2024/08/31 早朝の、小沢健二についての文章
あの秋の空をまだ覚えてる。
あの時中学生だった僕は焦がれていて、好きな人に会いたいなって思っていても距離に阻まれ、ただただ焦がれてた。
なんてことないただの秋の日のことだった。教室から見た空が、澄んでいる空があまりに綺麗で。打ちのめされていた。
この日のことは忘れないんだろうなあなんて思って、本当に忘れてない、そんな日だった。
小沢健二の曲を聴き始めたのは小6〜中学1年頃のことだったと思う。友達の聴いていたフリッパーズ・ギターの、恐らく「バスルームで髪を切る100の方法」を聴かせてもらって、ハマって、アルバムを借りたりたまたま見つけたシングルを買ったりした。(カメラ!カメラ!カメラ!のシングル版を見つけた時、一緒にサンリオタイムネットの中古の攻略本を買ったのを覚えている。このシングルはなんと8cmCDではなく、通常サイズのCDなのだ)
やるせなさ、心がギュッとして、ドキッとして、ところどころに愛情のような、嘲笑感のような歌が、声にとても魅了された。
そうしてるうちに小沢健二と小山田圭吾という2人の名前を知り、小沢健二の曲にのめり込んでいったのような気がする。
LIFEを借りて浮かれてキラキラして少し寂しくて、犬は吠えるがキャラバンは進むを借りて「あっ暗い!!でも光が差し込んできてる!!」って感じて、球体の奏でる音楽を借りてジャズ・サウンドの虜になり、Eclecticを借りて「?????????」となった。さっぱりわからんかった、好きだけどね!歌詞カードを見てびっくりしたのを覚えてる。
刹那を買いに行った。ジャケットが3種類あって、どれにしようかほんとに悩んだ。最初に手に取ったものを選んだ。正月に買いに行ったのを覚えてる。
知ってる曲もあったけど知らない曲も多くて、さよならなんて云えないよとか、夢が夢ならとか、キラキラしてるけど物寂しさがどこからか湧き出してくる歌詞があまりに好きだった。学校に行くバスで強い気持ち・強い愛を聴くたびに涙ぐみそうになっていた。坂が多い道だった。空がたくさん見えた。
それからCDはあまりでなくて寂しかった、アルバムを何度も何度も聴き返した。一番聴いたのは刹那だろうか。中学の時なんて3年間しかないのに、めちゃくちゃ聴いた。あの頃の3年、というより1年はあまりにも長くて、目の前の事が重大すぎて、何かを失ったらもうだめなような感じで少しずつ自分が不安定になってたような気がする。それでも「ある光」を聴いて、目の前がすごく開けたような気がした。
LIFEの話に戻る。このアルバムはもうだいたいずっとキラキラしてて、でもたまにあれ別れた??みたいなのが混ざってて、そんな感じで聴いてた。恋愛とか幸せの中にもそういうのがまざってるーとかそんなん全然考えないで聴いてた。歌詞の意味より聴いた感触がとても好きだったのだ。歌詞について細かく考えるのはもう結構しばらくしてからだ。
学生の頃は文章をよく書いてた。甘酸っぱさ、焦がれ、喪失への恐怖、色々なもの感覚で読み取って、自分なりの文章を出してたと思う。
ある時友達に「歌詞に東京タワーが出まくるアーティストが居る」と話したら小沢健二を知っていて、話が盛り上がりまくった時があった。また話したい。初めて音楽CDを買った時、その子と一緒に近所のCDショップに行ってお金を出し合ってCDアルバムを買ったのだ。「マシンガンズの集い」ザ・ベストを……なぜそれを選んだのだ、当時の自分……
話がどんどん逸れる。犬は吠えるがキャラバンは進む(以下dogs)はたくさん聴いたかというとそこまで多くは聴いてないが、他のアーティストのアルバムに比べるとそれでもめちゃくちゃ聴いてる。先にLIFEを聴いてたのもあって、暗さにびっくりしたのを覚えてる。喪失した後の立ち直りかけのような味がする。最後にローラースケート・パークですごくドキッとしてしまった。
当時の自分にはこの言葉があまりにも刺さりまくったのだ。そんなバカなあやまちばかりしてる。バカなあやまちばかりしてる。あやまちばかりしてる。それでも大人になって今まで生きてきてるのだ。そんなに不安がることなかったのだ。大丈夫だった。反省はした。大人になってからも。
球体の奏でる音楽。これはもう本当に好きで好きで仕方なかった。どの曲も!どの曲も好き!!すぐに会えるかな?を聴いてすごくキラキラして、でもなかなか会えないのが重なったりしてキュッとなったりしてた。ホテルと嵐の曲の勢いの良さがとても好きだった。今歌詞を見てすごいびっくりしてる。こんなに明るく感じる曲だけど、こんな失ったあとみたいな歌詞だったか……好き
Ale?も好きで。20秒もないただ「あれっ?」って何度も言ってる曲(?)なんだけども。音を録音して音階を変えて鳴らせるキーボードで、自分の声でAle?を鳴らしてた。キーボードは接続するACアダプタを間違えたせいで壊れた。あれっ?
