コードギアス ナナリーについての考察

元々この記事は作成する予定がなく、ロストカラーズの記事にぶっこむつもりでしたが想像以上に長く、小説版の感想を織り交ぜて書く事になったので記事を分割する事にしました。

コードギアスR2というアニメをご存知だろうか?世間一般では駄ニメだとか、名作1期を超えられなかった典型的作品だとか、ある意味でネタ的な面(百万人のゼロだとか)でばかり話題になっている作品であるし、私も当時はそう思っていた。
1期のナリタ攻防戦やギアスキャラ同士の心理戦、そして血染めからのブラックリベリオン…余りにも面白くワクワクする展開が続き、その続編は一体どれだけ面白いのだろう?と思っていたのだが、正直なことをいうと…所見では意味がわからなかったというのが事実である。
やはり中華のgdgd,余りにも複雑な思考エレベーター、そして複雑な人間関係を描いているのに話数がたりなさすぎて描ききれなかったという事があるだろう。
ギアスは何度か見返していたが、中盤は退屈で正直飛ばし飛ばし見ることもあった(学園編とかね、見ても見なくても変わらんし)が、ほんとうの意味で見るのが苦痛だったのは私が好きなナナリーが余り出てこなかったから、というのは大きいだろう。
私がコードギアスで一番大好きなキャラはナナリーであり、今も昔もそれは変わらない。R2はナナリーが全く出てこないし最後にぽっとででフレイヤポチポチだからさもありなん、といった感じだ。
ナナリーの魅力としては、やっぱり余りにも悲惨な所にあると思う。恐らくギアスで一番悲惨なキャラはナナリーではないか?私はそう思ってしまう。ただ、そう思われないのはやはり…まぁ、描写力が足りないからなのかな、と昔から薄々感じていた。
久しぶりにプレイしたロストカラーズで久しぶりにギアス熱が湧いて、買ってしまった小説版。わざわざ読むのは面倒くさくて放置していたのだが、ナナリーの魅力を再認識した私は小説版を買ってしまった。
結果として、その判断は良かったと思っている。私がR2に足りないと思っていた部分を全て、補っていたのだから。


R2の大前提として、シンプルでわかりやすかった1期黒の騎士団VSブリタニアと比較して、あまりにも複雑に絡み合っているのは分かるだろう。
人数も多ければ歩んできた道も長い、スザク何かは血染めをいつまでも引きずっているように見えるし、皆1期+(過去)を引きずって二期に物語が続いている。ユーフェミアというキャラはそれだけ、コードギアスという世界で大きなキャラだったというのもR2だろう。
R2の大前提としてルルーシュVSナナリーがあったのだろうが、これは恐らく制作途中で頓挫して、中ボスといった形で終わってしまった。なのでナナリーというキャラはこの時点でキャラとして死んだといっても差し支えない事になる。
守られるだけのキャラであり、ユーフェミアとは違った優しさを持つ彼女はルルーシュの生き甲斐であり、大好きだったキャラだった。目が見えないし足が動かない彼女は一歩間違えればルルーシュと同じ考えになったのにも関わらずそうはならなかった。
これはルルーシュと違ってナナリーは人の優しさに触れていたからだと私は思う。というか、そうなのだが。
結局R2は完全にナナリー視点を省いたせいでその辺りが不明瞭になり、アニメルルーシュのナナリーが何を考えていたか~~の下りも意味が分かりづらくなっている。し、ノベルナナリーが嫌いな人達からするとアニメとノベルは別物で、ナナリーは優しいキャラであって欲しい、というのがナナキチ派で分断も行われており、このキャラが想像以上に語られなくなっている要因の一つでもあるからかもしれない。アニメナナリーとノベルナナリーを同一に見ている人見ていない人でこのキャラ(+兄妹)の味方は180度にも変わってしまう。
そして見ている人もナナリーの性格はヤバい、だとかルルーシュに恋愛感情を持っていたとかで、実は想像以上にこの小説を読んでいる人は少ないんじゃないか?と考えたのが今回私が執筆しようとした理由だった。
私は昔からまぁ、ナナリーが気性が激しいのはアニメでも言われていたし最後だとか見るに当然だよね、と思っていたが…もしかしたら私のような考えの人は少ないのかもしれない。というか経験上少ない。
何をやってもマイノリティ側になってしまう私は、まいどまいど逆張りのような人間になってしまう。最近だと風化よりエンゲージの方が好きだし、他だと蒼炎が好きだし、最近だとペルソナの記事書いてたがXでいや、それはどうなの?とか言われたし、まぁ…別にいいのだけれど、そういう人間なので恐らく今回の事も俺が面白いって思ってることは大多数と合わないだろうな、というのは少し自覚している。
ただだとしても誰かが語り継ぐ必要というのはあると思っている、私が思っているネットというのは多種多様な意見があり、望む情報にアクセスできるところ、そして意見が少数派に近い人間でもそれに近しい人間とコミュニケーションを取れるところだと思っている。
なので私は今回もナナリーの考察を書く、そうする事によって一人でも自分と同じ人間に、あ、こういう人もやっぱりいるんだよな…と思っていただきたいので。
長くなってしまったがここから本題に入る。
ちなみに、ナナリー視点はR2の小説だけを買えばある程度完結するので全部買うのめんどくせ~と思う方は、この四冊だけ購入していただければ差し支えない。ナナちゃんの自傷癖もR2でさらっと触れられているので、余り気にせずに読める。
そう考えると常に紗代子さんをおいているルルーシュの事も分からんでもなくなるし、本質は意外と些細な事にある…とはナナリーにも当てはまるのであろう。

