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アニマルとウェルビーイング

こんにちは。咲妃です。
今回はアニマル想念について書こうと思います。

地球上には私たちも含めて、動物として生命をもってきたものが多種存在しています。人間だけが想念をもっているのではなく、アニマル達ももっているのです。アニマル達は愛にあふれて、メッセージを届けてくれます。アニマルは思考が単純にできていて、愛がわかりやすいです。

昨日は帰り道に竹やぶから現れた『パンダ』想念にやられて、パートナーと大喧嘩してしまいました。縁起のいいパンダは、白と黒で構成されているクマ(苦魔)で、陰陽的にも縁起モノ。
体験があるから中身が詰まるのです。苦や魔をみつめることをするから、白く美しく生きることができる。パンダの想念は、当たり前にあることはけしてなく、苦しみや迷いの中から何に気づき止揚(ヘーゲルの弁証法やステージをあげる的な)するか。本能的に人は、目の前におこる体験から自らの中の罪悪感を見つめたいので、その罪悪感が引き起こす強力接着剤で、自分の罪や悪を感じてることがら炙り出す相手を寄せ付けます。

人は罪悪感を感じる時に、その間違って責めたこと(自分や他人を)を謝り本当に理解しようとすることを保身してしまうと、傲慢さを出してしまいます。ミスをしてもそこから教訓を学び訂正して進めばいいのに、保身から自分のことしか見えなくなるのです。

罪悪感を許せた時、世界にはひとつ愛があふれるのです。過去に、多くの人の罪悪感の傲慢さから(なんで!咲さんしてくれなかったの??私が悪いんじゃない。あなたが…)期待通りに動いてくれないと嘆く想念が呪いとなり、相手からの競争心や優越感の波動砲が、私を前に進むことを阻害してくる体感覚は、ものすごく重くて、子ども達をも巻き込みます。

誰(多くは子どもや親、パートナーの存在)がいるからできなかった。その言い訳は、相手に飛ばしているのではなくて自分が挑戦や体験をしないことの保身でしかないのです。
その保身に使われた第三者は、前に進めない悪役とされていることに気が付かず、どんどん保身は自らを被害者意識へとかりたてるのです。
べつに、誰かのせいでもなく自分の人生を前に進めるのは自分自身の問題なのに。
そこに気がついた時、思考の保身は和らぎながら挑戦への安心感を得られると、止揚することができます。情緒的依存と保身が重なると、抜け出すのは本当に難しいです。

子どものせいで〜ができない。そんなお母さんやお父さんを沢山みてきましたが、本質はこどもとは関係なく、自分自身の恐れからくる勇気の欠如が子どもにいっているだけなのですから。

黒い苦魔の部分を白くしてあげると(罪悪感を手放す)しろくまさんに早変わり。
パンダさんが教えてくれた愛は、相手を知ることを恐れない強さ、それは自分を知ることを恐れない強さだからです。

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