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わたしの かわいい はどこから来たのか 〜かわいい源泉掘りおこし〜【記録】

2022年5月20日-5月29日

高円寺ストロベリー・スーパーソニックさんにて、
松村早希子個展
「わたしの かわいい はどこから来たのか 〜かわいい源泉掘りおこし〜」
を開催しました。

はじめに

もともとこの展示は、作品集「愛のひきだし、みえないお菓子」(セルフレビューはこちら /刊行記念展覧会「愛のひきだし」記録はこちら
の制作中、ある方からいただいた厳しい言葉をきっかけに生まれました。
自分はほんとーに甘ちゃんで何も突き詰めていなくて、ノーコンセプトで只々好きな女の子を描いてきただけ、しかも顔のみ!!!で、20年突っ走って来たために基礎的な技術力が弱く、具体的にココとココがこうだからダメ、ココはまあマシ、ココはダメ…と、本来なら高い月謝を払ったセミナーなどで教えてもらうようなことを無償で一気に伝えてくださったその方には、どんなに感謝してもしきれません。
そしてその時「僕なら『20年前からタイムスリップしてきた高校1年生』が描いた絵っていう設定にしてみる」とも言われ、そのまま言われた通りにやるのはあまりにもつまらない(捻くれ者…)と思ったけれど、その言葉が何ヶ月も引っかかっていて、そもそも自分はどうして「かわいい」女の子が好きなんだろう?と、掘り起こしてみることにしました。

フライヤーデザインは、TRASH-UP!!シマダマユミさん

わたしの かわいい はどこから来たのか

これまで出会ってきた沢山のかわいい人たちのお陰で、自分は生きられている。

隣のおうちの、歳上のお姉さんに。
親に隠れて覗いた写真集「少女アリス」に。
団地のごみ捨て場で拾った80年代の「りぼん」、
「ときめきトゥナイト」の、蘭世に。
幾多のTVドラマの中、煌めく女優さん達に。
FRUiTS の表紙を飾る、原宿のあの子に。
美術館の受付にいたあの子に。
ステージで歌い踊るあの子に。
インスタストーリーズの、一日で消えちゃうあの子に。
映画「おとぎ話みたい」の、高崎さんに。
(サブカル貧乏、サブカル貧乏、サブカル貧乏!)*1
怒られ続けて世界から消えたくなった帰り道に立ち寄るコンビニで、雑誌のなか微笑むあの子に。

もの心ついた時からずっと、かわいい女の子が大好きだった。
私はよく「そういうところ、全然変わらないね」と言われる。10年20年会っていなかった相手でも。
さすがに40歳にもなると、変わらないことを、ただ手放しでは喜べなくなってくる。

昨年、美大在学中から約20年の間に描いてきた絵から自選し、作品集を制作した。
その過程で、自分はいかに行き当たりばったりで、甘えんぼうでフラフラした人間かと思い知らされた。
本は編集の力で美しい物になったけれど、自分の絵の1点1点、良いものもダメなものも、真正面から向き合うことを、この20年一切やってこなかったと突き付けられたのだった。
その結果、大学入学よりももっと以前から、「かわいい」存在との出会いはいつどんな時も自分の生きるよろこびと繋がっている、マグマのような原動力なのだと気づいた。

勉強も仕事も部屋の片付けも何もかもが中途半端で、1つのことをコツコツと続けて成し遂げるのが何よりも苦手な自分が、唯一努力しなくても続けられたのは、かわいい存在にときめいたその瞬間を絵に描くことだった。ならば、それにもう一度深く向き合ってみようと思う。
出来る限り長生きして、死ぬまでこの源泉を枯らさずにいたい。


*1………映画「おとぎ話みたい」予告編より 2014、山戸結希(監督)、趣里(主演)

展覧会ステートメント全文


遡って思い出せる限り一番古い「かわいい」と思った記憶から始まり近年に至るまで、自分の「かわいい」価値観に影響を与えた存在を、絵とテキストで展示したインスタレーションです。

キャプションは
かわいい!と感じた存在について
●出会った年代
●出会った時の自分の年齢
●名前(作品名)
1:その存在とどのように出会ったか
2:その存在の魅力
3:その存在が自分にどのような影響を与えたか
で、構成。

全体図
さよちゃん

1988年 6歳
さよちゃん (お隣のお姉さん)

身近なかわいい人にときめいた最も古い記憶

私はひとりっ子で、親戚に年の近い子供もいなかったので、小学校に上がる前くらいまで、お隣さんの姉弟によく遊んでもらっていた。2〜3歳くらい上、人生最初に接した「少し年上のお姉さん」。

さよちゃんはとっても優しくて綺麗で、ピアノを習っていて、髪が長くて、ハー フアップが印象的。(今でも「美人だけができる髪型」という思い込みが自分の中にある)。

「世界一いや宇宙一の美人!絵本の中のお姫様よりも、オードリー・ヘップバー ンよりもクレオパトラよりも(未就学児の全力「世界的に有名な美人」例え)、さ よちゃんの方がずーーーっと綺麗!」と周りにもガンガン主張して、似顔絵や可愛さを解説する『さよちゃんファンクラブ』会報誌を自分一人で勝手に初号のみ発行。思い起こせばこれが初めてのZINE。


ラムちゃん(うる星やつら)
シャンプー(らんま1/2)

1988年 6歳
ラムちゃん、シャンプー (高橋留美子:るーみっくワールド)

人間と異形の中間に存在する女の子の可愛さに気づく

TVアニメ『めぞん一刻』音無響子さんの色っぽさにドキドキしていた4歳、『うる星やつら』ラムちゃんは再放送で、『らんま1/2』は友達(友人A)と貸し借りしたコミックスで出会った。

