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宇多田ヒカル「Laughter in the Dark」のこと 〜その3(終)〜

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*注意!!!この記事は2018年11月現在開催中のツアー「Hikaru Utada Laughter in the Dark Tour 2018」の、ネタバレだらけです!これからご覧になる方、セットリストなども楽しみにとっておきたいという方はご観覧になる日まで一文字も目にしないようお気をつけください。


映像の後、第二幕が始まる直前に客席真ん中あたりから歓声が上がって、そちらを見たら、メインステージよりもずっと距離の近いセンターステージにヒッキーが現れた!!!


ヒッキーが〜〜〜近くに来てくれた、来てくれたよ・・・!(これだけで既に半泣き)そして視界・・・偶々人の並びが良くて、自分とヒッキーの間を遮るものが何もない!!今までキュウキュウの所を見ていた視界が突然開けたので、モーゼってこんな気持ちですか?!と思った。さっきまでとは雲泥の差・・・!(後半ずっとここでやってくれないかな〜と期待したけど、それはさすがに甘かった)

センターステージでは「誓い」(このシリアスな曲で、直前までのコント映像のお笑いムードから、気持ち良いくらいスパッと空気が切り替わっていた)「真夏の通り雨」「花束を君に」の三曲。後半二曲は特に思い入れの強い曲なので、今までめちゃめちゃ遠くて(聴覚は別として)視覚的には「いる?いる・・・よね?」レベルにしか認識できていなかったヒッキーが、突如くっきり目の前に現れて、全身像がはっきり見えて妖精じゃなく同じ時を生きる人間として実在してる!!!とこの日最も強く実感できた。


そしてまるで「自分にとっての大切な曲を、自分のために届けに来てくれた」かのように思えて、そんな訳ないんだけどそうとしか思えなくて、ボロボロ泣いた。
あの時の気持ち、こんなに何万人と会場にいるけど、たった一瞬、今だけはこの世に自分とヒッキーの二人きり!という感覚は、墓場まで持って行きたい。思い出だけ持っていければ、いつか死ぬ時手ぶらがbest(この曲聴きたかった)。
私の位置はステージ真横だったけれど、何度か向きを変えて色々な方向を見ながら歌ってくれていた。こちらに背中を向けて歌っていた時は、「あ〜〜〜本当に綺麗な背中〜〜〜」と本日二度目の背中萌えタイム。
たった三曲だったけど、とても濃密な時間だった。ヒッキーがセンターステージから去り、もう今日のピーク終わった・・・などと思ったのも束の間、これからがいいところ!だった。

「First Love」に続けての「初恋」という、ベタすぎてとても本人しかできないようなセットリストを堂々とやってしまうのもカッコ良かったし、十代の頃に作った曲を、年齢とともに様々な経験を重ねた三十五歳の彼女が歌っていることが沁みた。入り口にあった松嶋菜々子様のお花は、この曲のプロローグだったのか・・・(菜々子とタッキー主演の「魔女の条件」主題歌でしたね)。続けて歌われた「初恋」で、なんとヒッキーが歌い出しを間違え、「ごめんなさい!もう一回やらせて下さい!」と言ってやり直すというハプニングが!
しかしこの一件で緊張が少し解れたのか、素人目にも超絶難しいとわかるあの曲、今までテレビなどで観たどの時よりも声が伸び伸びとして聴こえた。最後のサビ前のブレイクが、音源では1秒ほどだけど、ライブでは長く取られていて、体感で5秒くらいに感じた。
たった数秒でも、一万五千人もいる会場の中で、誰も声を出したり手を叩いたりしない完璧な静寂、その切れる直前の糸のような張り詰め方、多くの人が呼吸すらも止めている感じ、これまでの人生で感じたことのない種類の緊張感だった。
歌い出しのハプニングもあって、おそらく多くの人が「大丈夫か?」とハラハラしていたかもしれない箇所、静寂の後に来る大サビ、