さらっと四巻分のあらすじを書くと
1巻
基本的にアニメの補完、本編ではお飾り通り越して空気キャラになっている
ナナリーの人となりを補完して、この物語がやりたかったルルーシュとナナリーの対立を描いている。本編では皇族同士の話は余り出なかったがナナリー視点なのである程度描かれているし、1期のキャラ崩壊と言われているシュナイゼルの驚愕もはっきりとアレはありえないと言われており、その点で見てもなかなかに面白かった。
本編では敵だったシュナイゼルが、ナナリーの味方としてサポートするのも中々に面白い。
ずっと守られる側だったナナリーが少しずつ変わろうとする話…。

二巻
1巻の続きで、全体的に話がややこしくなってきた。ナナリーが特区日本を作るのに翻弄する話。
本編ではギャグだった100万人のゼロをある程度保管しているというか、正直な所R2をアニメでやるのはあまりにも難しかったんじゃないかと感じた。
特に影の主役になるはずだったナナリーの見せ場が政治だったりで余りにもアニメ映えしないのもマイナスで、おそらくばっさりカットされたのだろうと思う。
ナナリーは間違いなく1巻よりも進んでいて、大胆不敵な作戦はあのルルーシュの妹とも本内で書かれているし
ゼロがナナリーに政治的な視点でアドバイスをするのも中々に面白い。
差別をなくすのは大切だが、差別をなくすと今度は外側から崩壊する…とはFEの政治にもある程度
通じるところはあり、アニメのノベライズとは思えないほどによくできている。
まぁ、ナナリーが好きじゃないと楽しめないのは確か。余程のナナキチじゃないと楽しめないのはある。
そしてそういう人は高く評価するから、世間一般的な作品よりも評価は高くなるんじゃないでしょうか。

3巻
全体的にアニメに沿った事が多く、ナナリーの事はさらっと触れられて終わる。本編では余り不明瞭だったギアスのコード関係とかが丁寧に書かれているので、ある意味では読んでおいたほうがいい作品。強いて言えばナナリーがフレイヤの脱出からどう逃げたのか?ぐらいかな、といった感想。