ラムちゃんのアイコン化されたエロ可愛さには少し大人になってから気づいた。 リア・ディゾンや山本梓らグラビアアイドルのコスプレが最高に可愛かった。ツノの生えた異星人。
シャンプーは人間と猫の中間、猫妖精。チャイナ服と衣装の華やかさに惹かれ、 自分のチャイナ服好きの原点がここだった。

ラムちゃんとシャンプーに共通する、やきもち焼き+暴れん坊、可愛い+異形 が、自分の女性の好みに通底している。


少女アリス

1990年 8歳
『少女アリス』 沢渡朔(河出書房新社、1973年)

開けてはいけない扉

小学2年生頃からいわゆる鍵っ子になり、習い事や友達の家に預けられる時以外は、家で一人で両親の帰りを待つ時間が多くなった。その時間に本を読んだり絵を書いたりして過ごしていたけれど、与えられた本を全て読み終えると、親の本棚を覗くようになった。まだ読めない難しい漢字ばかりの蔵書の中で、『不思議の国のアリス』の絵本だと思って手に取った一冊が、この写真集だった。

現実と幻想の境界線上にあるような世界に、自分と同じくらいの年齢の女の子が、明らかに「エロス」を表現する存在として写っている衝撃。これは絶対に自 分が見てはならないものだ、開けてはいけない扉を開いてしまったのだと思っ て、親に隠れてコソコソ見た。いつ親が帰ってくるかとヒヤヒヤしながら見ていた。

可愛いとエロスと怖さが一緒になった世界との出会い「少女アリス」は、宇野亞喜良先生や金子國義先生との出会いにも繋がっていく。


母親の本棚


1996年 8歳
金子國義(画家)
四谷シモン(人形作家)
唐十郎(劇作家)
合田佐和子(画家)
澁澤龍彦(作家)

『ユリイカ』(青土社)、『夜想』(ペヨトル工房)

闇と耽美の気高い精神性


全て親の蔵書から知った。インターネットに触れることない子供時代、文化的知識の源はほぼ全て親の本棚で目にしたものだった。今見ると相当アングラ趣味の本棚だなと感じるけど、当時の自分はこれがこの世のスタンダードで文化の主流なのだと思っていた。(四谷シモンさんがTVドラマに出ていた時代もギリギリ見ていた)
生まれた時から実家にある本棚のため、出会った年齢は不明(正確には0歳?)。興味を持ち始めた「少女アリス」の出会いと同じ年齢とする。

奈良美智さん『深い深い水たまり』(角川書店、1997年)、ヘンリー・ダーガー 『非現実の王国で』(作品社、2000年)、唐十郎さん『雨月の使者』(エー・ジー出 版、1996年)、フランチェスカ・リア・ブロック『“少女神“第9号』(理論社、 2000年)・・・などなど、母の本棚には私の人生における大きな影響を与えてくれた本が沢山あった。私が生まれるずっと前、創刊当時から装苑は毎号買っていて、洋書や写真集もあった。率先して私に見せてくれる訳ではないけど、買ってきたばかりの本が置いてある場所を見て、どんな本があるかなといつも楽しみにしていた。両親とも出版社関連の職業だったので、家の中には製作中の原稿などがあったり、仕事の資料と趣味のものが混在していて、たくさんの活字に囲まれた環境で私は育った。母の本棚の蔵書から滲み出す、闇と耽美の気高い精神性に圧倒されてしまう。

金子先生の大きく真っ黒な目、猫が中空を見ている時の人に見えないものを見ているような四谷シモン先生の人形の目、全てを見透かされてしまうような合田佐和子さんのガラスの目。異形、闇、宇宙の底知れぬ奥深さ、表面ではなく内面の宇宙を映し出す瞳。私の描く女の子の「目」はこれらに多大なる影響を受けている。


寺山修司メルヘン全集4、1 書影
今江祥智メルヘンランド 書影

1990年 8歳
宇野亞喜良(イラストレーター)

異形可愛い暗い少女画のルーツ

宇野先生の絵を初めて見たのは小学生の頃、忘れもしない『今江祥智メルヘンランド』(理論社、1987年)。その本と同じ絵だ!と思って『寺山修司メルヘン全集』(マガジンハウス、1994年)も学校の図書室で手に取った。それまで見ていた絵本の挿絵と違い、「可愛いとエロスと怖さ」が一枚の絵に凝 縮されて、線そのもの、例え薔薇一輪でも暗さが宿っていた。まだ生まれ て10年も経っていない子供なのに「懐かしい」と感じて惹かれた。 こんな風に描けるようになりたい、と子供の頃からずっと憧れて、今でもいつか認めてもらいたいと思い続けている。
いま日本に存在する耽美系画家は皆、宇野先生の子供たちだと思う。闇と耽 美、キメラ、見たことのないはずの異形のものが確かにそこに存在しているリアル。

私にとって異形可愛い暗い少女画と「少女・猫・薔薇」モチーフを選ぶ時のルーツであり、それは『不思議の国のアリス』マニアの母から受け継いだ物として自分の中の多くを占めている。

立原えりか「ほんものの魔法」書影
新井素子「通りすがりのレイディ」、「星へ行く船」書影

1991年 9歳
立原えりか (作家)

妖精の国に住む人

人生で一番学校に行きたくなくて、現実から逃げて妄想ばかりしていた頃、 図書室や図書館に通いつめていた。 その時出会った、砂糖菓子のように甘いふわふわ少女趣味童話。

言葉遣い、言葉の選び方によって、色や匂いがヴィジュアライズされていく文章が大好きで、目の前に本当に妖精の国が現れる気がした。

読んだだけで景色や匂い、感触や味が沸き立つ、そんな言葉を生み出したい。

1992年 10歳  
新井素子(作家)

女の子だいすき!