風に吹かれ震える梢が 陽の射す方へと伸びていくわ

これ以上ないくらい完璧にキマっていた。

すげえ・・・やっぱプロはスゲーわ・・・と、バカみたいに単純に思った瞬間。それまで緊張で止めていた息を思い切り吐いて、感嘆のため息になった。

アンコールの「Automatic」で本日二度目の「会場全体の『キター!!!』感」、凄かった・・・!
「traveling」と「Automatic」が始まった瞬間は、明らかに人々のうねりが大きくなっていた。アリーナクラスの大きな会場のライヴでいつも思うのは、観客全体が、スイミーみたいに集団で一つの大きな生き物に見える瞬間があること。
世界レベルの映像演出を100%観られなかったのは残念だったけど、このスイミー体験は、やはり現場でないとできないよな〜と思った。

過去の曲ではキーを下げて歌っている所もあって(♪キーが高すぎるなら下げてもいいよ 歌は変わらない強さ持ってる♪)、十代の頃とは声の出し方も表現も変わっているけれど、MCで見せる可愛らしさは映像でしか観たことのなかったヒッキーそのまんまだった。本当に、びっくりするくらいそのまま!
最後の方で「次で最後の曲・・・あれ?最後だっけ?ちょっと確認しまーす」と、ゴソゴソしていた時(これだけでも激萌え)、客席から小さい女の子の声で「がんばれー!」と聴こえて笑いが起こって、幼女に応援されるヒッキーもまた可愛かった。

それから、お母さんの話をチラっとした時。「デビューしたばかりの頃、有名になりすぎちゃって辛くて『もう、デビューしなきゃよかった!』なんて言ったら、母に『じゃあやめちゃえば?』って軽〜く言われて。え?!そんな簡単にやめていいの?!と思った」というような話(細かい所違っていたらすみません)。その時の話し方のトーンが、亡くなった人の話じゃなく、ついさっきまで一緒にいた人のことを話しているように聞こえた。「お母さんは、ヒッキーの中で今もずっと一緒にいるんだな」と自然に思えた。「道」で歌われている通りだった。

最後に演奏されたのは「Goodbye Happiness」。どうしても寂しくなってしまうお別れを、カラッと明るく彩ってくれる曲で、「やばいやばい楽しすぎる、こんなに今が楽しくて、ライヴが終わったら喪失感で立っていられないのではないか・・・」という心配も吹き飛ばしてくれた。
常に視界にいて邪魔に思えていたあの「踊る人」も、最後にヒッキーが深くお辞儀した時、合わせて深々とお辞儀していた姿を見てなんだか感動してしまい、「許す!!!」と心の中で呟いた(その人はただ自分なりに楽しんでただけなので、許すも何もない)。

ヒッキーの音楽は、ものすごく個人的な事象をものすごくポピュラーに広く伝えている。あの音楽が、押しも押されぬ大メジャーで爆発的人気だという事実を思うと、このどうしようもない世界も、まだまだ捨てたもんじゃないと希望を抱ける。全ての人の感覚は深い所まで行くと繋がっていて、それは特別な人だけが辿り着ける境地ではなく、誰の中にも常にあるものかもしれない、という理想。その理想を描けるのが、本物の芸術だと思っている。
途中に挟まれたコントでサラっと今回のツアータイトルの意味を伝えていた(後半笑いすぎて忘れそうになったけど)。Laughter in the Darkは直訳すると暗闇の中の笑い。それは絶望的な闇の中にあっても笑える瞬間があること、絶望の中にある希望のようなものを指している。「Laughter in the Dark」は、まさに私にとってのヒッキーの音楽のことだった。
いつもヘッドフォンから流れる音に一人の部屋で感じていた世界を、何万人という人たちと一緒に、実際にこの目で見ることができた、横浜アリーナでの体験だった。

こんな超長いレポートを最後まで読んでくださった方、本当に有難うございます!!!



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