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10年後も20年後も、わたしは生きているとして_「スロウトレイン」の感想(仮)

きっかけは、母から家族LINEへのメッセージ

雪の降るお正月休みの昼間。部屋の照明を落として、暖かい部屋で新春ドラマ「スロウトレイン」を観た。粘土をコネコネこねながら。このところテレビドラマはめっきり観なくなってしまい、なにか手を動かしながらでないと、落ち着いて観られなくなってしまった。

舞台は鎌倉、23年前に両親を亡くした3姉弟。脚本は野木亜希子さん。

まったり系ドラマは少し苦手なので、スロウな出だしにソワソワしたけれど、あっという間に観終わってしまった。観終わって少し泣いた。

今まで、誰とも分かり合えないと思っていた気持ちが、「大丈夫、案外そんな人って普通にいるよ」と言ってもらえたような、救いがあった。

母が、家族LINEでわたしたち姉弟にこれを勧めたことも含めて、涙が出た。


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※以下、ドラマの内容も含みます

年末、少しだけ東京に帰省して、学生時代や会社員時代の旧友と会った。もう5年、10年とお互いを知っている間柄は心地よくて、わたしは年に一度のこの時間が大好きだ。少し特別なダイニングバーや、気取らない美味しい居酒屋で、久々の再会を楽しむ。

今回も大好きな人たちに連日会って、1年分の話をして。今回は特に、結婚や昇進など、友人たちの転機をお祝いする機会がとても多かった。

わたしは、数年、数十年先を見据えて今を生きる友人たちが、急に素晴らしく、また羨ましくも感じた。そして同時に、「どうしてわたしには出来ないんだろう」と思った。今までの自分の選択に対して後悔したことはなかったはずなのに、急に不安が押し寄せてきて苦しくなった。

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人となにか違う決断をするとき、必ず「明日死ぬかもしれないから」という一言が、背中を押してきた。大学を休学したり、会社を辞めたり、移住したり。

安定した暮らしのなかに違和感を覚えたとき、自分の感覚に従って方向を変えられるのは、「明日死ぬかもしれない」と知っているからだ。それは18の秋に父の死に立ち会って以降、自分のなかに生まれ根付いた言葉だった。

決断のあと、その道を自分なりに正解にしてきた。その積み重ねがあって、いまは店を営んでいる。納得のいく人生を歩んできた、と思っている。

でも、人とは違う自分が、時に恐ろしく不安になる。いつか気づいたら、自分だけが全然別の場所に居て、取り返しがつかなくなってしまうんじゃないかって。仲間が居ないような気持ちになるのだ。

「1人でも生きていけるって、1人じゃないから言えるんです」と、ドラマのなかで松たか子さんが言われるシーンがある。そうなんだよ。家族が大勢いたり、誰かと暮らしていたり、信頼のおける職場があったりする人は、孤独じゃないんだよ。いいや違うよ。そんな人にだって孤独はある。「1人でも生きていける」なんて言えちゃうような人が、孤独じゃないんだ。たまたま寂しいと思わないで生きてこれた人たちに、孤独を語ってほしくない。かくいうわたしも、遠くて少ないけれど家族が居て、店という居場所があるから、きっと本当の意味で孤独ではないだろう。だけれど、いつか来るかもしれない孤独に、確かに怯えている。

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「いくら計画したって、明日死んじゃうかもしれないじゃん。」ドラマの中で、仕事も人間関係も突拍子なく転々とする多部未華子さんが、釜山へ移住したのち姉弟にそう言った。「私たち、経験したじゃん」と。それは、両親を突然に亡くした姉弟たちとの過去を指す。

このセリフを聞いたとき、「わたしのことじゃないか!」と思った。そして直後に、新春ドラマでこんなテーマが扱われるということは、わたしみたいな人ってもしかしてたくさんいるのか、と初めて気づいた。先を見据えられないのは、わたしくらいかと思っていた(自分だけしか持っていないものなんて、そうそう無いのに、だ)

「明日死ぬかもしれない」という価値観のおかげで、わたしは常に自分の人生のために選択し続けることができた。それは親の死を経て得た唯一のものだと思ってきた。だから今日まで大切にしてきた。

でも、それから10年が経ったが、わたしは明日死んでない。

10年間も健やかに生きた。

そうして振り返ると、自分が積み重ねた日々の隣りに、積み重ねられなかったものたちがばらばらと散らかっているのが目立つ。キャリア、生活、人間関係、、、 

「明日死ぬかもしれない」という言葉を、自分が楽したいがために、利用したことは無いはずだ。でも、継続から逃げていたかもしれなかった。継続のうつくしさから、目を背けていたかもしれなかった。

最近では枷のように感じるときもあったのだ、本当は。

この日 久しぶりに、10年後も20年後もわたしは生きているとして、今日を生きてみたくなった。

「苦労しなさい、さぼらないで。」ドラマの中のセリフは、わたしに言われた気がした。世の中、面倒なことばっかりだ。社会と、誰かと、共に生きていくなんて全然うまくいかない。理想とどんどん離れて、アジェンダだらけで、「これでいいや」と諦めたくもなる。

それでもサボっちゃダメだ。苦労とは、心身を削ることではないのだろう。心で考えることをやめず、大切なものを握りしめて離さない努力をする。そしていっときどうしようもなく辛くても、それを辞めないことを指しているんだと思う。

正しく、きちんと苦労しながら、生きていきたい。


ドラマを観た人がまわりに少なくて
この気持ちが生々しいうちにどこかに残しておきたかった、ひとりごとでした。

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