出会いは本屋のコバルト文庫コーナーで、竹宮恵子先生の描かれた「星へ行く船シリーズ」の表紙イラストの可愛さに惹かれたこと。(当時は「風と木の詩」の作者と知らなかった) それまで読んだことの無かった口語体で書かれた小説は、たとえ馴染みのないジャンル(SF)であっても同じクラスの友達とのお喋りのように気軽に入り込めた。

そこから女性作家の書くエッセイにのめり込み、新井素子先生・さくらももこ先生・吉本ばなな先生は、自分が大人になったらこうなるだろうと確信していた三大巨頭になった。 中でも新井素子先生は、猫が好き、活字中毒、女の子好き、ぬいぐるみとお話しする、自分と同じことが好きな大人の女性。(そしてチラつく吾妻ひでお先生のイラストの可愛さと怪しさ)

女の子が女の子を助け命懸けで守る物語や、「女の子可愛い!可愛い!」「向こうから男が来るとがっかり」なんて書かれたエッセイを読んで、自分も女の子を可愛いと言っていいんだと思えた。小学生当時、私が女子のことをあまりに「可 愛い可愛い」と言ってばかりいるものだから「やーい、レズだ!」と男子にから かわれ、「そういうことじゃないんだけどな・・・」と思っているだけで、違和感をうまく言葉にできなかったけれど、あっけらかんと「えー女の子かわいいー」と 言っている大人の女性がこの世に存在する事実に救われ、自分の目指す姿はこれだ!と思った。今ならシスターフッドという言葉があてはまるかもしれない。大人になってもそういう気持ちを大事に持ち続けたいと思った。


セーラーウラヌス(美少女戦士セーラームーン)

1991年 9歳
『美少女戦士セーラームーン』武内直子(講談社、1991年)

美少女キャラクターを描く第一歩

武内先生の繊細で華やかな絵が大好きで、家に偶々あった(母が仕事で使っていた)トレーシングペーパーで漫画を写し描きすることにハマり、好きな場面やコマを写す行為自体が楽しくて、手が真っ黒になるまで描き続けた(友達に借りた物なのに!)。

線を上からなぞっていると、自分も武内先生のような絵が描ける気持ちになって、脳内に快楽物質が溢れまくり、今思うと一種の中毒状態で、いつも何かに追い立てられるように焦りながら描いていた。「他人の描いた綺麗な線が自分 のものになる」感覚は、デッサンを学んである程度技術が身につき、自分の頭の中のものを描くようになってから得る感覚とは全く別で、例えばカラオケで自分の声のキーにぴったりの曲を朗々と歌い上げた時の気持ちよさに近い。

セーラーウラヌス/天王はるか様の登場は、写し絵中毒から抜けられた後のシリーズだったので、純粋に漫画の中のキャラクターとして好きになった。 男のようで男ではない、女のようで女ではない。性別の境界線上の美しさを意識しはじめた頃。

蘭世(ときめきトゥナイト)
拾った雑誌りぼん 書影

1992年 10歳
月刊りぼん(集英社、1984年6月号)
団地のゴミ捨て場に捨てられていた、その当時で約10年前の古い月刊りぼん を、近所の友達Aと拾って来たことがあった。リアルタイムの雑誌にはない“レトロ“な可愛さに夢中になった。その時はレトロという言葉すら知らなかったけれど、古いものをただ古いと認識する以外に、そこにしか無い可愛さや価値を見つけることができる、ワクワク感を知った。あの時りぼんを大量に捨てたどこかの誰かさん、ありがとう!

蘭世 『ときめきトゥナイト』 池野恋 (集英社、1982年)
拾ったりぼんの中で一番印象的で、その後コミックスを少しずつ集めて、答え合わせのように遡って読んだ漫画。 連載の前半はラブコメ要素が強くて後半は転生ファンタジーになっていく、そのちょうど境目の回が拾ったりぼんに載っていた。(連載第24回 1984年6月号)
蘭世と家族みんなの可愛さも勿論だけど、神谷さんとの関係性(同じ男の子に恋するライバル同士でバチバチに戦うけど、お互いに何かあった時は駆けつけるし深いところで信頼しあっている)にも憧れた。

北島マヤ(ガラスの仮面)

1992年 10歳
『ガラスの仮面』 美内すずえ (白泉社、1976年)

薔薇の描写、目の中の星

出会いは母の友人の家で読ませてもらったこと。その後少ないお小遣いで古本屋などでコツコツ買い集め、はじめの頃は1・23・27巻しかなかったためその3冊だけ異常に内容が頭に入っている。(23巻の「毒」一人芝居など)

単行本表紙は勿論のこと裏表紙やカバーそで(折り返し部分)に載っている小 さいものまで、カラーイラストの色使いが大好き。登場人物たちの「それどこで売ってたの?」と聞きたくなる独特のファッションセンスも愛しい。

背景に唐突に現れる薔薇やその他たくさんのお花!
高校の美術の授業で、油絵で大きなキャンバスいっぱいに薔薇の花を描いたけ れど、二次元少女漫画の薔薇を手本にしていたため、先生からは「本物の薔薇を見て描きましょうね」と言われてしまった。自分の生きてきた中ではまだ、漫画の薔薇の方が本物の花より見ている時間が長かった。先生にはうまく説明できなかったけれど、ただ自分の心の中の薔薇を描いてただけだったんだよな。 (でも実物を見て描くことは本当に大事だ・・・と、25年後に改めてしみじみ思 う)

大島弓子/萩尾望都

1992年 10歳
大島弓子(漫画家)

