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搾取と友達の違い
こんにちは咲妃です。
昨日は阿蘇山は雪の妖精がヒラヒラまっていて
幻想的なエネルギーと同時に、
『なんでしてくれないの(怒)』
と不満の集合意識エネルギーも感じていました。
雪女さんが夜な夜な近づいてくると
内側にある貧乏神を縛り付けて雪山に登っていってくれました。
ガタガタと寒気に耐えながらコタツに丸まりながら、お別れする貧乏神のボロボロの服がキラキラのドレスに変化する姿を感じながら、変化した雪の女王は孤独で美しい気高さ溢れる『福の神』だったのだと気づいたのです。
若い時は、寂しさや孤独で人を求めて、愛を求めて、愛を与えることで人脈をつくろうと、気がついたらボランティア活動や社会活動に身を置いてきました。
友達はお金で買えない…
愛でもつくれない…
自分の価値を安売りどころか、無料奉仕して人助けしてきた結果。与えるモノやサービスがなくやると途端に離れていく人たち。
友達だと思っていても、相手は違ったりするし、
かといって費用を請求すると、
『友達でしょ?』と関係性を証明しようとしてくる
いつからこの世界は友達を価値でかえるようになったのだろうか…
あの人と繋がっていたら『得』『損』
そんな世界でジャッジされて、得である自分を表現しても、集まってくるのは利用したい人ばかりなのに。
気づかないふりをしていた私。
損をしたくない、損失回避する人たちから離れて一人寂しく雪山に登ると、それでようやく、本当に大切にしてくれる人が見えてきたのだと思います。
福の神として雪山の女王は、ただ与える人を選別してもいい。搾取されない自分の気高さこそが、山籠りした私の最も大切にする尊厳。
ありのままの姿で生きる雪の女王
厳しくても、美しさと清らかさを持ち合わせてながら、相手の穢れさえも写してしまう、内なる鏡で照らす光は、お相手に福をもたらします。
お相手が自らの醜さに嫌気がさして、攻撃してきても、私の審美眼はきっと揺るがない
私の占いや相談、講座などを評価して価値だと受講してくださる方は、私の愛嬌力じゃなく、審美眼を求めてくださる方も多い。
私の内面に穢れを身にまとって、お相手と同じですよ。私だって。と共感共鳴してみても、嘘だと分かれば騙されたと腹を掻くのだから…
それは誠ではない。偽りの姿。もうそんな貧乏神とはおさらばして、清らかな世界で生きていきたいと思うのです。
九尾の狐(八方美人の天才の妖怪)と共に過ごしてきた人生の中で積み上げてきた愛嬌とゆうスキルや能力は、私を守ってくれたけれど、
きっとこの雪山には、私しかいない世界の美しさがある。
孤独でも、理解されなくても、今は逢いにきてくれたり、学びにきてくれたりする人もいるのだから、充分幸せなのです。
搾取する人たちは、この雪山は登ってこないのですから。
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