正直言ってどの曲も好き。理由が言えずとも好き。このアルバムもまた私の一部なのだ。
Eclecticはそこまでたくさん聴いてない、聴いたけど聴いてない。∞(infinity)がとても好きだったのはしっかり覚えてる。当時の私のアルバムの率直な感想は「なんかエッティだ…」になる。歌う時に2人必要な曲が多くて(おぼろげ)カラオケで歌った事がないかもしれない。
合間にとても、とても時間がある。
Ecology of Everyday Life 毎日の環境学 は当時の自分とウマだかソリだかがあわなくて聞けていない。いい加減聴きなさい。
刹那は何度も聴いていたが、他のアーティストも聴くようになった。
あまり活動をしなかった時期、うさぎ!、ひふみよの時期はあまり関われなかった。ひふみよももうちょっと頑張って行けばよかったな。あの頃はライブやコンサートに自分の足で行けるだなんて知らなかったんだ。
2014年笑っていいとも!に小沢健二が出た。めちゃくちゃ録画した。その時住んでた家でも実家でも録画した。ギターの弾き語りがあまりによくて、ぼたぼた泣いてた。ああ、この頃帰っておけばな。
2回目。「左へカーブを曲がると」からの明るさが、光が、僕を照らしてくれた。心がきゅっとなる。
2017年。流動体について。これが出るまでに自分の生きている環境がとてもとても変わった。なにもかも変わった。住んでるところも。その時大事にしていたものも。
CDを買った。デカい。飾ったけど未開封。開けても聴いてもなかった。
この時開けてれば、聴いていれば、もう少し……でも1年くらいか。色々な嫌な事は起こらなかったかもしれないけど、まあ、起きてしまった。そんな話はいいんだ。この曲にはまだ出会わない。
2019年So Kakkoii 宇宙。これもこの時点では聴いてない。2019年は2017年とまた状況が変わっていた。ぐちゃぐちゃになったメンタルで目の前のやらなきゃいけないことをどうにかしていた。リリースされたことは知っていたんだけど、その時の自分には歪んだギターと叫ぶようなうたが必要だったとおもう。
2021年。私はOuterWildsというゲームを(もしクリアしてないならOuterWildsについては検索しないで、ゲームをクリアしてから検索してみてほしい)クリアしてロストしていた。一言で言うともうこうなる。ロストしていた。自分で感想を書いたり、人の感想を読んだりしていた。実家に遊びに行く時だった。(うろ覚えなんだけど、OuterWilds関連のお友達と話してて「オザケン好きなのにSo kakkoii 宇宙聴かないの勿体ないで!」って言われた気もする)新しいことをしてみようって思って、せっかくだから大好きな小沢健二の聴いてないアルバムを聴こう。
大人になった自分に、ちょうどロストしてる自分に、こんなに上手くハマることある?ってくらい、ぴったりとぴったりとハマった。彗星の疾走感、
ここまで書いてから2日経ったのでこのnoteはここで終わりです
自分で書いててなんだけど勿体無い終わり方だな
気が向いたら書き足します