猫の擬人化

大島先生のお名前と絵は、『ガラスの仮面』のコミックス後半に載っている、花とゆめコミックスの広告欄で知った。その小さな一枚のイラストや、タイトルやコメントなどからどんなお話なのか想像していた。レコードジャケットを見てど んな音楽だろうと想像する時に近い。その謎のイラストは『綿の国星』という作 品で、タイトルに星と付いていたからSF物語を想像し、チビ猫は異星人だろうと思っていた。この世に存在しないまぼろしのSF。

『綿の国星』(白泉社、1978年)や『サバシリーズ』(白泉社、1985年)に出てくる猫たちは、特に説明もなく人間の姿をしていて、自分もそれをなんの疑問も抱かず受け入れて読んでいた。大島先生の目には猫がこの姿で見えていて、自分の意識のなかを言葉でなく絵で表すことができると、知らないうちに学んでいた気がする。


萩尾望都(漫画家)

物語と絵のリズムに浸ること

図書館で表紙の絵に惹かれて、赤い表紙の『ビアンカ』(小学館、1977年)を手 に取ったのが出会い。友人Aの家で『ポーの一族』(小学館、1972年)を見せて もらったこともあった。

可愛さと切なさが同居している絵。見ているだけで圧倒的に胸が締めけられ る、可愛いくて美しくて哀しい人たち。

意識して模写したことは無かったけれど(小学校の図工の時間に水彩画でエドガーを描いたことはあったな)、萩尾先生の作品だけが持つリズム、絵と言葉と物語が一致した時に生まれる陶酔感は心の奥に染み込んでいて、いつも無意識に理想の絵として設定しているかもしれない。

ジルベール(風と木の詩)

1993年 11歳
ジルベール 竹宮恵子『風と木の詩』(小学館、1976年)

少年愛との出会い

りぼん連載で大人気の『ちびまる子ちゃん』(集英社、1986年)、コミックスを買ってもらっていた『あさりちゃん』(小学館、1978年)が私の身近な漫画だった頃、友人Aと図書館で発見した。 写真集『少女アリス』に次いで、またしても「これを見ていることは親に隠さなければいけない」と思うものに出会ってしまった。

小さな頃から両性具有や同性愛者、性別の枠組みを越境する存在に惹かれて いて、その象徴的存在がジルベールだった。

夢の中の妖精のように美しいけれど、何を考えてるのかわからなくて他人を翻弄しまくる孤独な姿の可愛さ。少年愛の、肉体的生々しさの無いエロさを教えてくれた存在。

大路恵美(小梅)

1993 11歳
大路恵美/小梅(『ひとつ屋根の下』フジテレビ)

ドラマの役(キャラクター)を好きになった最初の記憶

TVドラマって見ている時間が長いし、子供の頃は世界が狭かったので、ドラマの中も自分の人生の一部のように感じていた。

小梅ちゃんはまず名前がかわいい。制服の着こなし(短い三つ編みにスカートはきっちり膝下)も可愛かった。すっきりした大人っぽい顔立ちだけど、実は寂しがり屋で甘えん坊というギャップも可愛かったし、今思うと「生き別れていた兄弟と再会して一緒に暮らす」という設定に強烈に憧れていたのかも。

役の人物に恋すると、他の映像作品に出ていても「あ、小梅ちゃん...」などと、 役の面影をいつまでも追いかけてしまう「真島くん状態」(『ガラスの仮面』7〜 8巻に登場、舞台『嵐ヶ丘』でマヤ演じる恋人キャシーに夢中になり、その面影を追って他の公演にも通い詰めた若手俳優)になる。
『池袋ウエストゲートパーク』 のヒカル(加藤あい)、『カルテット』のすずめちゃん(満島ひかり)、『メゾン・ド・ ヒミコ』の春彦(オダギリジョー)、『オレンジデイズ』の紗絵(柴咲コウ)、『あまちゃん』のアキとユイ(のんと橋本愛)、『マジすか学園』の敦子(前田敦子)・・・

清水美砂

1993年 11歳
清水美砂(女優)

初めてテレビの中の大人にキュンとする

ポッキーのCM「ポッキー四姉妹物語」の長女すなみ。映画『四姉妹物語』 (1995年)も、映画館に連れて行ってもらった。 小学生当時は、女優さんのグッズがどこで手に入るのかなんて全く分からなかったので、手の平半分くらいの新聞の切り抜き記事と、スーパーでもらったポッキー販促ポスターを宝物のように部屋に貼っていた。

長女すなみ(しっかり者だけど少し抜けてて、優しくておっとりしているけどたまに大胆な行動に出る、妹たちを優しく見守るお姉さん)は、自分がさよちゃんに抱くイメージとそっくり。

TVドラマ『ひとの不幸は蜜の味』(1994年)、小沢健二『それはちょっと』が主題歌だった『部屋においでよ』(1995年)など、ちょっと抜けてるホンワカおっとりした役が多い印象だけど、『29歳の憂うつ パラダイス・サーティー』(2000年)のレズ ビアン役はものすごく凛々しくてカッコいい。マンガみたいなふわっとしたショ ートヘアに、キリッとした表情や仕草は、後に出逢う天王はるか様(セーラーウ ラヌス)に通じる、性別の境界線上の美しさ。


中原淳一「しあわせの花束」雑誌「ひまわり」書影
内藤ルネ編集「薔薇の小部屋」書影

1993年 11歳
中原淳一(ファッションデザイナー、編集者ほか)
内藤ルネ(イラストレーター、デザイナー)

憂いとレトロ

11歳の時、母と行った古本市で、雑誌『それいゆ』と『ひまわり』に出会った。中原先生の弟子としてルネ先生の名前を知り、後に手に入れた『ジュニアそれいゆ』。

終戦の年に生まれ、戦後の貧しい時期を過ごした母たちの世代にとって、中原先生の生み出す世界はどんなに夢のようだっただろう。 時代が変わっても古びない、工夫で「かわいい」を作ること・心を豊かにすることの大切さが中原先生の絵に詰まっている。

