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非・社交的生活 2024.07.19
朝起きて書く生活、だいたい1週間。一昨日は朝起きれずに断念した。そして昨日は一応朝仕事の前に書いていたのだが、会社の業務開始時間までに書き上がらず。
このくらいの軽い日記は30分くらいで書き終わりたいものだけど、いざ書くとなるとそれなりの何かを書かなければいけない気がして(気がするだけで実際書いているのは全くしょうもない脳内垂れ流しなのだが)まだそれなりの時間がかかってしまう。続けていればもっとスムーズに言葉が出てくるようになるだろうか。
ここで2日間できなかったことで、なんとなくテンションが下がってやらなくなって挫折するのがいままでの流れだが、今回のワタシはそうはならない。なぜなら理想の1日を明確にしたからね!!
毎日が理想通りでなくても構わないが、1日1日をちゃんとリセットして翌日の自分は理想に近づけるようにやりなおせばいいよね、と思えるようになりたい。完璧じゃなくても、やめなければ十分。何かひとつでも躓くとその先もだめになるような気がしてしまうけど、実はそんなことはなくて、今日をどうするかは今日の自分の行動が決めるのだ……。
という感じで、こうやっていつも0か100かで考えようとしてしまう自分の頭の中を説得している。とてもめんどくさいが、そうしないと何もできなくなってしまうので仕方がない。
35歳になっても、自分の扱いがいまだよくわからない。20代の頃に比べたらかなり手なづけてきたとは思うけど、まだまだだ。
何かをやりたいと思った次の瞬間にはめんどくさくなるし、楽しみだった予定が近づくと無性に嫌になるし、そうかと思ったら衝動的にどこかに行きたくなったりする。やる前は面倒でしかなくてもやってよかったと思うことは多いが、面白そうだと思ってやってもめちゃくちゃダルくなったりもする。
自分の動機と、実際に行動した時の感情の変化に法則性が見いだせなくて、その不規則な振れ幅を味わうことそのものがめちゃくちゃ面倒だから何もしたくない、みたいになっていることが多い気がする。
人と一緒に動くときは、そうやって自分の気分が変わった時に相手を巻き込むことになってしまうので、そうならないようにかなり気を遣う。でも気を遣うことがまた面倒だから、何かをするにしても極力ひとりでなんでもやってしまうのだと思う。人と関わるのが嫌いなわけじゃないのに、なんだかうまくやれる気がしない、というだけですべてが億劫になる。
本当はなるべく周りの影響を受けず、安定した自分のペースを保って引きこもっていたい。
と基本的にはいつも思っているのだが、こんなことを普段考えているようには表面的にはあまり見えず、「行動力があって社交的」な人間に映るらしい。自己認識との差がすごい。
たぶん、「自分ひとりでやる」ならいくらでも多動になれるし、頑張ってそういうモードになれば社交的ムーブもできるからだと思うのだけど。それは私にとってはかなりエネルギー消費が大きいことだから、なるべく省エネしたいのだが、世の中は常に「外に出て人と関わって何かを成せ」というプレッシャーを与えてくるよね。なんで?
何日か前に夫婦で会話していたら、どういう流れかは忘れたが、一時期脱出ゲームって流行ったよね、という話になった。(今も流行っているのかもしれないけど、夫婦ともに脱出ゲームをやるような人生を送っていないので、完全に想像で話している。)
脱出ゲームについての私の印象は「なんで仕事でもないのに他人と一緒に問題解決しないといけないの?」である。
それを聞いて「早さんのこういう発言を聞くと結婚してよかったと思う」となぜか喜ぶ夫。
意味がわからない気もするし、他人のひねくれた感性が素直にあらわれた発言を聞くとなんか嬉しくなってしまう気持ちはちょっとわかるような気もする。どちらにしてもひねくれた感性の夫婦である。そこを理解し合える相手と日常会話ができているという点で、確かにこの生活は幸運なのかもしれない。
一応言っておくと、脱出ゲームも誘われて行くのは別に嫌じゃない。むしろ結構楽しめると思う。
「脱出ゲームに行きたい」と思いつくような人が、「脱出ゲームに一緒に行く相手」として私に声をかけてくれるとしたら、その人にとっては私がそういう遊びを一緒にするに耐える人間だということなので、とても光栄なことである。
誘ってもらった瞬間に、脱出ゲームはやる意味のわからない「他人との問題解決」ではなく「その友人との社交」になるから、やる意味が発生する。自分が好きな人間から社交を要請されるなら、喜んでエネルギーを割きたいと思う。だけど自分からそういう活動に人を誘うことはおそらくない。よっぽど興味をそそられる内容の脱出ゲームがあったら別かもしれないけど……(興味をそそられる内容の脱出ゲームってなんだ?)。
誰かと常に連絡を取り合っていて、どこに行くにも人を誘って行く、人と一緒に何でもやる、という人もいるのを知った時は結構驚いた。確かに、周りの友人の中にも数人そういうタイプの人が思い浮かぶ。
みんな頑張って社交をやっていてえらいなぁ、と思っていたのだけど、あれは頑張らずに自然にできている、むしろそうするほうが楽しい、っていうことらしい。
そういう感性をピュアに「いいな〜」と思うこともある。私だってこんなふうにめんどくさいことをごちゃごちゃと考えたり、いちいち疲れたりせずに、自然に人間と付き合いたい。
こんなふうに他人と関わることをずっと面倒くさがっていたら、いつか一人ぼっちになるに違いない、という危機感を持ちながら生きている。みんな忙しいから、わざわざそんな人間を誘い続けてくれるわけがないとも思う。
でも、いざそうなったらなったで、まあ仕方ないか、と受け入れてしまいそうでもある。ひとりぼっちが悪いことなのかどうかも、いまのところはよくわからない。幸運にもまだ声をかけてくれる人がいるのはありがたいことだ。
何かを作ってそれについて書いているのは、もしかしたらそういうやり方でしか人との関わりを保てないからやっていることなのかもしれないな、と最近よく考える。
いいものを作ってそのへんに展示して解説を置いておくと、それに興味を持った人の方から声をかけてくれる。それなら自分から社交をはじめる必要がないからね。
それが結局自分が負荷なくできるコミュニケーションの唯一のスタイルなら、たまにサボってしまうことはあるとしても、辞めずに続けていく理由はきっとあるんだろう。
(サムネ画像はいつだったかに1人で引きこもりに行った近所のダイニングバーで撮った写真。たのしい非社交的生活。)
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![早[SAKI]](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/13256300/profile_38b09a3c49303381af3d68640c08d16e.png?width=600&crop=1:1,smart)