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TAKERの私と親子問題

人間の行動様式

ギバー(GIVER)、与える人。
テイカー(TAKER)、受けとる人。
マッチャー(MATCHER)、ギブとテイクのバランスをとる人。

こんな行動様式の3分類がある。
私はこの中で、テイカー(TAKER)だ。
受け取る人、だからなかなかギバー(GIVER)になれない。

そんな自覚をしたのも、アロマセラピストの資格試験に
動き出したからだと思う。
私には大切な人との出会いがあるけど、
その関係を育むことがなかなかできない。
それは、自分の発達特性によるものでもある
と、私は結論づけてきたのだけど、
そのことよりも、Takerであることが大きい…
そんな自覚をし始めている。

根強い親子問題

親子の問題に触れて学んだり、
紐解き方を教えてもらったり、
改善に向けて歩いてきたけど、
私の問題はなかなか治らなかった。

例えば、
親から与えてもらうことが不足だった場合や
明らかに捻れた物を受け取ってきた場合、
親子問題としては自覚しやすいのかもしれない。

だけど、私の場合はずっとTakerだった。
三人兄弟の末っ子で女がひとり、
私は親というより兄たちや祖父母との
関わりが圧倒的に多かった。
そして、あまり不足や不安を感じて生きてこなかった。

ただ私には『何にもできない子』という印象が
自他ともにかなり強く根付いていた。
お世話してくれる人が誰かはいる環境で、
Giverたちから惜しげもなく与えられながら
私は生きてきた。

就学した頃も就職した頃も、本当に不安だった。
一人で歩むことが不安だった。
だけど、世の中には必ずGiverがいて、
私はいつもTakerの位置を勝ち取っていた。

そんなTakerの私だって、Giveしたい気持ちはある。
だけど、家族の中でいつもTakeすることが役目で
それしか出来ないと教え込まれてきた私に
誰かの役に立てるGiveなど持ち合わせているわけない
そうずっとずっと思い込んで生きていた。
若い頃なんかは、実際に出来ることなんてないのだけど、
どこまで年齢が進んでも、母親となっていても
私にGiverという役割は回ってこなかった。

なぜなら、Takeだけが私に求められる役割、
そんな風に位置付けられて生きてきたからだ。
その位置付けをして抜けさせないのが、私の親で、
その位置付けから抜けることを恐れるのが、私。

それこそが、私の抱える親子問題なのだ。

周囲からは幸せそうに見える
何不自由なく感じる。
自分だって、幸せだったと思っている。
なのに、親に感謝できない娘が私だった。

自分の母親がTakerであること

私の母は先天性の股関節脱臼で、
生まれつき足に難があった。
それでも、幼少期に矯正器具をつけ、
改善はして問題なく成長していた。

だけど、変形していることに変わりなく、
どうしても負荷はかかっていて、
出産を経験したり、経年劣化による症状は出た。
そこで、私が幼稚園の頃に股関節の大きな手術をした。

そういう経過もあったし。
父は自分の母親を高校生で亡くしている。
だから、子供たちの母親である妻に対して
トラウマ的に大事を取ってしまう事もあり、
完全なるGiverになり、母はずっと専業主婦だった。

働きたい希望があって大学にまで行ったけど、
母は働く事なく家にいる人生となり、
結局は障害者であり、弱者であった。

それは、
幼少期に母が大きな手術を経験した
という私にもしっかり刻まれていて、
母は弱く、守るべき存在であり、更に
世間知らずで、世話を焼かなければいけない
そんな存在として認識していったのだ。

私も母になり、専業主婦していた時期は
Takerの気質が多いに発揮されていたと
今は思う。
就職して経済的自立をしたとき、
母親に感じたのは不便さだった。
働きたかった事・得ていたはずの自由
そういうものが彼女は手に入らなかった
そんな風に不便にも感じた時期があった。
逆に
母と同様の手術を受ける患者さんを見て
もっと本当は自己管理できたんじゃないか
と弱者を装う母に腹が立っていた時期もあった。

だけど、どちらにせよ母はTakerだったし、
私のこともTakerで居させようとする存在だった。





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