器用貧乏がコンプレックスです。2位の呪いと物語の主役
東京は初雪ですね。
こんな天気の中通勤して仕事をしている皆様、大変お疲れ様でございます。在宅自営業の私はお家でパジャマでぬくぬくとしつつ仕事をしております。
ああ自営業で本当に良かった。こういう日に外に出なきゃいけないなんて耐えられません。それが嫌すぎて会社員ができませんでした、割と真面目にそう。
でも在宅ワークにもやはりデメリットもありまして、本業のドレス作りの作業にちょっと疲れると、すぐnoteとかtwitterとかを見てしまう病がかれこれ1年以上治りません。今日なんて30分頑張って15分ほげーーーっとするペースです。
てんで生産性があがりませんね。働かない自営業なんてただのニート、という発言が耳に痛い。
でもちょっとテンションが戻ってこないんで、もう諦めてパソコン開いたこの流れで何か書こうかな、と思います。
んでね、最近気になった記事がいくつかあって、
梅木さんの
偏差値63程度のつまらない人は、クリエイティブの世界では勝てない
とか
鳥井さんの
ネット上で注目される専門家になるためのテンプレは確実に存在する。(こちらはnoteの有料記事です)
とかダラダラしながら読んでたのね。それでうーん、って考えてしまいました、柄にもなく。私が偏差値75を目指せるような専門性ってなんかあるんだろうか??って。
昔から、何をやっても割と器用になんでもできた方だと思うし、誤解を恐れずに言えば勉強もスポーツも芸術もこなすスーパーガールだったのですよ。よくある小さい頃の「これができなくてすごくコンプレックスだった」みたいな話が、振り返ってもやっぱりあんまりない。
普通にやればそのコミュニティの中で中の上くらいにはできるようになるし、本気出せば上の中くらいまではいける。自分でもいけるなと思うし、周囲からもそのくらいの評価はされるのです。
これだけ書くと自慢話のようで印象悪い気もしますけど、私が言いたいのはそうじゃないの。違うの!そんなちっちゃい自己顕示欲からこういうこと言ってるんじゃないのよ!
ある意味頑張っただけ結果になり褒められるという幸せに幼少時代を過ごしてきて、特に疑問も持たずに素直に頑張ってすくすくと育ったわけですが、大人に近づいていくにつれて、あれ?ってなったんですよね。
私、どれもそこそこできるけど、1番ってなったことないなって。
どんなに良くても、2番とかになっちゃう。優秀賞は取れるけど、最優秀賞は、他のことはてんでダメでも、それだけに夢中になってそれだけをやってきた人に持って行かれてしまうんです。
「1番」ってやっぱり特別です。オンリーワンでいいとか言いながら、結局1位が1番偉くて2位以下なんて覚えてもらえない。ないのと一緒です。
それに気づいてきて、器用に色々こなせることが逆にコンプレックスになりました。
そのコンプレックスを払拭したくて、大学時代は競技ダンス一本に全精力をかけたけど、それも最後まで2位。それなりにいい結果を残してトロフィーも大量にもらったけど、2位の数が11個。それ以外も3位4位5位6位…。
結局、ダンス部現役時代「1位」は一つも取れませんでした。
本気で望んで、本気で努力して、これ以上ないくらいやったのに、それでもダメなことがあるのかと。挫折とはこういうことを言うんだなと、引退する時に初めてわかりました。
今のドレス作りの仕事は、1番を目指したいという気持ちが正直言ってないのです。何をもって1番なのか、というのにもよるけれど、少なくともビジネス的に業界での売り上げを競おうとか、そういう発想ではやっていません。
その方向性でやることに、全くワクワクしないから。
もちろんいいものを追求する気持ちはものすごくあります。でもそれはあくまで私自身の満足と、目の前のお客様の幸せのため。それでいいとは思います。
でも、でも!
どこかで、本当にそのままでいいの?っていうコンプレックスは消えないんですよね。
あなたは何者なの?っていうのに、堂々と答えられる実績が欲しい。そのためには何かの分野でトップにならなければいけない。私には今の所、その”何か”が見えない。
どうしてもできないこと、苦手なことがあることは、悪いことではないと思う。世の中の選択肢は膨大だから、ダメなことがはっきりしていれば、その分間違った選択肢を早く切り捨てることができるから。
それなりにどれもできてしまうと、大成しないものにいつまでも時間をかけれてしまうし、他のものを切り捨ててそれだけに注力していれば結果が出たかもしれないのに、並行していろんなことをやることで全部「それなり」の偏差値60に収まってしまうように思います。
何をやってもダメダメなキャラが、ある時何かに出会って才能を発揮してスターになっていく、というのは面白いストーリーの王道ですよね。主人公は、なんでも器用にこなせてはダメなんです。
苦手なことがはっきりとあって失敗をたくさんしていたり、どうにもならない逆境に追い込まれたり、そういう物語の起承転結の「転」の部分が悲劇的でドラマティックであればあるほど、その人の物語は魅力が増す。
そういうものに憧れる、ある意味「破滅願望」のようなものが自分の中にはあります。
だから、ちょっとだけ、ちょーーーーっとだけ、直近の結婚生活が上手くいかなくて離婚した、ということが、明らかな失敗体験なんですけど、実はそんなにダメージではなくてですね。
これで私の物語が始まるかも!?という期待感?というかなんていうんでしょう。そういう始まりのワクワク感のようなものまで感じている自分もいます。ああごめんなさい。笑
とはいえ、どんなに破滅したところでそこから復活しないとお話になりません。
どれもそこそこの人、というのを抜け出せたわけではまったくないので、今後自分にはこれだ!と思うそういうものを見つけていきたいなと思ったりしています。
こういう文章を書いたりとかも、本当に趣味レベルでしかないのだけど、いつか何かに繋がるのかなぁ。それともまたほどほどになるのかしら。
ジェネラリストじゃなくスペシャリストに!みたいな方向性で語られることの方が多い世の中ですが、私のような器用貧乏なジェネラリストタイプの成功モデルを是非とも見てみたいなと思っています。
我こそは!という方、どうか教えてください。笑
それでは、仕事に戻ります!
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