静かな夏を過ごす。
時間を持て余している。
理不尽に奪われることを何よりも嫌い、
いつも足りない足りない、と、せかせか追われていた…いや、追いかけていた?時間。
猛威をふるう、目に見えないウィルスの脅威。
梅雨明けを待ち切れず鳴き始めた、セミの声。
時間をかけて準備してきた、世界的祭典の延期。
間違いなく歴史に刻まれるであろう2020年。
梅雨明けした途端に突然の酷暑で、いよいよ夏が到来したはずなのだけれど、
自粛した生活、今は我慢と自らを抑制するうちに、
季節に心が伴わない。
まるで他人事のように夏は通り過ぎていく。
時間だけがある。
コロナ禍で、自らの意思に関わらず、強制的に働き方改革を余儀なくされた。
準備していた仕事が出来なくなる。
会いたい人に気軽に会いに行けなくなる。
それでも自らの仕事に、希望を忘れずにいたいと願っていたのだが、
しかし私の心は、エネルギー切れを起こしてしまった。
急に迷子になってしまったようだ。
思えばここ3.4年、がむしゃらに走り続けてきて、休むという概念は、私の中に無かったような、
というよりも、その場に留まってしまったら終わり、と思う強迫観念で、
何もしない、何も考えない、というのが怖かった。
時間を有効活用しなければ、
未来に繋がる行動をしなければ、
しなければしなければしなければ…
しなければいけない、の呪縛。
この思考の癖がチラリ過るも、
やはり何もしたくない、何も考えたくない。
『時間』だけを残して、私は空っぽになった。
そんな自分は情けなくて、涙が出てきたけれども、
自らの力ではどうしようもない時もある、
もがいても不可抗力であるのであれば。
ふと、静かな夏を過ごしてみようと思った。
強迫観念に駆られずに、細胞が喜ぶような、私の『好き』って何だったっけ。
単純に、私がワクワクすることって何だったかな。
何かしら達成させなければ…なんて、未来に繋げることではなくて、潜在的な私の『好き』を見つける。
臆せず構えず手にとってみれば。
ガチガチに縛られていた自分を解放してあげたら、少しずつ自らを許すということの意味が分かってきた。
今、私の心は凪いでいる。
持て余す程の時間と共に。
夏のようにエネルギッシュでなくとも。
他人事のように、夏が通り過ぎて行こうとも。
こういう夏があってもいい。
静かに、今年の8月31日を迎えてもいい。
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