レトロという言葉を知る以前に「かわいい!」と感じた中原先生やルネ先生の描く繊細な文字、可愛いレタリングを表面的に真似ていたけれど、いつの間にか90年代のCUTiEやZipperの笑顔溢れるモデルのカットにはない、憂い、寂しさ、悲しさを含んだきゅるんとした表情が、自分の絵の中に染み込んでいた。19歳の時に出展したGEI-SAIで、初めて私の絵を買ってくれたおばあさんが「中原先生の絵を思い出すわ」と言ってくれた時のとてつもない嬉しさは、今でも鮮やかに蘇る。

UA/CHARA

1997年 15歳
UA(ミュージシャン)  CHARA(ミュージシャン)

おしゃれ憧れアイコン

二人ともラジオ番組をよく聴いていて、低めの落ち着いた話し声が耳に心地よかった。
十代の頃は「おしゃれアイコン」として大好きで、こんな風にヴィンテージの古着 をさらっと着こなしたいな〜と憧れた。 大人になった今でも日常的にずっとその歌声を耳が求めている。
CHARAさんのお嬢さん、SUMIREさんも、猫の化身的美少女で大好き!

沼田元氣

1997年 15歳
沼田元氣 (憩写真家)

憩いとレトロと喫茶を愛する心

友人Aにその存在を教えてもらった。中学生頃から、友人Aを含む周りの友達 と 「写ルんです」で写真を撮るようになり、好きな写真世界が構築されてきた。 その土台には必ず、ヌマ伯父さんが居る。

今の時代のエモ・ニュートロブームのはるか以前に、既に昭和レトロを体現していたヌマ伯父さん。古びて埃まみれになっていない、生々しくて、時にエロティックな「レトロ」。

装丁への強すぎるこだわり、箱入り特装本の山ほどのおまけにもときめいた。 大人になったら捨ててしまうような、喫茶店のマッチ箱・民芸品のお人形・ケー キ屋の箱、そういった物たちを作品として残す、それらを愛する心を守るために写真を撮っているような姿勢に憧れた。

嶽本野ばら

1998年 16歳
嶽本野ばら(作家)

乙女として生きる

友人Aから教えてもらった、Oliveのインタビュー。名前も見た目も変てこな面白い人と記憶に残っていて、その後タコシェで著作『それいぬ――正しい乙女になるために』(国書刊行会、1998年)とフリーペーパー『花形文化通信』に出会った。

初の小説『ミシン』(小学館、2000年)サイン会で2ショットを撮ってもらい、今思うとそのミーハー心は、完全にアイドルへの気持ちと同じだった。小説には実際のファッションブランド名やお洋服のディティールが細かく詳細に描写されていて、その頃見始めたネット通販やオークションで、高くて買えないお洋服の画像をずっと見ているのが好きだった。(EmilyTemple cute、Jane Marpleなどは今も見ているだけで幸せな気持ちになる)

「一生乙女として生きる」を貫き続けている野ばらちゃん。 野ばらちゃんからも、野ばらファンの大人のお姉さまたちからも、性別年齢関係なく乙女でいることを学んだ。

ゆきえちゃん

1998年 16歳
ゆきえちゃん(高校の同級生)

学園アイドル

同じクラスになった事はないけれど、学校内でめちゃくちゃ目立っていたオシャレな女の子。

私の通っていた高校は制服がなく、私服通学可能で、思いきりオシャレしてくる派もいれば、学校で販売される標準服などで済ます派もいた。ゆきえちゃんは既製の服をアレンジしたり手作りのステキな服をいつも着ていて、「センス」と はこういう事なんだな〜と憧れた。ファッション雑誌からそのまま出てきたような女の子!と思っていたら、実際にFRUiTS やCUTiEやZipperの誌面で、 読者モデルとして見かけるようになった。

手の届かない遠い所にあると思っていたファッションの世界がググッと自分に 近づいたようだった。可愛いものやオシャレなものにときめく感覚は、学校での立場関係なくみんな共通なんだとそれらの雑誌を見ながら思っていた。まだインターネットもあまりなく、やっとPHSで写メールが送れるようになり始めた頃。

この時代好きだった かわいい お店
●文化屋雑貨店 ●P’PARCOの古着屋 ●SUPER LOVERS

90年代末〜00年代前半に見ていたファッション誌
下段中央:ゆきえちゃん表紙のFRUiTS


Ddi:


1999年 17歳
D【di:】 ディー(アーティスト)

生身の美女を描く喜びを知る

新宿ロフトプラスワンの、漫画誌アックスのトークイベントで、古屋兎丸先生、しりあがり寿先生、根本敬先生ほか多数のベテラン漫画家が出演されていた中で、新人漫画家として登壇したD【di:】さん。薄暗い地下の煙草モクモクで澱んだ空気の中、目の前に!天使が!!降り立った!!!と、雷に打たれた。

こういう人が世の中にいて欲しいと自分が思う見た目の理想の人であり、アー ティストとして職業として追いつきたい存在でもある。
椎名林檎様と若い頃の美輪明宏様とを足したような美貌、プラス小動物的可 愛らしさ。でも目つきは鋭くいつも何かに怒っているような憮然とした表情。

美大受験の予備校に通い始めデッサンや油絵を学ぶようになり、少しずつ技術が身についてきて、自分が描きたい理想に近づけて描けるようになった時期に、D【di:】さんと出会ったので、美女を美女として描けることが楽しくて楽しくて仕方がなく、ただひたすら彼女(かわいい女の子)を描いていたいという快楽の虜になって、今もそれが続いていると思う。