4巻
恐らくネットで言われているナナリーの事は全部これに書いてあるので、どうしても時間がない。小説は苦手、それでもナナリーのことを知りたいって人は最悪これだけ読めばなんとかなると思う。
自分の目で見て、肌で感じる…ネットの誰が書いたか分からない情報より、自分の視覚と感覚でナナリーにふれることが大切、それが苦手であっても、自分の目で見る、それが大切なので。
マリアンヌの本性もこれに書いてある、がまぁ、正直それはアニメでもある程度書かれていたのでそっかぁって感じだった。元々ギアスが発症しやすい家系でルルーシュとナナリーをかけ合わせると更に反応が強くなるだとか、まぁこのあたりはアニメ内でも理解できる範疇かな。
ナナリーの目と足を奪ったのは、そうすることで第六感を研ぎ澄ませるとかいう当に外道のような考え。
ナナリーもバカではないので、王宮襲撃のマリアンヌには疑問を覚えていて、本当に優しい母だったのか?と疑問に思うところは恐らく本巻、というかナナリーの人となりを表す大切な部分かもしれない。
ルルーシュとナナリーは男と女であり、兄と妹、見えてる景色も世界も全く違ったのにそのことを話し合おうとはしなかった。
言うように、ルルーシュもまたナナリーにとって都合の良い世界を作ろうとしていたとも言える。
ただ、マリアンヌの血を強く引いているのもナナリーなのでマリアンヌに一切触れないわけにはいかないという中々厄介な問題も抱えている。
というか、アニメ本編でもナナリーの笑顔の意味…って言っているしある意味で小説の設定全てが…まぁ、あくまでアニメとノベルは別物なのでね、ここでそれを否定しても話にはならないので。
ナナリーが優しくない、というのは間違いだと思っている。優しい上に気性が激しい、が正解。そもそも優しいとは何なのか?という哲学的な問題になってしまうが。
ただ全体的にアニメでは障碍者だった事に意味があんまりなかったが、ノベルだとそこを掘り下げているのは余りにもびっくり。これアニメのノベライズだよ?ってなった。
偶に見る、障碍者と付き合うのは楽だけど結婚するとなると…みたいな、綺麗事では終わらない事をナナリーの口から言わせるのは正直、作者の技量としか言いようがない。汚い話は誰も避けようとする、それをあえてナナリーに言わせたことでナナリーというキャラに深みが増している。
また、ナナリーがルルーシュを異性として好きだったかについては、正直なんとも言えないところ。大好きだった、とあるが兄としてを超えてまでかどうかは、わからない。間違いなく普通以上の何かはあるしナナリーの方がルルーシュに依存しているのは事実なのだが。
(このあたりはエピソード0を読むとより分かるとお見ます)
地味なところとしてはナナリーがフレイヤを落とした真意に気づいていたのもポイントが高い。そのあたりの掘り下げも流石、と言える。
スザクに対して罵詈雑言と言われるが、正直これは本編で裏切りの枢木とかで触れられたぐらいなのが逆におかしい。結局スザクは自分では何もやっていないし、ゼロに助けられなければ処刑されていたのも事実なので。このあたりもアニメ映え+尺で犠牲になったんだろうな、という感想。
結局ナナリーもルルーシュも同じ道を選んだ、それが兄と妹だから、というものがコードギアスR2の深みになり、最後に心が漸く繋がる最終回に繋がるのだがナナリーのキャラが完全に死んだせいでフレイヤポチポチ位しか見どころがなくなってしまったのがR2の失敗したところだと思っている。
かといってR2の中華連邦を削ったり学園編を削ったりしてナナリーの描写を入れて面白くなるか?と言われたらそれはそれで、ナナリーの描写がつまらない、と言われていたのではないかと思っている。
結局アニメ的に面白くないし、これだけの深い政治の話をアニメでやったら解説だけで30分終わってしまうので。
最後のルルナナの話は、これで物語として終わったな、といった感想。正直当時はこれで終わったん?ってなったが復活で似たような展開になったあたり、制作陣も不本意だったのではないかといった感想。


かいつまんで書いたが、これがコードギアスで語られなかったナナリーの裏側である。正直この小説を読んで感動致しましたね、私は。
余りにもナナリーというキャラに対して真っ向から書いているので。


