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サンタさんへの手紙と魔法の杖の話
ついこの前までハロウィンで騒いでた渋谷の街が、あっという間にイルミネーションがついてクリスマス仕様になってから、早一ヶ月近く経ってしまった。
1年が終わるなんて言っても、結局同じように続く日常を便宜的に数字で区切っただけじゃないか。と思いながらも、急に冬の寒さになってしまうとなんだかそわそわする。
まあそれはいいのだけど、クリスマスと聞いて小さい頃の我が家の恒例行事を思い出した。
私が小さい頃、12月に入ると「サンタさんへの手紙」にクリスマスプレゼントとして欲しいものを書いて、夜寝る前にベランダに吊るしておいた。そうすると夜の間に妖精さんが手紙を届けてくれて、サンタがイブの夜にそれを枕元に置きに来てくれるのだ。
一番古い記憶のサンタさんへの手紙には、"欲しいもの"の最後にこっそりと、"もしできたら今書いたものより魔法の杖をください"と書いたのを覚えている。欲しいものなんて一つに決められないから、魔法が使えたら全部手に入るだろうという発想だった。我ながら欲張りな子供である。
もちろんその年のクリスマスの朝、やっぱり魔法の杖はもらえずに、普通に書いたプレゼントが置いてあった。なーんだ、サンタも魔法は使えないのか、とちょっと残念に思ったものだ。
それでも私はけっこうそれなりの歳になるまで、サンタの存在を本気で信じていた。
確か小学校4、5年生くらいの時、友達にサンタクロースの正体は親だと聞かされ、薄々気づいていたけど、やっぱりそうなのか…とショックを受けた。
イブの夜、自分の目で真実を確かめようと寝たふりをしながら、起きてその時を待っていた。
そして夜中。枕元をごそごそと動く人影が両親であると薄目で確認し、まあそうだよね、とまた残念な気持ちになったり。
それでもちゃっかりプレゼントをもらって、しばらく知らないふりをしていたのだけれども。娘を喜ばせるため、その年までバレずにやってきた両親はなかなか工夫をしてくれていたのだなぁと思う。
サンタクロースがいて、魔法の杖があるような世界が、実は大人の作ったファンタジーだと気付いたのは、いつ頃のことだっただろう。
子供の頃、世界は何もかもが新鮮な驚きに溢れていた。当たり前の出来事に感動し、ありえないことを信じることができた。
それがいつの間にか、現実に当たり前に起こることと、起こりえないことの区別がつくようになる。
同時に、私たちはおとぎ話の世界を失い、現実の世界に帳尻を合わせるようになる。ついこの間までは一緒にファンタジーの世界を生きていたはずの人たちまで、そんなことはありえない、とか、夢みたいなこと言うなよ、なんてことばかり言うようになっていく。
気がつけば、神様がいて不思議に夢を叶えてくれた時代は、とうの昔に終わってしまっていたのだった。
だけど、それでもやっぱり私は、いまだに夢を見るのをやめられない。
"ありえないこと"なんて思っているのは、たかだか20数年で経験したことに過ぎない。自分の知らない場所も、経験したことのない出来事も、それこそ無限にあるのは間違いないのに、なぜ決めることができるだろう?
魔法の杖をくれるサンタクロースはいなかったけれど、枕元に靴下を用意して待つだけしかできなかったあの頃の私ももういない。
現実の世界をもう一度ファンタジーにするのも、このまま変わらないと諦めるのも、全ては自分次第なのだ。
それならば、つまらない現実を消費しながら生きるより、ありえないことを思い描きたい。わかりきった道を行くより、予想もつかないところに辿り着く方が面白い。
自分の未来は、自分で信じたとおりになる。
自分を信じることは、どんな魔法をかけるよりもきっとパワーがあることだから。
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