渚ようこ

2001年 19歳
青い部屋(クラブ)※現・渋谷LOFT HEAVEN
渚ようこ(歌手)
<浅川マキ、ちあきなおみ、五輪真弓・・・昭和歌謡>

美意識とは何か

初めてオールナイトイベントに出向いたクラブは、かつて渋谷にあった「青い部屋」。友人Aと踊り明かした夜。初めてシャンソンを知って、サミー前田さんや小西康陽さんのDJを観て、ドラァグクイーンのお姉さま方に至近距離で会った。そして何より、渚ようこさんに出会えたことはとても大きい。

古い本や雑誌、映画やテレビやレコードでしか知らなかった「昭和」が、今この瞬間目の前に広がっている、まさに自分が〈昭和にワープ〉(渚ようこ×半田健人「かっこいいブーガルー」)した世界。あんなに憧れて、形から入った真似をし て、あの人のようになりたい!と強く願った大人はいない。唯一無二のカッコイイ歌手であると同時に、とってもお茶目で可愛いひとだった。

昭和の世界をショーとして見せているからこそ、あらゆる細部の作り込みとこだわりがとても大切なこと、それが「美意識」であることを教えてくれた。美意識を極めることはこういうことなのだと、ようこさんのステージ全てから体感した。

佐藤江梨子
月刊シリーズ、ソニンまにあ、sabla書影

2003年  21歳
グラビアアイドルとの出会い

自分の好きな顔の傾向に気づく

雑誌の中で、インターネットで見つける画像で。受験の頃は家でネットが禁止されていたため、美大に入ってからは毎日のように沢山画像を集めた。 mixi全盛期、時間もあるし暇だし、時はグラビアアイドルブーム、「グラビアアイドル情報局」「ネットでみつけたかわいい娘」コミュニティで画像を漁り始める。 サトエリ、杏さゆり、仲村みう、白鳥百合子、リア・ディゾン、松本さゆき、谷桃子、篠崎愛。Sabra、FLASH、FRIDAY、週刊文春、週刊新潮、B.L.T.、 BOMB・・・

美醜に左右される環境に水着で対峙し、体ひとつを武器に最前線で日々戦い 続けている同世代の女の子たちが、カッコ良かった。 水着と衣装のスタイリングも大好きで、グラビアのスタイリング担当もチェック していた。グラビアブームの中、「月刊」シリーズでは攻めたエッジな世界を見ることができて、毎号情熱溢れた誌面にドキドキした。美大の同級生Oとのグラビア交流 おしゃべりも楽しかった。

世の中の人は全員可愛い!と思っていたけれど、大量にグラビアアイドルを見ていくことによって、自分も「好みの顔」があることに気付かされ、美大の課題でキャンバスに絵の具で描くとき、自動書記的に描いていく女性の顔にはっきりと好みが反映されることになった。

仲村みう

2006年 24歳
仲村みう(グラビアアイドル)

この世の闇を体現する美少女

仲村みうさんを初めて見たのは、ネットの画像だった。グラビアアイドルといえば明るい笑顔という固定観念を一気に塗り替えた、暗く妖艶な表情、しかもまだ(デビュー当時)14歳という衝撃。

大人たちが自分をどう見ているのかを完全に理解してぶつけられる欲望に冷 静に応える恐ろしさと、下劣な者どもを包みこむ仏の包容力が、その表情・眼の中に在った。

私が描き続けてきた憂いの表情と深い瞳の美少女が、現実の世界に存在して いた。SNSに雰囲気を作り込んだ自撮りを載せることがまだ一般化していな い時代に、こんな少女に出会えた、それも役ありきの映画やドラマではなく、グラビアアイドルとして。少女が普遍的に持つ闇属性を少女自身が表現した写真を見ることが容易くなかった時代に、コンビニで気軽に手に取れるグラビア誌を通してその闇を覗くことは、とても衝撃的なことだった。
「月刊仲村みう」(新潮社 2009 写真・緒方秀美)にイラストを寄稿させてもらったお仕事は、あの世まで持っていきたい一生涯の宝物であり、指標であり、 心の神棚に飾ってある出来事。


mixi「ネットで見つけたかわいい子」コミュニティのアイコン
当時家で使っていたiMac
youtubeでハマった二大アイドル、松浦亜弥・松田聖子


しまこ

2009年 27歳
しまこ(猫)

猫を人間の姿で描く手法を得る

物心ついた時から、猫という生き物が特別に大好き。でも猫そのものを絵に描いてみても、何かが違う。 猫への気持ち・猫の可愛さを、自分の絵は100万分の1も表せていない!と、 いつも悔しくもどかしく思っていた。

しまこと暮らすようになってから、大島弓子先生の「綿の国星」手法をお借りして、自分の家の猫を「しまこ」というキャラクターとして人間の美少女の姿で描いてみたら、妙にしっくりきて、その可愛さの100分の1くらいは表せるようになった気がした。


早見あかり

2011 28歳
早見あかり(女優)

アイドル現場で似顔絵を描いて渡す芸を覚える

ももいろクローバー以前、私にとって「アイドル」はテレビや雑誌やインターネットで見る存在だったけれど、週刊文春の文春美女図鑑(女優・タレントを毎回様々な写真家が撮影する、大好きなグラビア連載。この時は新津保健秀さん撮影)を見て、「この人が生きて動いているところを見たい!絶対に見なくちゃ!!」と強く思い、その数日後にタワーレコード新宿店屋上で開催されたももクロのインストアライブに出向いた。

