る、が
今回は大人が9割9分正しいのが問題なのである。
というか10人中9人は誰がどう見ても司馬さんが正しいと思う事が問題なのだ。物語として破綻している。
引き取ってどうするのかも分からず、央人がいなくなった今はこちらの職員に対して感情移入出来るようになってしまった。
これも全部主人公がロリコン野郎という思考で一貫していて、自分が正しいという考えで動いているからここまで感情があわなくなってしまったのである。
私はこれを見ている限り引き取っても怒鳴りちらして無理やり自分の思い通りにさせる未来しか見えない。
Aパートの時点でここまで問題が起きていたが、Bパートもこれ以上に問題点が浮き彫りになっていく。
Bパートで何故かテレビを病院に持ってくるという頭がおかしい……はっきり言えばキチ●イみたいな思考で話が動く。
そこはせめて携帯ゲームを持ってくるべきでは無いだろうか。
当然好きなようにはやらせず、自分の思い通りにやらせる。再三いうが主人公はそこそこ頭が良い設定で18歳である。
どう見ても18歳では無い、よくて中学生である。
よくこういう描写に対して学生だからーというが、18歳は通念上大人であるし世の中には中学を卒業した時点で働いている方もいる。
このアニメでも央人が出てくるが、彼らを差し置いて学生だから、なんて言い訳は通じないと私は考えている。
アニメだから、というが他が現実的なのにこの部分だけファンタジーにするのもそれはそれで都合が良すぎる話だろう。
制作側もこの時点で明らかに主人公をsageすぎたと考えたのか、唐突に職員の過去話が展開されていくが
だからといって職員が間違っているとはならない。
まあ、ある意味で公私混同をしているから間違っているのかもしれないが介護という職業は過酷で、現実では少し前にも虐めの問題が起きている。
少なくとも彼女はそういう事をせず、公私混同をしてしまっていても一生向き合う、という覚悟で働いておりその部分を間違っている、とは私は思えなかった。
まあ、彼女の唯一のsageポイントはゲームは頭に悪い、だろうか。
最近の研究では、ゲームアプリやテレビゲームには認知症を予防する効果があるという結果も現れていて、この部分だけは彼を否定したいが為に出まかせを言ってしまった、とも捉えられる。
それだとしても未知の症候群だからゲームは危険……というのは間違っては無いと思うが、少なくとも一応認知症の研究結果としては出ており、一概に悪い、とも言いきれない。
間違ってもRPGは脳に良い、とは言えないと思うが。
というかどうして彼はRPGを持ってきたんだろう。マリオ等の簡単なゲームを持ってくるべきだったんではないだろうか。
当然この後も指示をしまくる。もうお前いるなよ、と言いたくなってしまう。
同じことの繰り返しで何一つ学習しない、見ていて頭が痛くなってくる。
ボスに倒された事よりも主人公がうるさいからひなは嫌になってしまったのではないだろうか、兎に角うるさいし大声を出しまくる。
この後何故かレベル上げをするが、はっきり言っておかしいとしか言えない。
音がうるさいとかじゃなくて、何でここにいるのかすら分からない、常人の思考では無いのである。
ロリコン野郎の時点ではまだ、家族愛でなんとかなっていたがもうこの時点でただの気が触れた人になってしまった。
何度も言うが、普通の学生でそこそこ頭は良いはずである。
もう少ししたら大学生に彼はなるはずだ。一般的な倫理観というのを持ち合わせていないとならないはずだが
とてもそうには思えない。
この後の英会話も会話が成り立ってるとは思えず、中身が本当に高校生なのかも分からない。
英語が分からない方の為に説明しておくが、who are you?という語句は中学で覚えるべきものであり
大学に行く人間ならば覚えていなければならないものである。
まあ、このアニメがthis is badという流れの為に無理やり頭が悪くされてしまったのなら同情するが。
最悪な事に職員視点からいかに彼が非常識な人間か、という事を描写する事には成功してしまっている。