という事でここから漸くナナリーの考察に入るのだが、やはりナナリーの魅力としては守られる立場から守るべき立場になったという事ではないだろうか。
優しいだとか可愛いだとか、そういう表面上の魅力もあるのだが私個人として一番伝えたいのは、ゼロとは違う仮面を被って生き続けていて、ルルーシュとは全く真逆の立ち位置にいたことでは無いかと思う。
ルルーシュが仮面を被るゼロはかっこよくて、常に誰かを引っ張っていくリダー気質だがナナリーが仮面を被っていたナナリーは一人では何も出来ずに、誰かに支えられていたという点であろう。
ルルーシュはナナリーの為にゼロを演じて優しい世界を作る、ナナリーはルルーシュの為に優しい妹を演じて理想の妹を演じる。どっちも悪くはないし、それぞれの正義があるのだけれど、悲しいことにこれがこの二人を分けてし合った。
ノベル版でも言っていたように、どこかでどちらかが歩み寄ればこんな事にはならなかったのではないか?ルルーシュに対して、私がそんな事を望みましたか?と行っていたが、それはまんま逆に対しても当てはまる。
ルルーシュは、ナナリーにナナリーでいて欲しかったのではないだろうか。
結局ルルーシュには気付かれていたし、その気遣いがまた、ルルーシュをゼロにしてしまったのかもしれない。

コードギアスのテーマの一つに違った顔がある、というのがある。それがダモクレスの嘘偽ない世界に繋がるのだが、この二人も例に漏れない。

また、R2ノベルを通して一人の政治者として立派になったという点も見過ごせない点だろう。本来この当たりはアニメもそうなのだが、アニメはそのあたりが完全にはしょられているので、ノベル版、と今回は断定させて頂く。
そもそも私はユーフェミアの理想論が好きじゃない、というかユーフェミアの理想論は間違いなく頓挫することはある程度この手のものに触れていればわかると思う。
例えば評判が悪い暁の女神だが、あれもエリンシアは全員に平等に…といった形だったが結果的に反乱は起きてしまった。
ミカヤの元に集まった解放軍ですらラグズに表立っては嫌ってはなかったものの…だったし、本当に特区日本が成功したかどうか、私には分からない。
ネットでよく言われる血染めが無ければ、とあったが無かったら無かったで問題が山積みだった上、ナナリーの成長が一切なくなるのも痛いところ。
そもそもユーフェミアが皇族を降りる=ユーフェミア以外の人間が統治する訳でね、ロスカラの開放前線EDが本当に正しいのかどうか、私には分からない。
そう考えるとナナリーの特区日本は失敗したとはいえ、段階的に遥かにマシな点というのも面白いところ。
この特区日本を樹立します、というのもナナリーの性格を表している。結局この子はワガママだからな、我が強い、本当は誰よりも自分が一番だと望んでいるのかもしれない。
ナナリーのプライドはかなり高いのはノベル版を読めば更に補強されるが、本当は自分で全部やりたいのにやれないというのも凄まじい。
書けば書くほどに業を背負いすぎているキャラ…。
こうするとルルーシュがいなくなると自暴自棄になるのもまぁ、=になると言える。
それが出来ない=ルルーシュの一番である事がナナリーの望み。それが叶わなくなると無意識に破壊し始める。

このプライドが高くて、もう片方の一番でありたいのはやっぱりこの兄妹だな、となる。
また、細かい点と言えば上と重なるが、ルルーシュとは違った方法で民衆の指示を集めることに成功したのもこの兄妹となる。
ナナリーは曲がりなりにも(アニメだけでも)特区日本というディスアドバンテージを背負い、誰からも支持されなかったのにも関わらずナナリーなりのやり方で日本を途上エリアにし、最終的に皇女となったのは、かなりのシンデレラ・ストーリーとも言える。(のにあの扱い、作品が作品ならこれで一本物語作られますよ?)
ナナリーは自分ひとりではできないことがある事を知っていた、とはルルーシュの言葉だがこの日本に対してもナナリーは色々な人に協力を求め、全てが独断で行われるルルーシュとは真逆なのも面白い。
もし、ナナリーとルルーシュが二人で政治をしていれば、きっと成功していたかもしれないのに…。