整理券入手のため並んでいた時に、前後にいたあかりん推しの方と話していて 「メンバーに似顔絵渡したら喜ぶと思うよ!」と提案され、ライブ前の待ち時間に似顔絵6枚を描いた。この方が提案してくれなかったら「アイドルにお手紙を渡す」=「自分を知ってほしい・憶えてほしい・認識してほしい」私欲の現れで恥ずかしい、という先入観を越えられなかったと思う。(Kさん、ありがとう・・・)

この日を境に自分の中の「いい年してアイドルのライブに行くなんて」といった恥ずかしさや偏見が消えて、様々なアイドルのライブに行って楽しむようになり、沢山の素敵なアイドルに出会ってその場で似顔絵を描いて渡したり、後からレポート的に描く楽しさを知った。人生を変えた1枚の写真。


山戸結希

2014年 32歳
山戸結希(映画監督)

「かわいい」は強さ

友人T(後の夫)から東京女子流主演「5つ数えれば君の夢」(2014)BDを借り たのが、山戸監督作品との出会い。観賞後すぐにその感想をブログに書いた。 山戸監督のトーク&サイン会でそのことを伝えたら、次にお会いした時に読んでくださっていて、なんと「映画で感じたことを芸術で返してくださったことが、嬉しかったです」と、仰られた・・・。

初めて劇場で見た作品は趣里さん主演の『おとぎ話みたい』(2014)。 台詞やモノローグで押し寄せてくる、難解で過剰だけれどきらきらした光の粒のような言葉たちは、大島弓子先生の世界のよう。そして言葉と同じくらい、ス クリーンいっぱいに映り視界を占める、主人公・高崎しほの「踊り」そのものが雄弁に感じた。このド田舎から外の世界に出たい、見たことない美しい世界に飛び立ちたいとその体の動き一つ一つが語っていた。

かわいい=弱い・儚いものと紐づけられることが多いけれど、それは今まで勝手にその箱に入れられただけなのだと気づいた。かわいいは力を持っていて、そのかわいさによって人とぶつかったり孤立したりすることもあるけれど、かわいいの力で道を切り開いていく女の子たちが、山戸監督の作品には、いつも描かれている。 かわいさは弱さではなく、その人だけが持つ力だと気づいた。 山戸監督との出会いが、ずっと弱いところに置かれていた存在が力を持つための学問としての、フェミニズムへの興味へと繋がっていく。


ドリアン・ロロブリジーダ

2019年 37歳
ドリアン・ロロブリジーダ(ドラァグクイーン)

初めての推しドラァグクイーン

出会いは椎名林檎オンリーDJイベント「りんごないと」。

性の境界を曖昧にする自由、カテゴライズからの解放。
ドラァグクイーンを「かっこいい人たち」とだけラベリングして見ていた私に、初めて「個」を意識させてくれた。 薔薇には沢山の品種があるけれど、そんなことは意識せず綺麗な花としか見ていない。個人に対しての勝手なラベリングを外し、その人だけが持つたった一つの魅力を見つめることを、ドリアンさんが教えてくれた。


氷川きよし
ゆっきゅん

2019年 37歳
氷川きよし(歌手)
ゆっきゅん(アイドル)

全身全霊で他者に伝えていくこと

お二方とも、ステージの上のスター。 氷川きよしことkii様は、美と愛で溢れるインスタをきっかけに。 ゆっきゅんはミスiD2017のPR動画で知り、好きな作家に嶽本野ばらちゃんを挙げていたので気になった。

kii様は、インスタで今最も見せたい姿を追求している。 ゆっきゅんは、知性と美。瞬発力、時代が後から追いつく頭の回転の速さ、溢れ出るアイディアを作品にまとめられる技量、作品を創る上で世界観を守れる人たちにしか依頼しないセルフプロデュース力。

ステージやインスタ、表現のアウトプット、自己プロデュース力が圧倒的で、お二人ともレポート記事を書かせていただいた時、自分の表現は印象を述べるばかりで充分に魅力を伝えられていなかった。「いかに伝えられているか」それが自分の絵を評価するときの新しい判断基準になった。


ジュリア・マーガレット・キャメロン

2019年 37歳
ジュリア・マーガレット・キャメロン(写真家)

200年前のせんせい

東京都写真美術館「写真の起源 英国」(2019)展にて、初めてその写真のオリ ジナルプリントを見た。 二世紀前の人でも、自分と同じ気持ちなんだ!という時空を超えた驚きと、大いなる喜びでその写真をいつまでも見つめていたかった。

萩尾望都先生や大島弓子先生の70年代の作風を想起させるファンタジーと耽 美溢れる、構図と表情。

200年以上古びない作風が今ここにあるなら、現時点で人から馬鹿にされよ うとも、自分の作品も何百年と後に誰かに届くことがあるかもしれない。 オリジナルプリントを見て初めて、印刷されたものではない作品の衰えない力に直撃された。 今までほとんど写真を模写したことがなかったけれど、積極的に模写することで、構図・構成をゼロから学び直している。視点や視線、それらの効果、見ているだけでは気づかなかった部分が、絵に描くことで体に入ってくる。

絵:ジュリア・マーガレット・キャメロン《美しき乙女の庭》(1868)オマージュ
写真:ジュリア・マーガレット・キャメロン《五月祭》(1866頃)


【番外編】

花代「ドリームムムムム…ブック」書影(あゆみちゃんからの誕生日プレゼント)
あゆみちゃん撮影写真(高校生の私)