勿論主人公としては完全に失敗している。これならいっその事W主人公で後半を職員にするべきだった。
そもそも主人公が無味無臭だったのに急にこんなに活動的になるのも分からないし、引き取ってどうするというのか。
介護は24時間誰かが付き添いでいなければならず、仮に彼の家に連れてこれたとしても彼は大学を辞めてまで彼女に付き添わなければならない。
親に押し付けようにも親だってこんな遠い親戚の子の介護なんてやりたいはずがない。ひなの親ですら手放してしまったのだ。
少なくとも本当に家で介護をしたいのなら両親にも許可を取るべきなのに、そういうのを無視して主人公のすべてが正しいという前提で話が進んでいくから見ていて物凄く気持ちの悪いアニメとなってしまった。
アニメだとしても何故かやたら介護の描写などはリアルだし、ファンタジーとも割り切れず全体的に異様な雰囲気が漂ったまま話が展開されていく、これはどのようなアニメを目指したんだろう。
この話で創作に使える教訓だが、余り主人公を突飛な人間にしないという事で、突飛な人間にしたら誰かがそれを間違っていると指摘しなくてはならない。
例えば月は間違っていると明確に否定され、その結果彼はあの世界でも間違っていると証明された。
今回も誰かが陽太が間違っている、と指摘さえすればこの世界で彼は間違っている、それでも正しいと思い続けて行動している、という感じである種の道理は通る展開となる。
書いてる最中にこれは良い!と思っても一歩下がって冷静に事を見て判断しなくてはならないのである。
少なくとも創作者の意識と読者の意識が一致しているとは限らない。ほぼすべての人間と一致とまでは言わないが
どちらかに振り切るのが大切だと私は思う。
このアニメでは主人公の描写はブレブレ(途中まで無味無臭だったが唐突にアクティブなタイプへと変更)され、大多数の人はロリコンでは無いのにも関わらずロリが好き、という感じで話は動かされている。
最終回
最終回では、バレた所から話が展開されていく。
この話でも伝統の叫ぶシーンはしっかりと描かれており、結局最後の最後まで改善される事は無かった。
そして結果的に怖がらせてしまい、こいつは最初と同じ事を延々と繰り返し、そのまま連行されていく。
取ってつけたような体が弱い設定がここで生きてきて、昔の事を思い出すシーンに繋がり
所謂奇跡という展開で、司馬さんも納得して連れ帰るのだがこれで良いのだろうか……。
ちなみに、周りは何も言わず介護を受け入れるようで……なんというか雑だなぁ、と私は思った。
ここら辺がある程度ご都合主義になるのは仕方ないと思うが、それにしても事が上手く進みすぎていて
せめて怒鳴るシーンさえ無くして普通に介護できる描写があればまだ、違和感は大きくなかったのかもしれない。
または一人ぐらいちょっと……というシーンがあって、それでも陽太が説得するシーンがあればまだ、ご都合感は酷くなかったのかもしれない。
ちなみに取ってつけた病弱設定はまた消えた。ここらへんで多分何も考えていないんだろうな、と疑惑は確信へと変わってしまった。
男性が怖いとか大声が嫌だという設定もここで取ってつけるように消える。もう何も言えない。
大学を受け直すという、それならセンターが終わったという描写を入れる意味も分からない。
全てが意味が分からないままに映画のシーンへと繋がり、良い感じの終わり方になる。
見方によっては無味無臭の高校生からロリコンに変わったから、最終回自体は悪いとは思わないが……
結局それで良いんだろうか。
介護だって一つもこなせていなかったし。
これなら、記憶を思い出した奇跡よりも、すべてが治った奇跡の方が面白かったと思う。
結局全てを放り投げた、まあそういう展開は悪くないと思う。恋愛ものも付き合った辺りで終わる話もある。ただ恋愛ものと違ってこの場合引き取った後の展開が
