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【挑戦の灯火を未来へ繋ぐ】〜地域と共に歩む政治家・根本拓の軌跡

日本の地方都市が抱える課題は多岐にわたり、少子高齢化、過疎化、そして都市と地方の格差が一層深まる中、地方から未来を切り拓くべく挑戦を続ける若手政治家がいる。根本拓氏、その名はすでに多くの人々に知れ渡っている。彼の挑戦は、ただの政治家としてのキャリアではなく、地域の人々との共生を通じた、人間らしさあふれる軌跡でもある。今回は、彼のこれまでの歩み、そしてその思想を紐解いていく。

1. 幼少期に根付いた地域愛

根本氏の人生は、幼少期から「地域との絆」に彩られている。彼は4歳の時、父が衆議院議員として立候補することを機に、東京から福島県郡山市に移住した。移住当時の記憶はほとんどないと語る根本氏だが、郡山での生活は、彼の人格形成に大きな影響を与えた。父親が地域のイベントやお祭りに参加する際には、彼も同行し、地域の支援者たちとふれあう時間が多くあったという。

「父に育てられたというより、地域の方々に育てていただいた」と根本氏は語る。地域の人々との触れ合いが、彼の根底にある「地域愛」を育んだのは間違いないだろう。これは、のちの政治家としての根本氏の基盤とも言える。そして、郡山市内のザベリオ小学校でのスピーチで「将来、世界の星になってまたこの郡山に戻ってきます」と語ったその言葉は、彼の心に深く刻まれた約束であった。幼少期から、彼は世界へ飛び出す夢と同時に、いつか地元に戻りたいという強い思いを抱いていたのだ。

2. 二人の祖父が与えた深い影響

根本氏が影響を受けたのは、実は父親よりも二人の祖父だという。まず、父方の祖父は海軍の飛行機乗りで、太平洋戦争の沖縄戦や硫黄島の戦いに参加していた。彼は、戦争の壮絶な体験を語り継ぎ、「戦争は絶対にしてはいけない」という強い信念を孫である根本氏に伝えた。この教えは、根本氏の心に深く根付き、戦争を二度と繰り返してはならないという強い思いとして今も生き続けている。

一方、母方の祖父は四国の小さな島で生まれ、両親を早くに失いながらも、昼は働き、夜は夜間高校に通うという過酷な環境で勉強を続け、最終的に東京大学に進学した。そして、通産省(現在の経済産業省)に入省し、成功を収めるも、40代後半でパーキンソン病を患うことになる。この祖父は、困難な状況にも負けず、決して悔しさを見せることなく、孫である根本氏に強い意志と志の大切さを教えた。祖父たちの人生は、根本氏に「どんな困難な環境でも、努力すれば世の中で活躍できる」という希望を与え、彼の生き方に大きな影響を与えた。

3. 弁護士としてのキャリアと国際的視野の獲得

政治家の家に生まれた根本氏だが、彼自身は当初、政治家の道を歩むことは一切考えていなかった。むしろ、選挙の度に父親が落選するかもしれないという不安な思いが、政治の世界から彼を遠ざけていた。そんな中で彼が選んだのは、弁護士という道だった。公平なルールに基づき、弱い立場の人々を守ることができる弁護士という職業に強く惹かれた根本氏は、約4年半、西村法律事務所でのキャリアを積んだ。

しかし、彼の向上心はそれだけに留まらず、次は世界に目を向け、ハーバード大学に留学を決意する。ハーバードでは、世界中から集まるトップレベルの学生たちとの交流を通じて、根本氏は「誰とでも仲良くできることが、真に優れた人間の条件」であることを学んだ。これは、のちの政治活動においても、人間関係を築く際の彼の強みとなる。

その後、根本氏はフランス・パリにある国際機関「OECD」(経済協力開発機構)に採用され、貿易に関する政策アドバイザーとして2年間勤務する。厳しい面接を通じて採用された根本氏は、「とにかく明るく周りを元気にする」というキャラを武器に、世界各国の政府に政策の提案を行う仕事をこなした。2020年のG7やG20の貿易大臣声明には、彼の作成したレポートが含まれていることを、彼は今でも誇りに思っているという。

4. 日本の未来を見据えて政治の道へ

しかし、世界で活躍する中で、日本が抱える多くの課題が次第に根本氏の目に映るようになった。財政問題、少子高齢化、安全保障など、日本の未来を左右する重大な問題が山積していることに気づいた彼は、「自分にできることは何か」を考え始める。OECDで学んだことは、国際社会において政治家個人の力がいかに重要かということだった。官僚のサポートを受けながらも、最終的には政治家自身が世界で戦えるようでなければ、日本の存在感は失われてしまうと感じたという。

こうして根本氏は、弁護士としてのキャリアを捨て、故郷の福島に戻り、政治の道を歩む決断を下すことになる。彼は「新しい時代を切り開くためには、ただ弁護士としてではなく、政治家として新しい国のあり方を考えなければならない」と確信したのだ。

5. 地域と共に歩む挑戦

福島に戻った根本氏は、地域の声に耳を傾けるため、1年余りの間に2万件以上の家庭を訪問した。地域の一人一人と対話を重ねる中で、彼が最も強く感じたのは「人々の温かさ」だった。保育士や区長といった地域を支える存在がいることを知り、彼は「政治とは、こうした人々を支えるためにあるべきだ」と気づかされた。

祖父母や父母が築いてきた日本を引き継ぎ、さらに20年、30年先の未来に向けて、地域の人々が生きがいや誇りを持って輝ける国を作る。そのために、根本氏は「挑戦」というスローガンを掲げた。これは、彼個人の挑戦ではなく、地域全体の挑戦であり、日本や福島の未来を切り開くための共同作業である。

「皆さんと共に挑戦します」と語る根本氏は、自らの全てをかけて地域や日本の未来を築いていく決意を持っている。政治家としての新たな一歩を踏み出した彼が、これからどのように日本を、そして福島を変えていくのか。根本氏の挑戦は、始まったばかりだ。

まとめ

根本拓氏の人生は、地域との深い絆、家族から受け継いだ強い志、そして世界で得た広い視野によって形作られている。彼の挑戦は、単なる政治的な目標にとどまらず、人々と共に未来を築き上げるための真摯な努力である。これからの彼の歩みに、多くの期待が寄せられている。

WEB MEDIA『sakigake news』 
解説委員 魁太郎(さきがけ たろう)

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