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ウェス・アンダーソン流 家族の在り方

前回に宣言してしまったので、私が愛してやまない映画監督のひとり、ウェス・アンダーソン監督の作品について語ろうと思う。
彼自身や彼が生み出す作品の魅力は挙げ出したらキリがないのだけれど、今日はその中でも家族の在り方について取り上げたい。

と、ここまで書いておきながら筆が進まないこと数ヶ月。そして2023年から2024年へと年を跨ぎ、すでに飽き性の性格が浮上してきている。
軽い気持ちで書くつもりだったのに、現代社会において"発言する"という事の怖さを考えてしまったり、他にも色んな考えが過ってしまい、書いては消してを繰り返す。
その結果、もうなんでもいいや...ってな感じで開き直った次第。


本題に戻そう。
ウェス・アンダーソン作品は家族を中心とした物語が繰り広げられる事がほとんど。

「ダージリン急行」は父親が亡くなった以降、疎遠になっていた兄弟で旅に出る話。
「グランド・ブダペスト・ホテル」ではホテルのコンシェルジュと新人ロビーボーイとの間に新たな家族の絆が生まれたり。
「ザ・ロイヤルテネンバウムス」に関してはテネンバウム家そのものがタイトルになっていて正に家族の話。
最新作「アステロイド・シティ」では、子どもたちに母親(妻)が亡くなったことをなかなか伝えられない父親、義父と少しギクシャクした関係なんかも描かれている。

家族といってもいろんな形があるのは百も承知。
その上でウェス・アンダーソンが描く家族の特徴が、個人主義であること。
家族うんぬんの前にお互いを"1人の人間"として扱っている。夫婦だと元は他人だし理解し易いだろうけど、それが自身の子どもであっても変わらない。
だからか彼の作品に登場する少年少女はどこか大人びて見える。逆に大の大人がワガママ言ったり派手な喧嘩をするシーンもあったり。

その一方で各々がどんな形でも家族(血縁でなくても)との関係を諦めていない。
身内の喪失や確執もあるけれど、冷え切ってなければ安心感のある温かさがあるわけでもない。でも確かな温もりをどこかに感じる絶妙さ加減。私はこの距離感が理想だったりする。

またウェス・アンダーソンの作品の特徴のひとつとして挙げられるのは台詞が多いこと。

本筋には関係のない情報が早口で説明文のように盛り込まれていることもしばしば。(字幕派には速読の練習になりそうなくらい。)
この情報量のおかげでキャラクターに深みや厚みが増してバックボーンが濃いのなんの。おかげで何回も見たくなるほどキャラクター全員に愛着が湧く。

個々のアイデンティティが際立つものの、それを否定も肯定もせず、そのまま受け入れているのが彼の作品の中の人たち。捉え方によっては「ドライな関係だな」とか「無関心なだけじゃ?」となりそうなところだが、そこはウェス・アンダーソンの手腕。
あのスウィートでポップな世界観に溺れない人間ドラマのバランスがとても良い。

家族に限らず人との距離感がわからなくなったり、自分に対して不安を感じたり、人恋しくなったりしたら是非ウェス・アンダーソンの世界で生きる彼らに会いに行ってみて欲しい。

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