<番外編>
1988年 6歳
友人A=あゆみちゃんのこと

近所に住む同級生の幼馴染あゆみちゃんとは、小学校入学時からのお付き合 いで、よくお互いの漫画を貸し借りしていた。この頃(小学校〜中学校くらい) に読んでいた本や漫画は、どちらの所有物だったか曖昧なものが多い。あゆみ家は少女漫画やガロ・COMなどのアングラ系漫画が充実していて、漫画本がほとんど無い自分の両親の本棚とは全く違うな〜と羨ましく思っていた。(あゆみママがなぜか突然やまだ紫先生の『しんきらり』(ちくま文庫、1988年) を、「これさっちゃん好きそう!」と貸してくれたこともあった)

『りぼん』も一緒に拾ったし、TVアニメも一緒に見たし、古本屋もよく一緒に行った。交換日記や、二人のオリジナル新聞(さよちゃんFC会報に次いで、人生2 番目のZINE!)を毎月作ったりした。 大きくなってからも映画や展覧会やライブなどなど、色々な場所に共に出かけた。同じ団地で帰り道が一緒なので、家の玄関に入る直前までずーっと喋りながら帰った。玄関先でお喋りが止まらなくて、早く帰りなさい!と親に怒られたことが何度あったか数えきれない。
初めてオールナイトの映画に行った時も、朝までクラブ(青い部屋) でオールした時も、あゆみちゃんと一緒だった。
あゆみちゃんは好奇心旺盛で知識豊富で行動力があって、いつもお洒落で、スターのように華やかで、本やファッションや音楽などの文化的なもの全て、私が 知る「かわいい」の扉はいつも彼女によって開かれていた。
一緒にいてめちゃくちゃ楽しいのに、いつもどこか「羨ましい/悔しい/私の方が先に見つけたい」という黒い感情がぽつんとしみのようにあった。このしみはどうやったら消せるのか見当もつかなくて、蘭世と神谷さんのようにわかりやすく何か一つの対象(真壁くん)を奪い合って、スッキリ勝敗決められるのはいいよな〜と思っていた。

でも成長していくごとに「お互いの知らないこと」が当たり前に増えていき、あゆみちゃんも私も、人生の旅路の中で道が離れる時もあれば交わる時もあって、いつの間にか私のなかの黒いしみは無くなっていた。今でも私が展示をやる時は手伝ってくれたり見に来てくれるし(この展覧会のおみやげリーフレットはあゆみちゃんデザイン!)、毎週のようにLINEして、美味しいものや面白いTV番組や素敵な音楽を伝え合ったり、なんやかんやとお喋りし続けている。

おみやげの展示リーフレット&
ストロベリーさん特製リボン
リーフレットは【番外編】登場のあゆみちゃんデザイン

<作品写真撮影:フカヲさん>

こんな分量の文字を…現地で読んでくださった皆さん……本当にありがとう(泣)!!!
観てくださるお客様にかなり負担を強いる文字数だったと思いますが、スマホやZINEの手のひらサイズでなく、壁面埋め尽くす展示でしか出せない圧力を感じていただけたでしょうか。

そして、ご協力くださったストロベリー・スーパーソニックさん🍓ありがとうございました!!!


ストロベリー・スーパーソニックさんでは、2020年11月にも個展「わたしの緊急事態」を開催しました


おわりに

ここまで読んでくださっている方はよっぽどの物好きかどうしても長い文章が読みたくて仕方ない方だと思うので、とってもプライベートなことを書きます。
この展示はパートナー(以下、夫氏)の多大なる協力が無ければ実現できませんでした。それは、実務的な(壁にきっちり貼るとか紙を真っ直ぐ切るとか、私が苦手な細かい作業)ことはもちろん、展覧会のコンセプトと構成自体が、夫氏と喧々轟々言い合いながら作り上げたものだったからです。
いつもふわっと描きたいものを描いているだけの私に、人に見せる作品として発表する意味を突きつけ、なぜこのような絵を描いているのか、一日に何度も「かわいい」という言葉を発しているけれど、その感性はどのように作られたのか、夫氏が私へインタビューを行い、作成した年表と膨大なメモをもとに、私がバーっと雑多に書いた文章を夫氏が校正し、読みやすいよう文字組を整え、最終的な展示構成も共に決めました。
(展示の書影のほとんどは、マッチ箱や段ボールの切れ端に夫氏が写真を貼り付けて作りました。カッターで手を傷だらけにしながら…)

展覧会に来た方へこのことを伝えると必ず「やさしい旦那さんですね」「すてきなご夫婦ね」と言われます。
実際もし他人から「夫婦でつくった展覧会なんです」と聞いたらはいはい幸せでよかったねーと思うでしょう。しかし、私自身にとっては大変きびしく辛い経験でした。なぜなら、本物の芸術家はこの(自分自身の内側を掘り起こし徹底的に見つめ直すという)作業を、たった一人でおこなわなければならないと思うからです。
勿論、パートナーや複数人のチームと協働で制作する素晴らしい芸術家はこの世に沢山います。しかし、その方達はみな一人一人が独立したアーティストとして、アイデアを出し合ったり実作業を共にすることで、一つのものを作り上げているのではないでしょうか。自分はアーティストとしてのスタート地点にも立っていない、ただ好きなように絵を描いてるだけ、根本的に「土台が弱い」というこれまで目を逸らし続けてきた事実に、毎秒ごとに向き合わなければならない展示でした。
足りないところを補い合って、最終的にいいものが出来れば何でもいいじゃん!と割り切れないのは、自分の中に「自分がカッコイイと思う芸術家で在りたい」という欲があるからだとわかりました。でも、自分自身がカッコイイと思われることよりも(それも嬉しいですが)、作品をカッコイイと思われる方がずっと大切なことなので、優先順位を間違えないようにしたいです。
自己顕示欲も自覚し、自分の中の欲望やドロドロした感情の存在を認めた上で、これからも皆様におもしろいと思ってもらえる展示を(できる限り協力し合って)つくっていきたいと思います!!!


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