話は代わり、ナナリーは自分の無力さを理解している。自分ひとりでは何もできないことを。その結果ナナリーは三度自分の居場所を失ったとも言える。
一度目は不慮の事故としても二度目のルルーシュと生徒会、そして三度目のラウンズ。自由に動かせるものを三回無くしたと言ってもいい。
そしてゼロがルルーシュだった事。それでもナナリーは最後までルルーシュの事を信じていたが、結果的には…。
逆に、ここまでよく本当のナナリーを出さずにいたと言える。ナナリーがそれだけボロボロになっても、動揺してもルルーシュだけは味方だと考えていた。4巻でアーニャにあたったアレは年齢と境遇を考えると当たり前といっても差し支えないだろう。というか、逆にあの状況で自暴自棄にならないキャラはコードギアスの中でも存在しないだろう。この一点だけでナナリーが非難されるのは余りにも可哀想過ぎる。信じるもの全てを失った彼女は余りにも…無力だった。
スザクに話したアレは本心だったように思える、この二人が生きていたからこそ結果的に多くの犠牲が出てしまった。
そして、結果的にナナリーのせいでルルーシュが変わってしまった事を苛み、ナナリーは一人で全てを終わらせることにした。
ノベル版ギアスを読んでいるとナナリーの思慮深さというのはいかんなく書かれていて、ペンドラゴンを焼き払った真意についても気付いていた。
気付いていて、自分の無力さを実感していたのだろう。
結果的に、ナナリーの稚拙な筋書きはルルーシュによって、完璧な物語へと昇華されたのだが。


ここまでじっくりと考察してきたが、ナナリーは誰よりも優しいと私は考えている、それが偽善であれどうであれその優しさに偽りはない。
コードギアスのテーマの一つだと思うのだが、如何せんアニメでは消化不良で終わっている。
ユーフェミアとの対比は作中でも行われていたが、ユーフェミアは慈愛、といっても差し支えないかもしれない。ナナリーが変わったのは皮肉にも事件で自由を奪われたからで、その結果人の優しさに触れる事ができた。
一人では何も出来ないからからこそ、誰かと支え合う事が必要だと考えている。それは自分の本心を捻じ曲げてまで、マリアンヌの実験は思わぬところで副産物を産んだのかもしれない。最も…あの二人はナナリーの笑顔の意味すら知ることなくCの世界に閉じ込められたのだが…。
ナナリーは優しいから、ルルーシュと似たような道を選び、最後にダモクレス事崩壊する事を考えていた。理由はノベル版に書いてあるが。
もし、あの事件が無ければナナリーはこうはならなかったと思うと、世の中どうなるかわからないものである。

英雄がなぜ英雄と呼ばれるか?それはトラキア776をやればある程度わかると思うが、端的に言うと時代が求めているから、誰かが祭り上げられる。
それはルルーシュもナナリーもそうだろう、一歩違えば、ナナリーとルルーシュは逆の道を歩んでいたかもしれない。ナナリーが世界へ復讐するといったこともありえない事ではなかった。
世の中は偶然と必然の積み重ねで出来ている、何かが違えば、よりよい未来になったのかもしれない。ナナリーはこれからも自分のした事、そしてルルーシュへ押し付けてしまった事を忘れることはないだろう。ナナリーは優しいからこそ、それを忘れることはない。そしてそれが公になる事は…一切ない。
コードギアスの物語の英雄はルルーシュで、英雄は二人もいらないのである。
光の英雄がルルーシュならば、一切表に出ずルルーシュと対立したナナリーは影の英雄とも言える。もしくは邪魔をした敵だろう。
歴史というのは勝者を基準にして周り、敗者に弁解の余地は存在しなくなる。それはまるで本編のエリア11のように。
映画のように今後もルルーシュに都合のいい歴史が扱われ、そして彼は最終的に英雄となる。奇しくもディートハルトの演出と同じように。
私はそれに対して違う、と言いたい訳では無い。それは事実であり、大衆はそれを望んでいるからこそその出来事を否定しても何も産まない。
結果的にギアスの展開はルルーシュありきでないと、上手くいかないわけで。
ただ…この記事を読んだ人、ナナリーが好きな人は彼女という人間をもう一度捉えて、歴史に刻まれない人生を歩んだ彼女の事を少しでも思い出してほしい。表には出ずとも彼女の軌跡を語り継ぐ、それは優しいナナリーが誰よりも望んでいる事だろう。
私はこれからも、出来ることなら一人でも多くの人にナナリーの生き方を伝えていきたいと思う。幸いこのアニメは現在再放送をやっており、もう少しするとR2に入るのかな?R2がつまらなく感じてしまう人もいるだろうが、そのような人にこそ私の記事、引いては素晴らしい物語を書いて頂いた岩佐まもる様のノベライズをお勧めしたい。

長くなってしまったがこれにて、私の考察は終わりとする。

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