問題だと思うのに、それら全てを放り投げて、チップも放り投げて、恋愛ものなら付き合った時点でほぼほぼ8割近く完結しているが、これはまだ半分の折り返しだから物語が終わっていない所で放り投げたのである。
結局のところそれも奇跡的に治った、の方がまだご都合主義観が半端ないが無理やりその辺りを説明できる。
このアニメの終わり方でもひなは……と言っていたが結局の所全員がコンピューターひなを見ていて、誰も現実を直視していない。
気持ち悪いままアニメが終わる。
途中まで主人公だけが嫌いだったが最終回は全員が嫌いになった、クラスメイトも家族もこれからの事を何一つ考えていない、ただ楽しかったという過去の思い出に囚われている。
家族も何も見ていなくて、これから24時間の介護の事なんて何一つ考えていない。
唯一今いる現実を直視していた司馬さんは何故か納得して引き取らせて帰る。馬鹿みたいだけど本当の事だ。
本物のひなを両親の次に見ていた司馬さんには何も起きず、ただコンピューターひなを見ていて現実のひななんか見ていないこいつに奇跡は起きたのである。
はっきりいって滅茶苦茶なアニメだ。大人の方が正しいのに脚本の都合のせいで主人公が全て正しくなり
その頭のレベルに合わせて全てが展開されている。
周りの馬鹿共もひなに手を差し伸べようともせず、陽太と同じくらいの頭にされている。
上で家族が介護をやりたいはずがない、と書いたが無理やりこいつと同じ頭にする事で解決させたのである、暴挙だ。
自分のやっている事が正しいという思いつきで本人の事なんて何も考えず、バスケだって入るまでやらせる。
多分陽太が何もしないからだろうが、病人に対してこれはあんまりではないだろうか。
ちなみに、央人はアレで罪を償ったつもりらしい、少なくとも私は1分位でも良いから必ず元の状態に戻す、等の描写は入れて欲しかった。
後書き
そもそもこのアニメで世界が終わるとかひなのロゴス症候群とかその辺りの設定ですら意味が分からない。
思い付きで全部ぶちこんでるようにも思える。
記憶喪失でもなんでも話は展開出来たし、体が弱っていく設定すら一話の中で二転三転していてどういう病気なのかも分からない。
男性恐怖症とか、介護の描写とか要らない描写ばっかりが多すぎて本筋がしっかり出来ていない、少なくとも
日常シーンはあんなにいらないし、モブ共の過去描写だっていらない。
はっきり言うけどこんな形で視聴者を騙して、下らない設定に付き合わせておいて、最後まで見させておきながら
こんな理解不能な終わり方を叩きつけるなら会社ごと潰れた方が私は良いと思う。
視聴者を騙すことでしか延命出来ない、それも賛否両論別れる形ではなくて明確に否が多い。
会社の存命をかけた、と言えば何でも許されるわけではない。少なくともこのアニメは詐欺に入ると思う。
ちなみにこの記事を執筆しているのは12月27日であるが、その時点で氏のツイッターアカウントは消えている。
やむを得ない事情があったのかもしれないが、私個人としてはツイッターに賛否両論の意見が送りつけられてくるから
と考えてしまうのは邪推だろうか。
一応、創作のやってはいけない事として今回は設定を余りつけたりしない事と最終回を終えた後第三者がどう思うか、だろうか。
それはもう既に長々と書いているので、今回は書かないが。
今回初めて氏の作品を視聴させて頂いたが、余りにもびっくりしてしまった。ただつまらないだけなら悪くはない、だったが全体的に不快な要素が散りばめられていて、特に不快だったのが主人公だったのである。
そして、全体的に創作初心者の人がやりがちな事を詰め込んでいて……私自身は作品を作ったりはしないが、面白い作品やつまらない作品をたくさん見ていれば、大まかには面白いパターンのようなものは感じてくる。
今回のアニメはここまで創作初心者がやりがちな事を詰め込み、それをプロがやってしまったという点で長々と解説する事にした。
この長い休みで私はもう一つぐらい麻枝氏の作品を視聴してみる予定だ。現状はAIRかANGELBEATSだが、このクソみたいなアニメよりは面白い事を願うばかりである。